第27話 旗乃条 加見津

 裂けたローブの中から見えたのは、何も変哲の無い色褪せた灰色のスーツの上に着た白衣、着飾る男は百八十近い細身の身長。

 痩せてえくぼを見せるほほ、深く刻み込まれた無数のしわ、肩まで乱雑に伸びた白髪交じりの髪。


 立つのは、街中で見かけても違和感を感じない初老の男性。

 その楕円だえんの目は、慌てる様子を見せず黒音と天奈をじっくりと観察していた。

 

「いきなり、なんだアイツは?」

 朝果麻を抱きかかえたまま、道広は突然現れた男に困惑の視線を投げる。

 隣の潤子も同じ反応だ。さっきまで傍で回っていた黒音が突然、大鎌を投げ飛ばし消えた、と、思ったら、今は天奈を抱きながら反対側の端に姿を見せている。


 緊迫した濃霧広がる高速道路、山の如く動かない各々、状況が分からずバスの窓から不安げに視線を投げる男性達。

 その中で天奈と道広の魂に宿る、稲荷神と朧車の霊気の形代が宿主に警告を告げる。


 ――あの男は我らにとって紛うことなき、敵だと。


 そして今さっき、黒音が口ずさんだ真犯人の三文字。


 思考の歯車がカチリとはまり、導き出された事実に天奈の唇が震える。

「まさか、あの人が?」

「改めてクエスチョン、君が今回の異変を引き起こした首謀者で合ってるカナ?」

 微笑を絶やさずも山猫の眼光で黒音は質問する、対して白衣の男は威風堂々、否、信号待ちをしているサラリーマンのような表情で口を開いた。


「ああその質問は的を得ている、では質問に答えねばな――如何にも、私がこの矢染市を作り替えた首謀者だ」


「「「!!」」」

 その言葉は天奈、潤子、道広に氷河が砕けた衝撃を心身に味合わせる。


「初めまして諸君、私の名は加見津かみづ――旗乃条はたのじょう加見津かみづだ」

 白衣の男は周囲に目線を送り、無骨な表情のまま僅かだけ頭を下げた。


 あまりに自然な仕草、まるで今から退屈な教鞭を取ろうとしても納得してしまいそうな立ち姿に毒気が抜かれそうだ。

 しかしこの人が首謀者、この矢染市を地獄に作り替えた真犯人。

 

「この人が……この人が、街を、皆をっ」

 天奈は思わず黒音のゴシックドレスの胸元を握りしめる、服が皺になってしまうが黒音は咎めることなく、沈黙を以て少女の怒りを受け止める。


「旗乃条、覚えのない名ですね、どこぞのはぐれ退魔師それとも呪術師でしょうか?」

 旗乃条の背後にホタルが降り立つ、それは黒音と共に挟み撃つ位置取り。一人一羽は臨戦態勢を構える。

  

「残念だがそんな大層な存在ではない、私は只のいち学者に過ぎんよ、民俗学専門のな」

「学者さん? うーんソレは僕の予想から外れたなー、さぞ名のある悪徳陰陽師の仕業かと思ったんだけど、ちなみにこれって組織だった犯行デスカナ?」

「いや? この術は私一人で作り上げた、なかなかに苦労したよ」

「アララまさかの単独犯、推理がことごとく外れちゃった、ホームズの才能皆無だなー僕」


 まるで朗らかな主婦たちの昼過ぎの談笑、しかし裏に見え隠れするのは腹の探り合い。黒音の瞳は旗乃条の一挙一動を見逃そうとせず、ゆっくりと天奈を自身の背後に誘導する。


 急――律。羽音ほどの小さな声でホタルは詠い、緑の右羽に風を収束させる。緊迫した空間は今にも破裂しそうな危機感を募らせた。


「ああそうだ、こっちはまだ自己紹介してなかったネ、僕の名前は音羽黒音、只のいち部外者だよ、コンゴトモヨロシク♬」


 スカートの裾を掴み優雅に黒音はお辞儀する、そしてその自己紹介を聞き始めて旗乃条の表情に変化が見えた。

「音羽、黒音……ああ、やはりそうか君があの、“コンダクター”か!」

 初老の顔は子供のような笑みを見せ興奮している様を見せつける。


 コン、ダクター? 指揮者? 聞き慣れない単語に天奈は困惑しながら黒音を見る。旗乃条は周りを気にする事無く、続きをまくし立てた。


「耳にしたことがある、日本全域に存在する数多の怪異に対処する為、正式な法の下、確立された退魔の組織が幾つか存在している……しかし秩序を無視し異変に外から介入しては自由気ままに狩りを始める残虐なる一味が存在すると、退魔と怪異の怨敵」


