第28話 一先ずはお開き

「特にそこのお嬢さん君の力は余りに危険過ぎる、何なのだソレは?」

 濁れた目が天奈へ移される、意外と整った歯並びが覗く笑みで見て来る彼の不気味さに、天奈の肩は跳ねた。


「わ、私?」

「君だよ君、昨日のホテルでの戦闘の一幕、闘争蔓延とうそうはびこる渦中で、穢れを消滅させるとは思いもよらなかった、弾くでも躱すでも防ぐでもなく……塵芥ちりあくたの如く、本当に肝を抜かされた」


 穢れの一部が旗乃条の体に纏わりつく。ぱくりと開いた傷跡に塗り込まれる様は目を背けたくなるが、当の彼は痛がるどころかむしろ表情筋のこわばりが消えて穏やかになる。


 まさか、穢れがあの男の傷を癒している?


「極めつけは先程の所業、あの少年の本能を支配していた闘争を打ち消してしまった」

 穢れに濡れた左手を上げバスの大柿を指さす。


「この結界の中に居る者達は人間も物の怪も区別なく闘争赴くままに争い、喰らい、殺し、穢れを飲み干し、、それこそが天魔錬成の正しき秩序ルールだ」

「ルール? さっきの人達みたいに無茶苦茶に傷つけ合うのが正しいって言うんですか⁉ そんなのってっ」

 命を軽んじる無慈悲な言い回しに、天奈は思わず声を張り上げてしまった。


「そうだ、君のせいで穢れも闘争も掻き消されてしまい戦いの火種は不完全燃焼のまま煙となった、コンダクターのように戦うなら歓迎しよう、ああいや、あそこまで完封されても困るな、


 旗乃条は右手を上げると手のひらの上に、野球ボールより一回り大きい艶やかな水晶が現れた。鈍い輝きを放つ水晶に応じて前面の穢れが大きく膨らむ。


「君は術そのものを根底から否定する、あってはならない忌むべき存在だ。故に、退場してもらわねば、な!」

 かっと目を見開き男は水晶を掲げる。膨らんだ穢れが一瞬だけ制止。

 中からソイツが飛び出てきた。


『ビイイイーーーーッッ!!!!』


 大木のように太く長い身体、網目状の茶色い皮膚、縦に鋭く伸びる巨大な一つ目。

 無数の牙が生え揃った顎を限界まで開き、ソイツは天奈目掛けて突進する。


 黒音は即座に反応した、右手で天奈の腰を掴み引き寄せ飛び上がり、危なげなく回避した。目標を失ったソイツは勢いままに道路の石壁に衝突する。


 轟音と共に砕かれる壁、砂埃が舞う中、ソイツは己の体を鞭のようにしならせる。

「え、あ、アイツ⁉」

 バスからソイツの姿を目視した潤子が声を荒げる、上空で黒音に抱えられた天奈も真下に居る襲撃者に驚愕した。


「どうして⁉ あれは黒音が倒した筈なのに⁉」

 忘れる筈もない、未だ色濃く鮮明に残った光景。

 穢れの中から現れたソイツは二日前、天奈達を襲い、黒音の刃にて両断された……一つ目の大蛇。


「天奈、ベロ噛んじゃうからお口チャック」

「ひぅ⁉」 

 黒音が腰を掴んでいる指に僅かに力を籠める、引力にに逆らい不可思議な力で浮遊していた二人に目掛けて、地上の砂煙から大蛇の尻尾が槍のように細く伸び襲い掛かった。


 黒音は空気を蹴り天奈を支えたまま横に避ける、尻尾は更に鞭として乱雑に叩きつけて来きた、その一撃一撃をタンゴのように回りながら確実に躱し、タイミングを見計らい地面へと高度を下げる。

 

「主様の推測通り、存命していましたかっ」


 黒音の回避とほぼ同じタイミングで飛び上がったホタルは、うごめく大蛇に疾風の刃を打ち込んだ。幾つもの風が尖った皮膚に直撃して大蛇の雄たけびが一面に木霊こだまする。

 空気が叩かれる衝撃を肌で感じながら黒音達は離れた位置にふわりと着地。


「不味い、あんなのが暴れちまうとバスも下手に動かせねえ、アイツらを何とかしねえと」

 喧騒の中、道広は妹の朝果麻を運転席真後ろの椅子に寝かせ、急いでドアから身を乗り出す、加勢すべきか? 力強く拳を握り朧車の車輪を浮かせる。


「どうしよう穢れがこっちに近づいてるよ、あれに触ったらマジヤバいから」

「ああ、よーく分かってる」

 潤子の言葉通り、旗乃条の周囲から吹き出していた穢れの一部がバスの方向へと流れ込み行く手を遮る、黒音組とバス組は完全に両断されてしまった。


「やっぱりその蛇さん君の妖霊か、ううん蛇さんだけじゃない、昨日の虎さんもさっきのお猿さんも、ぜーんぶ君の差し金」

「この妖は私が天魔錬成を起動させたときに、術その物から賜った特典……いや恩恵みたいなものだ、穢れとこの者達を自由自在に使役する権利を私は得た、そしてこれらを育て上げ、我が悲願を完遂させるのだ」


