第16話 狐は光となりて

『けーん』


 この大異変が始まり何度も聞いてきた鳴き声。しかし狐さんでも今の状況を救う事は叶わないだろう。

 天奈を襲う大量の穢れ、一切の抵抗空しく黒き奔流に飲み込まれた。


 視界が黒に塗りつぶされ何も見えなくなる。体は濡れ、焼けるような熱さと共に生きている実感が急速に失われていくのを感じた。

 

 私を溺れさせるこの水は……死? 私、死ぬ? 分からない、分からない。

『けーん』

 狐さん、私どうすれば良かったのかな? 助けようとしなければ、そもそもここに来なければ良かったの?

『けーん』


 でも、もう目を逸らしたくなかった……この十一日間、散々見捨てて今更都合がよすぎると思うけれど。

『けーん』

 もう誰も見捨てたくない、手を伸ばしたい、私は――全てにあらがいたかった。

『……けーん』


 だったらこの結果は私の自業自得ね、何の力も無いのにわがままを言ったからこうなった、気を付けろって言われたのにね。

『……』


 ああ、体の感覚が分からなくなってきた、瞼も重く……。

 ごめんね、黒音、潤子……私もう。

『――まだ抗う勇気はあるかい? 佐久野天奈』


 狐の声が、人の声に変わり語り掛けてきた。凛としてどこか落ち着く女性の声。


 え? この声は狐さん?

『人を命を救いたいという願い、それは決して間違いではない。力が無いと嘆くなら、私があげるよ君が望む光を』


 ひかり、皆を助けられる光。

『改めて聞くよ、まだ立ち上がれるだけの意地は残ってるかな?』


 わたし……私、私は、私は!


『答えを聞くまでもなかったね、それじゃ今すぐ起きて佐久野天奈――君に豊穣と浄化の祈りを』

 ありがとう狐さん、私……諦めない、絶対に。

『お願い、どうかこの街を照らしてくれ』


 狐の声は遠ざかり、天奈の魂に光玉が灯される、それは怪異集合者としての力の目覚め――。


 ◇◇◇◇◇◇


 玄関入り口は穢れが爆発して一帯を飲み込む、天奈を庇いきれなかったホタルは泥の中から飛び出し、潤子達は消防車が運よく壁となり届くことは無かったが、間近に居た天奈は穢れに飲み込まれ姿を消した。


「天奈ぁーーー!!!!」

 天を貫く黒音の叫び、体中にぶつかる穢れをものともせず天奈の所へ走る。

 金色の瞳が輝き穢れを越えた赤黒い妖気が、その体から鋭い枝の如く生えて来る。


「【聖夜せいやとばり古時計ふるとけいいただきをえ、これより堕ちるは、由旬ゆじゅん見開みひら八煉獄はちれんごく】」


 黒音が紡ぐ呪言じゅごん、天奈を助ける為にナニカする気だ。


「⁉ 主様いけません⁉」

 気付いたホタルが中空から制止の声を上げるが、今の黒音には届かない。

 

 燃え盛り広がる、底の見えない黒音の霊気。

 空気を伝い、生者、死者関係なく恐怖が伝染し始める

 何かが、死すら生温い地獄が起きようとする。

「【禍津界開演まがつかいかいえん、あた――】」


 そのナニカを言い終える前に、穢れの塊の中から無数の木漏れ日が外に向けて差し込む。

「っ、この光、もしかして⁉」

 呪言を止めた黒音は、その光に驚愕して立ち止まる。


 どうしてか予感めいたものがあった、この光は天奈が……。


 木漏れ日は大きくなり、眩い極光が周囲を照らした。

 あまりの明るさに皆は目を瞑る、その中で黒音とホタルだけが光の中の現象を確かに目撃した。


 光を浴びた穢れの塊が瞬く間に蒸発し、黒き煙が桃色の破片へと変わり露散。そして消滅した穢れの塊の中から、座り祈りの体勢を取る天奈の姿が見えた。

 

 脱兎だっとの如く、黒音は彼女の傍に駆け寄った。

「天奈、大丈夫⁉ ケガは、擦りむいたり痛いところ無い⁉」 

 光輝く彼女の肩を抱き、黒音は必死に呼びかける。それに対して天奈は落ち着いた表情で振り向いた。 


「黒音、私この穢れを消すことが出来るかもしれない」

「それって……そっか、お狐様と話をしたんだネ」


 彼女の凛とした声を聞き、黒音はある程度の事情を察した。

 

 天奈が頷くと、二人の目の前にしつこく穢れの球体が現れ膨張し始める。

 しかし天奈の表情には、もう焦りも恐れも無い。


「ずっと逃げてばかりだった無力で何も出来なくて、それを仕方ないって済ませるのがどうしようもなく嫌で……でももう私は――」


「どんな事もやって見なきゃわからない、天奈が信じた事をやればいいんだヨ♪ 大丈夫、ちゃんと見てるカラ」

「うん」

 ぎゅっと肩を抱く黒音から勇気の一欠けらをもらい天奈は左手を穢れに向けた、遠くから潤子が皆が、その行く末を不安そうに見守る。


 天奈の思いを受け止め、全身から流れる霊気と妖気が左手に収束する。

(大丈夫、不思議と頭に浮かんでくる、ちゃんと詠える)


