最終章

第38話 指揮者は嘲笑う 一

 邪悪なる妖気が漂うホール内で、紅い髪のゴシックな彼は演武に興じる。 


「乱れかませ、アレグレット!」

 会館ホールの中空を跳ぶ黒音は縦に周り斬撃を連続して放つ。蒼い三日月が座席群の上にのさばる加見津乃鵺に襲い掛かった。


『あ亜、痛い痛い! ……だが死に至るにハ足りんなコンダクター!』

 敵は身を裂かれた事もいとわず笑い、尾の蛇口から強力な電流を黒音に向けて撃つ、着地した黒音はホールの端を軽やかに駆け雷を躱す。


 壁を焼き尽くす雷を前にしても黒音は笑みを崩さない。

「シィアッ!!」

 座席から壁に歩を移し黒音は矢のように跳躍、加見津乃鵺に肉薄して大鎌を走らせる、曲線の刃が虎の胴体に深く一文字の傷を作り穢れが噴き出た。


 後方に着地した黒音は振り向き出方を窺う、加見津乃鵺の巨体には蒼き連刃によって作られた裂傷が痛々しく開く……だが零れる穢れが瞬く間に傷の中へと戻り傷が消える。


『ククはは、素晴らしいなぁこの肉体は、穢れが血となり肉となり結合する感触、夢見心地とはこの事か、ハああああ!!』

 有り余る霊気を電流に変え全身から発散、黒音はすかさず跳び数メートル上の壁に貼り付いた。


 戦闘が始まってからずっとこの調子だ、切っても斬ってもすぐさまに修復。

(尋常じゃない再生速度スピード、鵺だけじゃこれ程の芸当は出来そうにないし、天魔錬成の加護とオジサンの影響カナ)

 神剣・天羽々斬の一撃を上回る再生力、不死とは言えこのスピードは異常、怪異融合により鵺の力が成長した証だ。


 霊気と妖気が混じり融け、そこに人間の天井知らずな想いと欲望が加えられ、怪異に予測外の進化を促す。


 それこそが怪異融合者、霊の世界から人の世界に介入する権利を持つ――天魔の幼虫。


(ハバキリには不死解除の式が込められてるのに、効果ゼロのナシナシ)

「ホーント楽しませてくれるよネ、フフ」

 それ程の脅威と対峙して尚、黒音は笑う。

 矢染市に侵入して遂に出会った特上の獲物、心躍らずにはいられない。


 電流の網を搔い潜り再び突進、回転して斬りつける。お返しと加見津乃鵺の右腕が振り上げられる、爪が鋭利に伸び黒音を襲う。


 しかし彼は躱さず真っ向から斬り返した。刃と爪が金切り音を鳴らし激しく重なる、何度も何度も。獣は猫じゃらしを突くように、死神はバレエを演じる様に。

 数倍の体格差を物ともせず黒音は弾き返す。


 心の空瓶に一滴一滴落ち水かさを増す充実感、悶えたくなる程にたまらない。油断すればこちらが引き裂かれ地に落ちる、相手はそれが可能な強敵。


(強い強い強い強い強い強い……ああもう最っ高、嬉しいナァ!!)  


「アハハハハァッ!!」

 刃が照り輝き渾身の一閃が獣の手首を斬り落とした。

『! ぐおオお!!』

 押し負け僅かに怯んだ敵は攻勢の手を変え雷をばら撒く、気にせず黒音は更に猛攻しようと……。


 ――黒音。 

 天奈の笑顔が脳裏をよぎった。


「っとと、イケナイ楽しむのは二の次だよネ」

 一転して黒音は表情筋を引き締めた、四席分横に跳び一度体制を整える。

 今天奈達が決死の想いで空高く登っている、彼女達の為に役目に努めよう。


『手強いなコンダクター! この姿に至って尚押されるとはなぁ喰い甲斐がある!』

 方向転換して加見津乃鵺が向かって来た、座席を踏み潰す巨大獣の行進を前に黒音は更に下がり回避に徹した。


 猿の面が不快な悲鳴を、虎の手足は床を砕き、蛇の尾が雷を放つ。

 狂乱に顔を歪ませる旗乃条がそれらを自在に操り追い攻め続ける、鳴動広がるホール、くるくると座席を転々する黒音は反撃せずに敵の一動を注視する。


『どうしたのカネ? そんな冷めた態度を取られると傷つくぞオ! くはは互いに楽しもうじゃないか!』

(そだネー、闘争過敏の影響でオジサンの攻撃も雑になって来たし、そろそろ行こうか――)

