間章

第29話 悲しみを癒す調べ

 時計の針は間もなく十八時を迎える。


 黒音達含む大勢が集うのは野々山観光ホテルの受付前ロビー、高速道路を出た二台のバスはその後、怪異の襲撃を受けることなくホテルに帰り着くことが出来た。

 避難民たちは大柿たち脱出者たちを責めること無く、無事を喜び向かい入れてくれた。


「おーお帰り、全員無事で何よりだし」 

「志津理、委員長もただいま、良かったこっちは何も起きなかったんだね」

「皆ー! 大変だったよー!!」

 ロビーに入ってすぐに気怠い歩調で志津理が天奈と潤子に近寄って来た、後ろには委員長と女子達が続く、互いの顔を見れたことに安堵の息を漏らし、緊張の糸が途切れたのか潤子は涙目で声を上げる。


「こっちはって、やっぱりトラブル起きたっぽい?」

「うん起きた、どこから話せばいいかな」

 天奈の眉が僅かに下がる、視線を動かすと黒音とホタルが消防の隊長と何かを伝えている、恐らく高速道路で起きたことを簡潔に報告しているのだろう。


 道広は朝果麻を抱っこした状態で、近寄って来た老人二人と話していた。

 おおよそ六十代の男女、恐らく夫婦だろうか? 寄り添っている雰囲気がそうだと匂わせる。道広は申し訳ない表情で何度も頭を下げているが、二人は優しい表情で彼の肩を慰めるように叩いている。


「疲れた顔してるし、休んだ方が良くない?」

 志津理の言葉を聞いた途端足から力が抜ける、気づかないうちに疲労が溜まっていたようだ。


「ははそうだね、色々あって疲れたかも……本当に色々」

「私もーもうバテバテー」

 天奈は近くにあった大きな柱に背を預けぺたんと座り込んだ、それに続き潤子も隣に座る。


「あー心も体も限界、癒しが欲しー、と、いう訳でお天道様、仏様、天奈様! また尻尾をモフモフさせ――」

「【いろはにほへと・ちりぬるを】」


 小さな手から溢れだすまばゆい稲荷の光が、潤子の体力と霊気に潤いを与えるっっ!!

 

「うん元気になったよね? それじゃモフモフは無しでいいよね? お触り禁止でイイヨネ?」

「あ、ハイ」

 天奈は朗らかに笑い狐耳をピコピコ動かすが、その表情の裏には「触ったら、全力でどつき倒す」と、確固たる意志が感じられた。


 座り込んでしばらく委員長たちが差し出してくれたお水を受け取る、コクコクと喉をうるおしていると。


「あのっ! それで街の外には、救助は呼べたのですか⁉」


 突然聞こえた大声に全員の視線が集まる、見ると黒音に詰め寄るホテル従業員の女性の姿。

「私達はこの街から出ることが出来るのですか、助かるのですか⁉」 

 女性は悲痛な面持ちで投げかけるが、黒音は首を縦にも横にもふらない。


「僕はバスの人達を迎えに行っただけ、外には今はまだ出れないヨ」

 淡々とした返答に女性の顔は絶望に染まり、フラフラと後ずさる。


「あああ、やっぱり、私達は助からない、ここで死ぬのを待つしかないのですか!」

 女性は床にへたり込み両手で顔を覆う。

 ……やがて、小さな嗚咽が彼女から聞こえ始める。

 怪異から逃げて閉じこもるこの極限状態、そして昨日の襲撃、女性の精神は既に限界を迎えていたのだろう。


 そして限界だったのは彼女だけではない。

 

「もうダメなのかな、皆死んじゃうのかな」

「脱出も無理だった、俺達ここで野垂れ死ぬの待つだけ?」

「うう嫌だよぅ、誰か、誰かぁ」

「うぅぐす、ひぐ」

「お父さん」「大丈夫だ、こっちにおいで……大丈夫、大丈夫」

「うわああん!!」

「み、皆様落ち着いてください!」

「落ち着けるかよ! どうすれば俺達は助かるんだ! どうすればいいんだよ……誰か助けてくれよぉ」


 悲壮の雫は波紋を生み広がる。

 女性従業員の嘆きを皮切りに、周りの避難民たちも一斉に悲観し、救いを求め始めた。消防士達が励ますが効果はまるで無い。

 やがて天奈達の傍に居た女子達もそれに釣られ泣き始める、委員長が何とか慰めようとするが、嗚咽は止まることは無い。 


 天奈達も慌てて立ち上がり声を掛ける、しかし既にロビー全体が哀哭あいこくの渦に支配され、少女たちの声は空しく掻き消される。


(皆ずっと我慢してたんだ、ここにじっと閉じこもって、いつかきっと外から助けが来てくれるって信じて、信じ続けて、心を張り詰めて)

 

 隣の潤子も前の志津理も、遠くの道広も泣いてはいないが、眉は下がり視線は床へと垂れる。

……黒音は何故かマヨイガポシェットを漁っている、ホタルはカラスなので感情が読めない。


 慰めの声は消え、嗚咽と鼻をすする音が、しん、とした空間で聞こえ続ける。怪異融合者達の心中にも抗えない不安がじわじわと侵食して、沈黙するほかなかった。


 先程、大異変の真犯人と対面したが……結局その真犯人、旗乃条加見津は逃走して行方知らず、紫の結界を消す方法も分からない。

 黒音と一緒に居ることで一歩一歩、解決の歩を進めていると希望が持っていたが、それは只の錯覚だった? 事態は何も変わっていないのか?


