第三章

第20話 結界の眼前へ歩を進む

 翌日の九時過ぎ、黒音達は一早く出かけの準備を整え、危ないからやめなさいと止めて来た潤子の両親を『友人の安否を確かめる』と誤魔化し、玄関前に待機していたタクシーに乗り込んだ。

 

 次なる行先は広大なる紫の結界、その外壁。

 消防隊の隊長から教えてもらったバスの行き先。

 

 ホテルを出発してから二日、結界の突破を目指す彼らがどうなっているのかは誰にも把握できない切迫した状況。

 哀愁の風吹くオフィスビルを走り、川の水が緩やかに流れる大橋を通り抜け、街灯と樹木が整然と並ぶ国道を走り続ける事しばらく……。

 左右から田畑が見え景色が平面に広がり始めたころ、結界が目と鼻の先までに迫っていた。


 天奈も潤子も鼓動が早くなる、今まで遠くで眺めるだけだった巨大な檻、もうすぐその様を間近で目撃する。市の境から数キロ手前、結界の壁が反り立つ臨界点。


「……ンー、やっぱりこうなってたかー」

 発達した視力で、結界の足元を注視した黒音がボソリと呟いた。


 ◇◇◇◇◇◇


「そんな、こんな事って」 

 天奈は目を背けたくなる光景に唖然と立ち尽くしていた。


 タクシーを降り結界まで二十メートル手前の地点まで歩いてきた三人一羽、そこに広がっていたのは……地獄だった。


 結界の壁に衝突し座礁ざしょうする数多の乗り物。

 最前面の乗用車のフレームはものの見事にひしゃげ、そこから後続が次々とぶつかり乗り上げ積み重なった結果、小さな断崖だんがいが完成されていた。


「僕が入って来た場所もここと似たような状況だった、きっと結界の近くはどこもこうだろうネ」

「矢染市が覆われてからさほど時間はかからずにこうなったのでしょう、怪異に追われている恐怖から冷静さを失った多くの人間が結界を突破しようとして……無惨な結果となってしまった」


 ホタルは左右を見やる、道路から外れた田畑にも大破した乗り物がいくつも転がっていた。


「あの結界は本当に硬いからネー、そーら!」

 黒音は大鎌を招来、勢いままに結界へと投げつける……しかし紫の結界に衝突した大鎌は鈍重な音と共に弾かれた。


 大蛇や大虎を容易く切り裂いたその刃を以てしても、結界に傷一つ付けることは無かった。


 この悲惨な光景と現実に潤子は天奈の腕を掴む、それに頷きで返した天奈は大破した車たちをじっくり眺めた。


 潰れた車の残骸ざんがい、割れたガラスから微かに見える……折れて曲がった腕、乾いた血飛沫ちしぶきの跡、垂れる長い黒髪。

 この幾つもの車の中には、まだ人が残って、


「見ちゃダメ」


 視線を遮り黒音は二人の前に立つ、そして諭すように首を横に振った。

「見すぎると死者に引っ張られるヨ、気分の良いものでも無いしネ……そこまで気負う必要は無いんだヨ」

「うん、バス見当たらないね」

 多くの遺体から目を逸らしゆっくりと呼吸を整える、改めて周囲を見渡すと探しているバスの姿はどこにも無い。


「ここの筈なんだけどな、どこ行ったんだろ?」

 潤子はスマホのマップを操作しながら、うーんと首をひねる、聞いた場所はここで間違いないのだが、はて、これは一体?

 

『キキ』


 何処からか、声が聞こえた。

  

「二人は下がって」

 うながす黒音の瞳は、乗用車の残骸に向けられている。

 天奈と潤子が後ずさりすると、カタカタと残骸が小刻みに震え始めた。


『キキキッ』


「わわっ、何あいつ等⁉」

 潤子は瞬きを繰り返し、反射的に霊剣―アメンボを握りしめる。


 残影から姿を現したのは、額に一本角を生やした小人。

 幼稚園児程度の身の丈、青黒い肌、ぽっこりと膨らんだお腹、それなのに異様に細い手足、刃物の様に尖った爪と牙。

 どす黒い目で睨みつけながら、小人の団体が立ちはだかった。


、どうやら結界の傍で群れを成しているようですね」

 ホタルは、平常を崩さず黒音の隣に降り立つ。


「小鬼? あれは鬼なんですか?」

「そうです天奈様、鬼の中では最も下級の餓鬼がき、大した敵では無いのですが群れる習性があります」

「そ、そんなのがなんで居るんですかぁ?」

 シャーと唸る小鬼たちに肩を震わせながら、潤子が問いかける。


「黄泉が溢れた世界ですから、鬼が居てもおかしくありません」

 淡々と語るホタルを他所に、小鬼の群れはこちらへ襲い掛かろうと走る。


 ギィーーンッッ!!


 空間を裂く甲高い音――黒音が大鎌で足元のアスファルトを切り裂いた音だ。

 烈風が小鬼を襲い、歩みを躊躇させる。


「一番槍は誰カナ? むごたらしく殺してあげるヨ?」

 狂気の笑みと厭忌えんきの瞳……射抜かれた小鬼たちは恐怖に震え始める。

「アハ、天奈、あの子達に稲荷の光を当ててみて」

「え、うん?」

 天奈は言われた通り動けない小鬼たちに向けて、穢れ無き薄白い手をかざす。


「……【いろはに、ほへと】」


 昨晩、潤子の家でこの力を何度も試した。


 手のひらから出る光の強弱、操作の多様性、人体にはどう影響が出るのか。

 その過程で分かった事、無言でも光は出せるが心に刻まれた一文を詠むことで、一層力強く輝きを増した。

 ホタルさん曰く、霊気の収束度が高まった……との事らしい。


「【ちりぬるを】」

 故にこうして詠みながら稲荷の光は放つ……それはまるであけを告げる煌めき。


『キキッ、ギアァ⁉』   

 一斉に上がる、恐怖心からの悲鳴。

 