「ナッ!!」


 およそ四メートルの距離、退避を止めた黒音は大鎌を側面に構える。

「ビバーチェ!」

「⁉」

 勢いよく黒音が投げた大鎌が風車となり、反応できない旗乃条の右腕を斬り落とした、同時に手が空いた彼は高く頭上に飛ぶ。

 

 染み一つ無い白磁の足が露わになる、スカートに両手を突っ込み取り出す十本の装飾アートナイフ。

「サアサア、じっくり丹念にあぶろうか!」

 数メートル下の獲物へ向けまずは右手の五本、続いて体を回し左手の五本を投射した。 

 

『グう⁉』

 ナイフは加見津乃鵺の全身に突き刺さり鋭く光った後、蒼焔そうえんの柱が一斉に生まれ燃え立った。


 加見津乃鵺が耳をつんざく悲鳴を上げる、ホール全体が揺れ座席の破片が飛び散る、浮遊する黒音は戻って来た天羽々斬を掴み爆炎の中へ落下する。


「旋律はここに、フォルテッシモッ!!」

 見開いた金色の目が獲物を捕らえて離さない、獣の上で焼かれ悶える旗乃条の背面向けて刃を振り下ろした。


『――――ッッ!!??』

 蒼穹の煌めき、はしる斬撃の調べ。


 旗乃条の半身は左肩から袈裟懸けに深く斬られる、切断一歩手前にまで傷は開かれ、黒い血飛沫が噴き出た。

 黒音は鵺の背に着地、名画【ムンクの叫び】に似た表情で旗乃条は動かなくなる。それを一瞥して黒音は再び跳躍、二階席へと飛び移った。


(さて、ト、ハバキリの霊気、存分に叩き込んだけど)

 動かないまま燃え続ける獣を静かに見下ろす、殺意を込めた爽籟そうらいの連撃。


『ぅ、ぐ…………ひ、ひゃハハはははア!!』

「むーん、これでもダメか」

 しかしそれでも、敵は躍動した。


 炎の中で加見津乃鵺の裂かれた身体が繊維を伸ばし繋がり、泡を立てて右腕が生える、瞬く間に完治した全身から気を轟かせ炎を散らした。

『見事だコンダクター! このうえなく美しき技の数々、意識が飛ばされてしまった……だがなァ、ワタシは死なんよオオ!!』

 醜悪な笑いで見上げる獣は四肢を膨らませ巨体を跳ねさせた。

    

 高く高く、黒音が立つ地点目掛けて襲撃、加見津乃鵺は二階席先端を破壊して乗り上がった。亀裂が入るその場で電流音が鳴り響く。


(天奈達とは距離が開いたよネ、の開演は間もなくカナ?)

 紙一重で躱した黒音は髪をとかし二階から飛び距離を取ろうと、


『捕らえたあ!!』


 突然、旗乃条の左腕がゴキリと音を立て伸びた、瞬きの一瞬、凄まじい速さで伸びた腕は、斜め後ろで飛ぶ黒音の左足を掴んだ。


「っ!」

 爪がブーツに食い込み離さない、空中で僅かにバランスを崩した黒音を無視して全力で左腕を振るった。

『くはは、ヒャハははあああっ!!』


 人間がビルの屋上から地面に落下すると……恐らくこんな音が聞こえるのだろう。

 平坦な壁に、凹凸な座席に、尖った瓦礫に、華奢な男の全身は叩きつけられる。

 

 何度も何度も何度も何度も、腕を胸を背中を頭を顔をぶつけられる。

 これが黒音では無く常人であったなら、等に絶命して肉塊になり果てていた。

 