「蛇、虎、猿、フムフム、おおよそ想像つくけど、やっぱりその子達の正体は

「さて? ご想像にお任せするとも……今更ながらしゃべり過ぎてしまったな、くく、悪い癖だ」


 黒音と視線と言葉を交わしていた旗乃条、煙から戻って来た大蛇が彼を中心にとぐろを巻く。蛇肌にはいくつもの裂傷が見受けられるが獰猛どうもうな殺気は衰えることは無い。


「その少女は始末したいが、コンダクター君が傍に居る限りそれは困難を極めそうだな」

「モチ♪ 天奈には指一本触れさせませんので、そのつもりでネ」


「そうか、では今日この場は――尻尾を巻いて逃げるとしよう」

 旗乃条は再び水晶を光らせる、それに反応して穢れが彼と大蛇を球形に包み込み始めた。


「逃げる⁉ 黒音っ」

 ようやく出会えた異変の真犯人が再び姿を眩ませようとしている、天奈は慌てて黒音の肩を掴むが、当の黒音はその場から動こうとしない。


「今回のことでよく分かった、やはり黒幕はそうそう表舞台に出るべきでは無いな、余計な慢心まんしんと好奇心のおかげで手痛いしっぺ返しを受けてしまった……今後は穴倉の中で悲願達成が成就するのを、胡坐あぐらをかいて待つとしよう」


 チョコレートソースのように滴り落ちる球形の穢れの隙間から、旗乃条は別れの答辞とうじを述べる。天音は堪えきれず穢れ諸共に稲荷の光を浴びせようとしたが、それは黒音に制された。 


「さらばだ、お嬢さんカラス君そしてコンダクター、もう会うことは無いかもしれんが、この街が終わるその時まで意気軒昂いきけんこうでいることを願っているよ」

「アハハ、メルシー旗乃条加見津、もしまた喜劇の再会を果たした暁には、因果応報いんがおうほうなお礼参り、たっぷり味合わせるから楽しみにしてネ♬」

「ま、待って、黒音⁉」


 ニッコリと天真爛漫てんしんらんまんな笑顔を見せる黒音の姿に旗乃条も唇を歪ませる。

 天奈の叫び空しく、穢れは男と蛇を完全に包み隠し、周囲の穢れ全てを引き連れて、地面に一気に沈んで行った。

 

 後には何もなく、皆は静かに、何人かは唖然として佇むだけ……。

 突如現れあらゆる情報を語った真犯人、旗乃条加見津。

 男はもう二度と姿を見せることは無いと宣言して、黒い笑みを残しながら、そのまま消え去ってしまった。 


「っ、黒音、どうしてあの人を止めなかったの⁉ あの人が犯人なんでしょ、だったら!! ……ぁ、もしかして何か理由がある?」

「ウィ、そんな所カナ♬ 今ここでアイツ殺しても事態は何も解決しないからネ、ここは見逃すのが正解ルート」

 旗乃条との邂逅で天奈は冷静さを欠いてしまっていたが、黒音のソプラノの声を聞き、思考回路が鮮明に働き始めた。


 そう、そうだ、この数日の黒音の行動には何かしらの意味があった。

 だからこそ、ここであの人を見逃したことにも意図があってのこと。


「そっか……ごめんなさい、私あの人の言葉を聞いて頭が真っ白になって」

「んーんいいよ、怒って当然なんだから気にしない気にしない、気持ち悪かったよネーあのオジサン」

 意気消沈いきしょうちんした天奈の銀髪を黒音は優しく撫でる、そんな大人の対応に天奈は自身の幼稚さと短慮さを実感して猛省する。


「残念な事にアイツを片付けても結界は消えないんだよ、街を支配する術式、天魔錬成を消すには、殿まつ

「? 祭殿? 呪物?」

「とりあえずホテルに戻ろう、そこで色々話すから」

「……うん」


「流石に追撃は無いと思いますが、長居しすぎたのも確か、皆様を連れてここから離れましょう」 

 いつの間にか近くに寄っていたホタルが促してくる、バスへと目線を向けると潤子が早くこっちへと手を振っている。


「安心して、次に繋がる一手はちゃあんとゲットしたから、あのオジサンの言葉通り、僕達の前に姿を見せたのはとびっきりの悪手だったヨ」

 黒音は大鎌の切っ先を天奈に見せる、結界と雲と霧に光を遮られたこの場においても刃は清廉な輝きを見せる。

 鋭い刃の先端には赤黒い液体がこびり付いていた。


「これって、旗乃条って人を斬った時に付いた血?」

 気づいた天奈に黒音は嬉しそうに頷く。

「ウィ、さあてといい加減この後手後手な状況にも飽きて来たしネ、そろそろ反撃タイム始めようかナ」

 金色の瞳の奥に宿る瞳孔が、悦楽を示して縦に伸びた。

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