「……うぅ、ぐす」

「潤子?」

 顔を上げると潤子が必死に涙を堪えていた、この空気に当てられた影響かもしれない。天奈はそっと親友の肩を掴み寄り添い合う。


(悲しみと恐怖を癒すにはどうすれば良いの? 辛くて苦しくて助けて欲しいって確かに聞こえるのに、その声に応える為に私は何ができる?)  


 分からない、時間が過ぎて悲しみが薄れるのを待つしかないのか。

 考え続ける天奈の目尻に、じわりと雫が溜まり始めた。


 ~~♪


「え?」

 いくつも聞こえたすすり泣きとは明らかに違う音色が耳に届く。

 思わず天奈は、否、天奈だけでなくロビーに居る全員が音の方へと視線を向けた。

 

 視線の先には依然ドアの前で佇む黒音の姿、そして彼の手には一つの楽器が握られていた。

 その小柄な弦楽器の名はヴァイオリン、緩やかな曲線のパーフリングと尖った黒の先端、焦げ茶色の表板は灯りを反射して輝きを見せる。

 彼は左手と顎でヴァイオリンを固定して、弓を握る右手の小指で弦を数回弾く。


 金色の瞳がこの場に居る全員を見渡す、ホタルがドアのランプへと飛んだ。


「それではしばしの間、お聞きください」

 黒音はゆっくりと弓を弦に重ねた。


 ◇◇◇◇◇◇


『ーー♪ ~~~♪ ~~~~♫』

 音楽祭の開演、それは悲壮からの脱出。

 

 奏者そうしゃである黒音が弾き続ける一つの演奏。

 弓を走らせ弦を押す指を次々に入れ替えるその動作には一転の狂いも見受けられない。


 ヴァイオリンの振動から発せられる澄み切った甘美な音がロビー全体に流れていく、それは悲壮感を痺れさせる魔性の音色。

 全員がヴィブラートを送る黒音から目が離せない。涙は渇き、嗚咽の声も消え失せた。


 天奈もまたこの演奏にじっと聞き惚れる、目を瞑りながら奏でる黒音の幻想的な姿に鼓動が早くなってゆく。


『♪~~~♪♪』


(この曲……知ってる)

 どこか、儚い命の悲しさと寂しさを連想させ、それだけでなく健やかな安らぎを享受きょうじゅさせる、この穏やかな曲は。


 そう。

(アリア、G線上のアリア)

 

 そして黒音はアリアの最後のワンフレーズを静かに弾き終えた。


 …………。


 数分間の演奏が終わり沈黙が続く中、黒音は瞼を開け顎を放す。

「ご清聴せいちょう、ありがとうございました♪」

 そして何事も無い笑顔でぺこりとお辞儀した。


 ……パチ……パチ…パチ、パチ。


 やがて、一つ、また一つと雛民たちの小さな拍手が生まれ連鎖する。喝采とまでは行かなかったが、全員の表情は先程と変わり、悲しみは僅かに残るが笑顔が増えていた。


 天奈の視線は黒音から離れない、頬を朱に染めたまま彼を見続ける。

「すごいなぁ、黒音は」

(こんなにも簡単に、皆の、私の不安を掻き消してくれた)

 そんな天奈に気付いた黒音は彼女と瞳を合わせ、蠱惑こわく的に目を細めた。


 その後、落ち着きを取り戻した避難民はそれぞれロビーから姿を消していく、最初に泣き崩れた従業員の女性も、ある程度立ち直り黒音に一言礼を言った後、仕事に戻った。


「アハハ、弾いた弾いたやっぱり音楽は良いネ、余は満足じゃー」

「お疲れ様です主様、いつもの如く空気を壊しましたね」

 まばらとなった空間で黒音とホタルは天奈達の元へと歩み寄る。

 

「天奈達も平気? まだ心にモヤモヤあるなら、もう一曲弾くけど?」

「ううん大丈夫、ありがとう黒音……ヴァイオリン得意だったね、昔何度も聞かせてもらったの思い出した」

「そだねー、お庭や書斎で二人っきりのコンサート楽しかった♪」

 

「――なぁ、あんた音羽って言ったか、少しいいか?」

 二人で思い出に花を咲かせていると、いつの間にか近づいていた道広が声を掛けてきた。妹の朝果麻は老夫婦に預けてきたみたいだ。


「むん? 黒音でいいよ道広君、何カナ?」

「ああ、これは不安だから聞く訳じゃないが……真面目な話、俺達はこれからどうすればいい?」

 誰もが抱いていた疑問を道広は言葉で伝えた。


「俺は、怪異融合者って言ったか? この力を手に入れて、街から出れるんじゃねえかって思った、だが結局あの壁は突破できなかった、正直これ以上どうすればいいのか、さっぱり分からねえ」

 彼は決して悲観しているわけではない、諦めていないからこそ目の前の事実を把握して次の行動を模索したいのだ。


「だが、あんたなら先のことをもう考えてるんじゃねえのか? だからあの男をわざわざ逃がしたんだろう?」

「んー、そだネー」

 顎に指をあて首を傾ける黒音に、視線が集まる。


「とりあえず次の作戦は決めてあるヨ」

「! そうか、聞いてもいいか?」

「ウィ――


 …………――え?


「く、黒音⁉ それって」

 天奈は思わず詰め寄った。


「明日、旗乃条を倒して結界を破壊して……この街を支配する怪異の全てに決着をつけるヨ」

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