 そこで一息つき、次の言葉を静かに述べる。

「一味はこう呼ばれている【嘲笑あざわら蝙蝠こうもり】、と」


 旗乃条の説明に黒音は、どこか嬉しそうに唇を舐めた。

「そして【嘲笑う蝙蝠】を束ねる首領しゅりょうの名が……【コンダクター】、音羽黒音」


「――……へー、只の学者なのにそこまで知ってるんだ、アハハ僕も有名人の仲間入りを果たしたのカナー?」

「その燃え盛る赤髪に巨大な鎌、そして常識を逸脱した戦闘力、耳にした通りだ、こうして相まみえて光栄だ」

「そう言われるとむず痒いネ、残念だけどサインはついさっき完売しちゃったから、ささやかなトークショウで許してネ♪」

「クク」

「アハハ」


 互いに敵同士でありながら、彼らは朗らかに語り合うその絵面は、噛み合わない歯車のように酷くいびつに感じられた。


 黒音の背後で旗乃条を睨んでいた天奈だが、彼が語る黒音の情報に心がくすぐられた。


 私の知らない黒音、私が知らない、彼の空白の七年間。

 怪異を狩る者、嘲笑う蝙蝠、コンダクター。


 その情報のどれもが知識の範疇を越えた言葉、しかし決して零さないよう頭の中に強く留め記憶した。


「あっ、そだそだ肝心なことがあった、学者先生もう一つ質問イーイ?」

 胸元に近づけた右手の親指と人差し指を天へと伸ばし、黒音は可愛らしく首を傾ける。

「うむ何だね? 中々に有意義な時間、もうしばらくは質疑に答え、」


「さっき天奈殺そうとしたよね?」

 

 ――――黒音から笑みが消えた。


 瞬く間の時、閃光の如くゴシックな彼は突撃する。

 誰も黒音の速さに反応できない、天奈と再会を果たしてからの数日で初めて見せる異端の俊足。

 

 コツリと小さな足音が旗乃条の耳に届く。

 彼は、黒音は既に眼前に居た。

 荒巻く髪、揺れ踊るフリル、開かれた瞳孔、血管が浮く程に両手で握りしめた蒼き大鎌。

 全霊を込めた一閃、黒音は大鎌を振り払う。


「「「!!??」」」


 その一撃は空気を裂き、大地を割く、高速のアスファルトに深く抉れた切り傷を作り出した。突然の奇襲に旗乃条は反射的に後ずさる、黒音は振り払った柄から片手を放し、ゆっくりと顔を上げた。

 

 数秒遅れてぷつりと白衣の右肩に切れ込みが入る。

 大鎌で切り裂いた傷が袈裟懸けに開いた。


「ぐあああっっ!!??」

 激痛から悲鳴が道路に響く。


 裂かれた傷から斜線上に噴き出る赤黒い鮮血、それはこの男が人間であることを如実に証明している。


「ぎゃ、ぐ、ううああ」

「それぐらいで痛がらないでヨ、真っ二つにしないように、ちゃあんと手加減したんだら♪ さぁ談笑の続きしよ? さぁさぁ、ハリーハリー」


 尖った柄の先で地面を叩き、黒音は冷徹に言い放つ。人としての感情が一切感じられない零度の声、天奈はこの空間の温度がぐっと下がったような錯覚を覚えた。


「あ、ぐうう、ぁが、く、くくく、い、いや参った、痛っ、ま、まるで見えなかった、そして反応もできなかった」

「あっさり斬られたから拍子抜けしてるヨこっちは、反撃くらいは来るカナって」

「む、無茶を言うな、こちらは生まれて此の方、喧嘩の経験もない一般人なんだ、君みたいな異端者と同じにしないでくれたまえ」


 旗乃条は斜めに斬られた胸元を右手で押さえながら息も絶え絶えに返答した、痛みを我慢する為、作った笑顔はあまりに歪んでいる。噴き出た大量の血がアスファルトに飛び散り、丸い血だまりが完成しつつあった。


「只の一般人がこの術式を構築できたとは思えませんが、今の動きを見た限り、まさか本当に素人? それが街を覆いつくす事態を引き起こしたと?」

「その通りだカラス君、ぅぐっ、私は君達と違って術も技も何一つ使えない素人以下だ、ああ痛い」

 

 旗乃条はふらつく足でかろうじてその場に留まる、その姿には黒幕としての威厳が欠片も感じられない。不思議な事に黒音もホタルも相手に追撃の手を加えず、ただじっと様子を窺っている。

 

「街を覆うこの術式も長年の見聞を元に道具だよりで再現した物だ、私は霊気も霊感もからっきしだからな、本当に苦労した……ふぅー」

 一通り語った旗乃条の呼吸がようやく落ち着く。


「だが、今は事情が変わった……このような芸当すら出来るようになったのだ」


 そう低く確かな声色で呟いた瞬間、旗乃条の足元から、どす黒い穢れの水が一斉に噴き出した。


 瞬時に黒音はその場から下がり天奈の元へと戻る、粘っこく大きな泡の穢れは旗乃条を守る外壁として波打つ。 


「誰にも決して壊させはしない、私の悲願、私の願望、私の研究、私の集大成、私の至高、私の大術式――……【天魔錬成てんまれんせい】をな」


 初めて男は人から踏み外した笑みを皆に見せた。

 それは常人とも善人とも思ってはいけない。


 邪悪、その具現であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る