第37話 凍って止まれ、潰して回れ
天奈達が登り始める少し前の駐車場広場。
「っ、あう！」
幸い拳が撃たれたのは志津理とは離れた場所だったが、急激な大気の圧迫に耐え切れず彼女は倒れ込んだ。後方の消防士達はその場にしゃがみ隊長が駆け寄る。
「大丈夫か嬢ちゃん！ 何だあのバカでかいのは」
隊長に肩を支えられながら志津理は立ち上がる、その動きに反応してゆらりと起き上がった巨人の目が彼女達に向けられた。
危機感が志津理の脳裏を襲う。
「おおらああっ!!」
巨人の背後から聞こえた雄叫びとエンジン音。
斜面を駆けた朧バイクが勢いままに巨人の背へと跳んだ。
牙の生え揃った前輪が回転して背の腰部に衝突、道広はハンドルバーを握り更にタイヤを回す。
しかし、前輪は巨人の肌を傷つけることが出来ず逆に弾き飛ばされた。
「なっ⁉」
着地した道広は今の感触に動揺を隠せない、アスファルトを容易に削る朧車が弾かれた？
「アイツの身体まるでゴムみてえに、今までの奴らと違うって事か！」
『ごお亞あア!!』
道広へと振り向いた巨人は怒りの感情を纏い、長い右腕を叩きつけようとする。
左足に力を籠め道広はバイクを回転して走らせた、向かってくる剛腕を間一髪で躱し蛇行する、その走りが目に止まり巨人は追随した。
道広が引き付けている間に志津理たちはバスの近くへ退避、巨人の両腕を避け続ける朧バイクを不安げに見守った。
「不味いですね……お客さんあれは恐らく、一つ目小僧です！」
「は⁉ 一つ目小僧ってあんなデカいの⁉」
バスの窓から身を乗り出し声を投げるのっぺらぼうに志津理は振り向く。
一つ目小僧くらいなら彼女も知っている、が、想像していた者とは逸脱し過ぎている。
「稀に巨大な個体が生まれます、自我を持たない災害に近い存在が」
一つ目小僧は緩慢な動作で道広を責め立てる、短足が地面を踏むたびに振動がこちらまで伝わり、ガタガタと車体が小刻みする。
「どうした木偶の棒！ そんなんじゃ当たんねえぞ!!」
わざと挑発して自分に引き付ける、駐車場の端から端をスピードの強弱を操りながら朧バイクは駆け巡る。
「そこだあ‼」
横投げで掴み掛る左手を避け曲線を描き右足に車輪の回転をぶつける。
「っぐ、おおおお!!」
アクセルをひねり攻撃は一層激しくなる、何とかダメージを与えようと道広の唸りが木霊する……だが前輪が傷を与えることは無く朧バイクは横へ反れた。
「バイク効いて無いし、運転手さん弱点とか知らないの⁉」
「身体を破壊するには最も柔い部分を狙うのが基本でしょう、となれば」
「あの目か……確かに一番目立ってるし」
瞬きを繰り返す白濁の目、黒い瞳が足元の道広を追いぐりぐりと動いている。
「大柿さーん！ 目狙うし、眼球眼球!!」
大声を上げ志津理が訴える、その声が届き道広が顔を上げた。
「あの目ん玉かっ、だが届くかあの高さまで！」
道広の不安、一つ目小僧の象徴である胸元の目は数メートル上、助走つける暇も取れず、あの両腕に守られる可能性だってある。
（狙うにしても体勢を崩す必要が――⁉）
突如、一つ目小僧が両手を持ち上げ硬い地面に突き刺した。
『オオオお御おおああ!!!!』
雄たけびを上げ抉るように地面を掴む、巨人は力任せに巨大な塊を持ち上げた。
「なっ⁉」
ぱらぱらと砂利が零れる
「え、ま、まさか⁉」
彼女の表情が驚愕に染まる、一つ目小僧は全身を使って振りかぶる。
「ぢっ、やめろお！」
道広が再び足に突撃するが巨体の軸は一切ぶれない、そして胸の目が限界まで開き岩塊をぶん投げた。
「総員退避ー!!」
隊長の合図で皆が左右に跳び転がった、のっぺらぼうは急いでレバーを操作してバスを後退、エンジンがついていた車体は芝を踏みながら駐車場の外に退避。
剛腕で投げられた岩塊が疾く速く、停車する片方の消防車に激突した。
車体前面がひしゃげ消防車は吹き飛び横転、砕けた岩とガラスの破片が倒れた志津理達を襲う。
「貝藤、おっさん等⁉ くそお!!」
砂塵が立ち込めた鮮烈な破壊跡、道広は朧バイクで駆け寄ろうとしたが投げ終えた体勢を捻り一つ目小僧が殴り掛かる。
拳と車体が僅かにかすり、道広は慌てて朧バイクを止める。眼前の一つ目小僧は傷一つ無い巨体で立ちはだかる。
ここに来てから回し続けた朧車の車輪、それにより消費された道広の霊気。
疲労感と脱力感が全身をじわじわと侵食、道広の呼吸が荒く小刻みになって来た。
「う……痛」
倒れていた志津理はゆっくりと上体を起こす、所々破れた黒タイツ、降りかかった破片の一つが左ふくらはぎに当たりじくじく痛む。凄まじい爆音の影響か耳鳴りが脳内をなぞり不快極まりなかった。