 やがて加見津乃鵺は左腕をしならせ、向かいの壇上に向けて黒音を放り投げた。解放された黒音は空中で回転、座席群に向く形で壇上に着地した。


「痛たたた、うー骨が軋むやってくれるネ、オジサン」

 散々叩きつけられた黒音は傷一つ無い顔を上げる、ゴシック服には埃が付いているが掃う暇はない。


 対極に立つ加見津乃鵺は既に攻撃態勢を整えている。

 手足を広げ胴を固定、猿の面の口が開き口内から有り余る電流が膨張する。


『受けたまえ、盤上四角ばんじょうしかくに営んだ平安の民を恐怖に落とした――鵺の轟雷ごうらいを!!」 

 旗乃条の号令に従い、鵺の口から最大級の雷が撃たれた。

 襲い来る強烈な電流の波、黒音は天羽々斬を前面で回し盾を作る、轟雷は盾に衝突した。


 電流のささくれに焼き尽くされる壇上、失明しかねない程の光が飛び交う中で天羽々斬は主を守り続ける、黒音は盾に右手を伸ばしながら表情を変えず凌いだ。 


『ガあアアッ!!』

 追撃とばかりに旗乃条の両腕と蛇の口から雷が撃たれ轟雷と重なる。

 波動は跳ね上がり黒音は眉をひそめる、ブーツが少しずつ後ずさり盾の隙間から電流が漏れゴシックを裂く。


「っ……くっ」

『倒れたまえコンダクター! 天魔へと進化するのは、このワタシだアアアアアッッ!!!!』

 

 加見津乃鵺の全力、その猛攻に耐え切れず――天羽々斬は遂に弾かれた。

「っ!!」

 

 激戦の果てに出された悲壮な結末。

 瞳孔を開く黒音の全身が轟雷に飲み込まれ、壇上全体が凄烈に爆発した。

 

 ……。

 静けさが戻り、煙で埋め尽くされた壇上に弾かれた天羽々斬が落ちて刺さる。


『ぐくく……クはははハははははは!!』

 散らばったともしび陽炎かげろうを作るホールで、加見津乃鵺は高らかに嬉笑きしょうした。


 ◇◇◇◇◇◇


 市民会館の遥か頭上、向かってくるしゃれこうべ達に恐れずに、一段一段しっかりと天奈達は螺旋階段を上る。


「【いろはにほへと――】、潤子右から来てる!」

「分かった、とりゃ!」

 

 ホタルの風から零れた数体の怪異に天奈は稲荷の光を放ち、横から反れたしゃれこうべを潤子がアメンボで小突く。少しずつだが祭殿の球体に近づき大きく見えて来た。

「ヨシッと、って、わわわ⁉」

 しゃれこうべを露散させた潤子だが無理に右手を伸ばした為、バランスを崩し階段の端によろけてしまった。


「潤子⁉」

 一段上の天奈が必死と彼女の左手を掴んだ。


 ……冷たい風がパタパタと服を揺らす。

 端っこで斜めになった潤子から冷汗が一粒、眼前にはミニチュアサイズの街並みが広がる、天奈は彼女をしっかりと引き寄せた。


「大丈夫? 怖いけれど足元しっかり見て行こう」

「わ、分かりました」

 互いに、ほっと一息。呼吸を整え頷き合い再び上り始める。


 一歩間違えれば数百メートル地上へと落下、その現実が少女達の歩みを遅くする。

(皆も戦い続けてる、急いで呪物を浄化しないと――)


 ドクン、と、天奈の魂が警鐘を鳴らした。


「え? …………黒音?」

 立ち止まり少女は真下に視線を向けた、急に止まった彼女に潤子は困惑する。

 ドクンドクン、鼓動は大きくなる。

 今、確かに届いた、感じた、黒音の感情を。


 この感情は喜び? 黒音は今喜んでいる?

 どうしようもなく危険な感情を捉えている筈なのに……どうしてか安らぎを覚える。

 感情の波動に続き、彼の声が魂に届く。


(【禍津界開演まがつかいかいえん――】)


 黒音は、ナニカをする気だ。

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