第32話 前夜 ニ

         Rin♪ RingRin~♪♪


 天奈の狐耳に届くのは、軽やかな鐘の音。

 それは星の見えないホテルの夜天を飛び交う、ベルんバットの達のハーモニー。

 どこまでも聞きたいと僅かな欲が出て、尻尾がふりふりメトロノームを演じた。

 

「不思議、昨日はあんなに怪異と穢れに埋め尽くされていたのに……今はこんなに穏やかで胸が安らぐ」

「ベルんバットの結界を張ったからネ、有象無象の怪異なら近づくこともできない、今ここは街で一番安全な場所だヨ」


 黒音と天奈の二人は今、ホテルの外を並んで歩いている。

 五月闇さつきやみの中で霧が滲み霞む周囲の光景。


 ――今から二人で散歩しない?

 そう切り出したのは黒音だった。


 夕食を取り明日に向けての英気を養う中で、天奈は宵闇よいやみの散歩を誘われ、すぐに首を縦に振った。

「今日はここに泊まるって連絡しないと」

 そう言い、スマホをいじる潤子達と分かれ玄関ドアを開けた。


 あっという間な二人きり。

 こうして並んでいると天奈の鼓動が少しづつ早く高くなる。緩やかな視線を黒音に向けると、彼は静謐せいひつな面持ちで結界の空を眺めている。


「明日全部終わらせるんだよね、あの結界も怪異も何もかも」

「ウィ徹頭徹尾てっとうてつび天地万物てんちばんぶつ、抜かりなく終わらせるヨ、オジサンの茶番もそろそろお開きにしないとネー」


 清廉なる黒音の言葉の後、緩やかな沈黙が両者の間に流れた。


 ……――。


「……ごめんね天奈」

「ぇ?」


 沈黙を破り天奈の耳に届いたのは黒音の真摯しんしな謝罪。


「僕に付き合ったせいで沢山危険な目に遭わせちゃった、本当にごめんね」

「黒音、そんな……付いて行くって決めたのは私なんだから謝らないで」

「でも、それを止めなかったのは僕の個人的な我儘だから」

 

 琥珀の双眸そうぼうが天奈を見つめる、定規二本分先でじっと見る黒音の真顔。


 この数日で見た貌とは明確に違う。

 そう、七年前以前の……彼を切実に思い出した。

「今思えば二日前に君と再会して、どうしようもないくらい嬉しかったんだと思う、だからかな? 離れたくないって我儘が……いつの間にか心に生まれてた」


 予想もできない独白だった、天奈は返答できず、じっと高揚に心を震わせる。

「協力者なんてのは只の建前で傍に居て欲しかった……君の安全を思うなら家に籠ることを進めるべきだったのに、それは何か嫌だった」

「くろ、ね」


「結局、その我儘のせいで君は旗乃条に目を付けられた、君を命の危険に晒したい訳じゃないのにそうなってしまって……後悔してる」

 申し訳なく目尻を下げる彼の姿は今までの強靭な姿とは違い……あまりに違い弱弱しい。


 天奈の身を案ずる言葉に身も心も溶かされる情熱が溢れる。彼の真意は純粋に嬉しく、心配をかけてしまったことに罪悪感が心を刺す。

 そして黒音が次に何を言おうとしているのか、薄々だけれど分かった。


「さっきは君の力が必要だって言ったけど、これ以上危険に連れて行くのは駄目だよねだから明日、天奈はここに残って、」


「行くよ、私」


 黒音の制止を遮り、天奈は力強く答えた。


「……天奈」

「さっきの説明の時は言わなかったけれど答えはとっくに決まってた、私もこの事件に最後まで関わろうって」


 あの旗乃条と邂逅を果たしその悪意を刮目した時に、彼女の覚悟は生まれたのだ。

 絶対に食い止めなければいけない、その為に走り続けると。


 昨日ここで聞こえた、あの声。

『――お願い、どうかこの街を照らしてくれ』

 その言葉を自身の全てに賭けて、実現させるのだと。


「この力を授かった理由も今ならなんとなく分かる」

 左手を持ち上げゆっくり開く、手のひらから蛍火のような光が淡く浮き昇る。

 

 この光は願いだ。

 怪異と言う絶望に傷つけられた人々の苦痛と悲鳴。その痛みを癒し街に優しさを取り戻し咲かせてほしい切なる願い。


「黒音の言う通りこれは【私達の物語】なんだ、だから私は逃げない神様が贈ってくれたこの願いで、街を、皆を必ず照らして見せる」


 だから、ね?


 天奈はくるりと回り両手を後ろで組み、黒音に微笑んだ。

 

 その淡き姿はまるでバタフライガーデンに舞い込んだ、一頭のツマキチョウ。

 黒音は意図せず硬直して数秒の間、目の前の少女に感覚の全てを奪われてしまった。


「……そっか、それじゃあ止められないか、言ったの僕だもんね仕方ないよね」

 硬直が解けた黒音は、項垂れながら呟く。コツコツとブーツの先で地面を蹴る子供っぽい動作で、いじけてますよ、と主張していた。 


「アハ♫ じゃあ一緒に行こう天奈、君の優しい願い絶対に叶えなきゃネ」

「うん!」

「ただし君にも一つ条件があります」

 先程、潤子にしたように天奈の眼前で人差し指を立てる。天奈は思わず瞬きした。


「絶対に死んじゃダメ、絶対に生き延びて」


 それは黒音の空っぽの水瓶に零れ落ちた、切実なる願い。


「頑張るのもイイ無茶をするのもイイでも命を失う事だけはダメ、生き残るんだヨ何が何でもネ」

「……うん死なない誓うよ黒音私は頑張って生き残る、私だけじゃない皆で一緒に」

 強く頷く天奈を確認して、黒音は向日葵の笑顔となる。


「じゃあ、約束の合図しヨ♪」

 今度は左手の小指を立てて、天奈に差し出した。

「それって」

 天奈が思い出すのは七年前のじめっとした別れの日、互いに再会を誓った、ささやかな指切りげんまん。


「この異変が終わった後、またお互いに笑顔で会う合図、ネ」 

「私達の大切な誓いの合図……しよう黒音」


 そして天奈も小指を差し出し、黒音の小指と絡めあった。

 しっとりとした肌と艶やかな爪の感触が伝わる、決して途中で離さぬよう繊細な指先に力を込める。


 決戦は明日、明日でこの地獄を終わらせ確かにここにこの場に存在していた、愛しき平和いつもを取り戻す。

(私達の明日を終わらせない為に)


 涼しく柔い夜風が心身を撫でる中、二人の小ぶりな唇がゆっくりと開いた。 


「「ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本呑ーます、指切った!」」

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