「皆さん大丈夫ですか⁉」
バスを降り走って来たのっぺらぼうが志津理の傍にしゃがむ。
ふらつきながら立ち上がる消防士達は、後方で横たわる消防車を
砕け汚れ濡れ凍り抉れ、戦闘の傷が広がる駐車場。
朧バイクで走るための地面の立地が悪くなり、このままではいずれ一つ目小僧に捕らえられる。
「これ以上は危険です、一度ここから退避しましょう大柿さんに伝えなければ」
「……あー、ほんとーに……」
「え？」
模索していたのっぺらぼうは少女の冷たき声を聞いた。
「頭来たし」
ゆらりと立ち上がる少女、頭を垂れたまま乱暴にマフラーを解き投げる。
「どいつもこいつも好き勝手してさ、ウチ等が何したっての？ ふざけんないい加減にしろし」
「か、貝藤さん？」
水色の毛先から霊気の粒が溢れだす、身の回りの温度が急激に下がり、のっぺらぼうは困惑した。
彼女の沸々としたストレスの限界、それに反応する闘争過敏、呼応して氷結の力が高まっていく。
「凍らせる凍らせてやるっ、イラつかせるモノ全部！ 怪異融合者の力はこんなモノじゃ無いんでしょ、雪女！」
そして志津理はゆっくりと歩く、冷気の上昇により瞳が煌めき、踏みしめた地面を凍てつかせる。背後からのっぺらぼうが制止するが彼女の耳には届かない。
一つ目小僧の猛攻で徐々に走る場所を狭められた道広が、視界にこちらに近づく志津理の姿を捉える。
「来るな貝藤！ 俺は良いからとっとと逃げろ!!」
その叫びもやはり届かず彼女は前進する、気づいた一つ目小僧が腕を上げたまま少女を見た。
「穢れなんて水みたいなモンでしょ、だったらアンタも凍らなきゃおかしいし」
両手を突き出し志津理は怨めしい敵を睨む、
「【凍り止まれ――何もかも！】」
……動こうとした一つ目小僧に心地よい風が当たる、志津理の方角から流れる冷風。
それは瞬く間に冷徹な強風に変わる。
『ごア？ アあ唖あ？』
零度を超える氷雪の旋律。
志津理の全霊を込めた吹雪が巨人の全身を襲い突き刺す、対抗しようと右足を一歩踏み出すがそれ以上進むことが出来ない。
四肢の指先から始まり少しずつ体の中央へ、穢れに満ち満ちた身体が凝固し始める。
「凍れ凍れ、凍ってぇ、止まれええええええっ!!」
今までにない貝藤志津理の魂の絶叫。
声に同調した吹雪が身体の芯の奥までを凍てつかせ――止まらせる。
『あ……唖……ぁ』
やがて巨人は氷像となり停止、唯一凍らなかった目玉だけが一心不乱に動作し続けた。
「はぁはぁ、どう……だし、ざまあみろ」
「貝藤さん！」
全ての霊気を使い切った志津理は意識が
「らああああ!!」
志津理が作ってくれた好機、決して無駄にはしない。道広は前に出ていない左足に向けて朧バイクを突進させた。ぶつかった左足には先程までの弾力性は無い、衝撃を逃がせない今なら！
「こんな奴に負けられねえ、そうだろ朧車ぁ!!」
道広もまた闘争に心を燃え上がらせる、瞳が輝き灰色の霊気が前輪に収束する。
「おおおあああああああっ!!」
車輪の刃が回り続ける、摩擦に火花が散り金切り音が轟く。ぴしりと、足にひびが入る。
「回れ、砕けぇーー!!」
更に込められる霊気、前輪の躍動が突き進み――鈍い音と共に太き足を破砕した。
抵抗から解放された朧バイクがバランスを崩し倒れながら地面を滑る、一つ目巨人もまた片足が砕けバランスを失った体躯が仰向けで倒れた。
結界が見下ろす中、地響きが周囲に伝わる。
『……ぁ……ぁ』
凍てつき言葉すら碌に発することが出来ない一つ目小僧は、必死に目だけを動かす。
そこに近づく足音が一つ、バイクを降りた大柿道弘が二つの車輪を従わせ歩み寄る。
「怪異ってのは、とんでもねーのばかりだな……強かったよお前」
巨人の間近で右手を振り上げ車輪を飛ばす、重なり合った二つは同調して鮮烈に回った。どこまでもいつまでも、一つ目小僧は真上の車輪を凝視した、続く激闘で疲労する皆が、行く末を切実に見守る。
「【潰して、回れ】」
静かに語り道広は腕を振り下ろした。
冷徹なる車輪の鉄槌が眼球に落ちる。
『!! ――!!!!』
大きな目を引き裂き抉る無数の刃、凍り付いた巨人は悲鳴も上げられず抵抗もできない。
そして車輪は慈悲も無く一つ目を潰し破砕した。
破裂音が駐車場に広がり、霊気を使い果たした道広は息も絶え絶えにその場に座り込んだ。
……。
少し経ち、凍てついた一つ目小僧の身体、穢れの集合体は周囲に飛び散ることなく、かき氷の様に崩れ溶けた。
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