「お願い聞き届けて、【――いろはにほへと、ちりぬるを】」


 詠に乗り手の光は放たれた、それは決して畏怖いふするものではなく、むしろ温かく慈愛を持った陽光。

 光は絹糸のように穢れの塊を包みこみ、地面一体に残った穢れも巻き込んでろ過していく。


 そして。

「【けがれにすくいを――いのち絢爛けんらんであれ】」


 詠の最後の一文を以て、玄関口、広場に存在した穢れは全て桃色の破片となり、浄化された。

 一斉に飛び散る様はまるで、しだれ桜の花吹雪。


「な、に?」

 遠い空からそれを目撃した、ローブの男は驚きを隠せない。

 自らが呼び出した穢れが……浄化された?


 黒き穢れは一粒も残すことなくこの場から消え去り、半壊した土地へと様変わりした。僅かに残っていた亡者と虫はその光を恐れたのか一目散にホテルから離れて消えて行った。


 瞬く間に終わる異変、先程までの惨状が嘘かと見間違えてしまいそうだ。

 

 周囲を見渡し警戒を続ける黒音とホタル。

 安心と呆然が入り混じった表情で、ぺたんと座る天奈。

 足元の穢れが消え、天奈の所へ急いで駆け寄る潤子。

 奥の林の陰からこちらを見つめる、背がとても高い白いワンピースの女性。

 おおー、と感心して冷たい溜息をもらす志津理。

 暫く立ち尽くした後、倒れている男性達に駆け寄る消防士達。


「天奈!」

 潤子は勢いをつけて天奈に抱き着いた。


「もうバカ! 無茶しすぎだよ! バカバカ!」

「うん、ごめんね潤子、はは今になって体が震えてきた、本当、無茶苦茶したな私」

「ホントだよ、心配したんだからね、うう」

 ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた潤子の背中をさすり、天奈もようやく一息つくことが出来た。


「そうですね、天奈様が先走った時には、『何やってんだこのバカ!』と、言いかけましたが、まあ結果良しと致しましょう」

「う、ごめんなさいホタルさん」

「うんうん、天奈のやんちゃな所は昔のままだネー、流石の黒音も心臓が六回くらい止まっちゃったヨ」

 地上に降り立つホタル、その横で黒音が大鎌を肩に乗せて楽しそうに笑いかける。


「でもその無茶があったから、神使しんしの力を行使出来たんだヨ、怪我の功名? ちょっと違うカナ」

「しん、し? それって神様の御使いの事?」

「ウィ♬ それは後で話すからとりあえずホテルに入ろう、委員長さんに会うんでしょ、立てる?」

  

 そうだったと、先に潤子が立ち上がり天奈も続こうとしたがその場で動こうとしない。


「ぁ……ええと、ごめん、腰が抜けてるかも知れない、どうしよう」

 怪異融合者として初めて力を使った影響か、それとも穢れに触れすぎた影響か分からないが、ともかく全身に力が入らなかった。


 どうしてか無性に恥ずかしくなり、天奈は顔を真っ赤に染める。


「お疲れ様、天奈」


 大人びた妖絶な声、黒音は大鎌を消しその両手で天奈を担ぎ上げた。

 つまり世間一般で言う……お姫様抱っこで。


「くくっ、黒音⁉」

 あまりに突然な抱っこに、天奈の顔は更に赤く茹蛸ゆでだこみたいに吹き上がる。


「疲れてるなら僕に任せて、ネ」

「黒音さんヤルー、甘えちゃいなよ天奈、あれ、何だろこの木の棒?」

 黒音は軽快にウィンクを飛ばし、その二人を見て潤子はいたずらっ子の目を向けた。


「う、ぁあ、でも、お姫様抱っこ、ぁぅ」

「アハ☆ こういう時は甘えてね~、そっちの方が僕も嬉しい、」


「------」


「!!」

 黒音は突然黙り、広場から離れた空へと振り向いた。

 その目の先には何もおらず、ただ薄暗い紫の結界が見えるだけ。


「……」

「黒音、どうしたの?」

 空を睨み続けるその姿を不思議に思い、天奈が問いかける。

「……んーん、何でもない、さっホテルに入ろう」

 何事も無かったかのように黒音は笑い、玄関扉へと歩いて行った。


 ◇◇◇◇◇◇


「盤石の布陣だった筈、穢れとを呼び出したと言うのに……この結果は何だ?」


 黒音が睨みつける直前に、その空から退散したローブの男。その背には僅かに苛立ちの感情を見える。原因は恐らく、黒音が抱えるあの少女。


「穢れを浄化させるなど、我が術の否定に他ならない、会ってはならない事だ」

 銀狐の少女……あの娘の力は、この結界内の法則を真っ向から否定するものだ。

「このまま観測を続けるか、それとも……排除するべきか?」

 

 ローブの男。この大異変を引き起こした首謀者はこれからの策を思案し始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る