 稲荷の光を浴びた小鬼、その身は勢いよく焼かれ、煙と苦悶の声を上げながら、蜘蛛の子を散らし逃げて行った。

「き、効いた?」

 自身の力が通じたのか半信半疑のまま天音は立ち尽くす。

 しかしその後も小鬼たちは姿を見せることなく、静寂に残骸だけが残り続けた。


「予想ぴったり、イケナイ子達は稲荷の光が怖いみたいだニャー」

「怪異は多かれ少なかれ穢れが血の一部として体内を流れています、その者の意思が邪悪であるほど穢れはいんに傾く」

「だからこそ稲荷の光の影響を強く受けてしまう……この大術式に対しての天敵だネーコレ、ウィ、ウィ♪」

 目先の怪異が去り、一連の出来事に感心するホタルと黒音。


泡沫うたかたの運命だと思ってたけど、本当に必然だったのかも……――」

「? 黒音どうしたの?」

 突然黙り込んだ黒音に天奈は問いかける――と。


「フフ、アハハ、アハハハハハ!!」


 突然、この場を顧みず黒音は嬉しそうにクルクルと回り始めた。

 ゆらゆらとしたリボン、ゴシックは舞い踊る、それは一見すると麗しき少女の歌謡劇かようげき


あま風雲かぜくもかよ路吹ぢふきとぢよ、乙女おとめ姿すがたしばしとどめたいから! アハハハ!!」

 

 詠い回り続ける黒音を天奈達は不思議そうに眺める――どうしてそんなに嬉しそうなのだろう?

「ああっと、お二人は気になさらずともよろしいですよ、主様の奇行は普段の事ですから、まあ今回は喜ぶお気持ちは分かりますが、ね」


(天奈様の力、もしかしたらこの事態をへと導けるかもしれない、主様もそのことに気付いた……)


 それから黒音はひとしきり回った後、何事も無かったかのようにブーツの先でアスファルトを数回叩く。

「ふう、さーてと、お目当てのバスは見当たらないし、これからどうしよっカナ?」


 事態がわき道にそれていたが、当初の目的はバスの捜索だ。

「ここに居ないってことは別の場所に移動したのかなあ? でもそれじゃ探しようが無いよ」

 潤子の言う通りだ、教えてもらったこの場所から移動したのなら、探すのは余りに困難だ。


「ホテルで得た情報通りなら、怪異融合者の男性が共に居るはず、その方の霊気の残留があれば辿ることもできるのですが……」

「もしくは誰かに聞いてみるとか? ホラ、周りに色々居るし」

「色々?」

 黒音の提案に天奈は周囲を見渡す、色々とは……。


 見当たるのは異界の存在達。

 

 ゴンゴンと看板の柱に何度も頭をぶつけるサラリーマン。

 列組みながら歩道を転がるしゃれこうべ。

 田畑の土から生えてうごめく幾つもの腕。

 その腕にハトの餌を与え続ける大柄な案山子。

 遠くからこちらを見つめて来る、背がとても高い白いワンピースの女性。

 先程からずっと周りを飛び跳ねる、唐笠お化け。 


「話、出来るかなぁ?」

 流石に無理ではないかと天奈は冷や汗を流す、何か他の手が無いかと考え直そうとすると。


『『おーにさん、こちら、てーのなるほうへ』』

『はーーいーー』


 この場には似合わない軽く陽気な子供の声、三人一羽は通ってきた道路へと振り返る。

 薄霧の向こうから走って来るのは二人の少女、それを追いかけるもう一人の少女。

 六、七歳くらいの小さな背丈、切り添えられたおそろいのおかっぱ頭。三人はそれぞれ薄い赤、青、黄色の小袖こそでを着ている。


 生気を感じられない青白い肌に真黒な瞳……そして僅かに透けた体。

 

 幽霊の子供たちは楽しく追いかけっこをしながら近づいてくる。


『ねーねー、お姉さんたち何してるの?』

『ここで遊んでるの? 蹴鞠けまりかしらそれともお手玉?』

『一緒に遊びましょうよ、それはそれは楽しいわ』


 キャッキャッとこちらを誘う無邪気な笑顔、亡者であるのに邪気は感じられない。

 そんな姿を見た黒音が三人に歩み寄った。


「そだヨ、何を隠そう僕たちはかくれんぼの鬼、息をひそめて草陰にしゃがむねずみを探している最中なんだ」

 そう言いながら膝をつき子供たちと目線を合わせる。

 

『まあかくれんぼ! それはそれは楽しいわ!』

『だったら急いで、隠れっ子を見つけないと』

『時間が過ぎると隠れてる方も退屈して、欠伸をしちゃうよ?』


「ウィそれで質問だけど、ここに大きな乗り物でやって来た団体さんが居なかったカナ? その人たちが僕たちの探し鼠」


 小袖の子供霊たちはお互いに顔を見合わせた。


『大きな乗り物、もしかしてアレかな?』

『お兄さんお姉さんが沢山乗ってたアレかしら?』

『昨日の前の日に来てたアレだよね?』


『そうだ言ってた、次はアッチに行こうって』 

『遠くで見てたけど、アッチだってちゃんと聞こえたわ』

『お姉さん! ネズミさん達は多分アッチに行ったよ』


「アッチって?」

 黒音が尋ねると、三人は頷き元気よく声を合わせた。


『『『せーの、高速道路!』』』

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