第14話 ホテル 烈戦滅戦大激戦

 高台から更に離れた寒々とした紫色の上空。薄汚れたローブを羽織る男が、空中を足場として立っている。

 凝視する先は、怪異相手に無双を誇る黒音の姿。


「あれが私の結界に、断りもなく入って来た不届き者か」

 映える赤髪に、亡者も虫も紙屑同然に切り裂くあの大鎌。

「もしやあの者、風説に聞き及んだ――」


 く、くくく、男は堪えきれずに笑い声を漏らす。

「ならば僥倖ぎょうこう、まさかこの場にて怪異融合者のみならず、奴まで集うとは」

 男はゆったりと手に持っている水晶を掲げる。

「絶好の好機、折角ださらなる闘争と混沌をまぶそう」


 言葉に続き、水晶が黒く濁った輝きを放ちだした。


 ◇◇◇◇◇◇


「むん?」

 群れを半数以上片付けた時、黒音は微かながらの邪気を肌で感じた。

 きょろきょろと邪気の発信源を探すが、気配は見つからない……代わりに嫌な重低音が耳に届く。


 氷のバリケードへ振り返ると、上の空中に球状の泥……穢れの水がいつの間にか出現し、ごぽごぽと不気味に膨らんでいた。

 天奈達も男性達も対応できず、呆然と眼前の穢れを見つめた。


「っ!!」

 初めて黒音から余裕が消える、残る敵を無視して脱兎の如く天奈の所に飛んだ。

「皆さん、離れてください!!」

 飛翔するホタルが叫ぶ、その声であの穢れがどうなるのか天奈は察知した……が。


 穢れの球体が一瞬縮まり、爆発した。

 ほぼ同時に、黒音は天奈達の前に辿り着く。


 動く暇すらなかった、破裂した穢れは波の奔流となりホテル玄関を襲う。黒音は大鎌を前面に離して激しく回転させた、扇風機の如く回る大鎌は強固な盾となって穢れを弾き飛ばし、後ろに居る天奈、潤子、近くに居た志津理と消防士数名を守った。


 しかし、守れたのはそれだけ。


 他の男性達は逃げられず、穢れの波をまともに浴びてしまう。その威力は凄まじく、受けた消防車と救急車は動かされ、玄関ドアにも大きくひびが入った。


 ホテル内ロビーから外の様子を窺っていた避難民たちは、その衝撃に悲鳴を上げる。


 ……暫くが過ぎ、穢れの波は緩やかに引いていく。


「二人共、大丈夫?」

 黒音が守った後方に穢れは流れ込まず、真っ新な地面が楕円形に広がっている。

「う、うんありがとう黒音、私達は……」

「ゴメン全部は防ぎきれなかった」

 目を開いた天奈に――耐えがたい現実が襲う。


 周囲に広がる悲痛な光景、それは穢れを大量に浴びて倒れている男性達の姿。穢れに汚れた部分から立ち上る毒々しい煙、痛みに苦しむ微小な呻き声が無数に聞こえる。


「そんな、こんな事って」

 目の前の惨状に天奈の顔が蒼白になる。

「やばいよ、あの泥危ないんですよね⁉」

「ウィだから絶対に触っちゃだめだよ、そっちの消防さん達もネ」

 潤子の冷静さを欠いた問いに黒音は頷き、周りに注意を促す。


「黒音……」

「天奈もここを動いちゃだめ、、ばっちぃから触るのヨクナイ」


 穢れに耐性がある、その言葉が天奈の頭の中に強く残った。


「じゃあどうすればいいし? あっちのオジサン達もあのままって訳には」 

 身動きが取れない状況に、志津理が苦虫を潰した表情になる。

 周囲には粘り気の強い穢れが、溶岩の様にボコボコと音を立てていた……歩ける場所は殆ど無い。


「まずは穢れを退かソ、ちょびっと荒療治になるけど、ハバキリで蹴散らして――」

『……――ヒィィ』


 地面の穢れを薙ぎ払おうとした黒音の動きが一瞬止まり、前面の氷のバリケードに視線を向ける。


「ホタルここお願い」

「承知しました、お気をつけて」


 すると空からホタルが着地して、黒音はびちゃびちゃと穢れの中を歩いていく。 

「黒音?」

 突然の行動に天奈は困惑した、すると広場の奥から……何かの足音が聞こえた。

 

 最初はとても小さく、しかし、だんだんと足音は重く大きくなり皆の耳にも届き始めた。

 そして見えるのは、走って近づいて来る巨大な影。


「このタイミングで来ちゃうんだ」

 黒音の一言と同時に、バリケードの中央一角が粉々にはじけ飛んだ。


『ビイイイイーーーー!!』

 氷の破片と亡者の肉片をまき散らして現れたのは、一匹の獣。

 見たことのない程の巨大な虎であった。


「と、虎⁉」

「何だしアレ⁉」


 その獣を見て天奈と志津理、そして皆は大きく動揺した。

 野生に存在する虎のおよそ三倍以上の全長、針のように逆立った黄色の毛並み、口から長く伸びる獰猛どうもうな牙。

 その外見はもはや獣ではなく、怪獣そのものだ。 


 両側とおでこに存在する三つの眼がこちらを睨む。ちょうど視線が合い、天奈はどうしてか昨日の大蛇を思い出した。

 

 似ている? 何処がとはっきりと言えないが……。


 大虎は穢れに囲まれ動けない天奈達に狙いを定め走り出す。


「虎さんの相手はー僕! ミーマイミー!」

 ほぼ同時に黒音が突撃した、一気に距離が縮まり二対は肉薄する。大鎌の刃が走り、大虎は爪を突き出す。

 

 衝突する凶器。激しい金切り音が耳を刺し、切っ先が火花を散らす。

 数秒間の力の押し合い、勝ったのは黒音だ。


「ラアッッと!!」

 自分より何倍もの体躯を弾き飛ばす、後方へ飛ばされた大虎は一回転してバランスよく着地する。

 黒音は大鎌を右手で回しながら、さらに追撃する。

 迎え撃つ虎の噛みつきを難なく躱し、くるくる飛び跳ねて見計らって反撃に移行した。


 鋭利なる大鎌――六閃に及ぶ攻撃。 


 雑に見える大振りでありながら、その実、的確に関節各部位を狙いすました乱撃。

 刃は確かに命中する……が、軽い切り傷を作るにとどまった。

 

 針金のような毛と厚い皮膚が攻撃を防ぎ、決定的な一撃を与えられない。唸り声と共に青黒く禍々しい妖気が吹き上がる。


「硬いナー、その様子だとたらふく、まあこの結界内なららルールを守ってると言えるけどネ」

『ヒィィィィィッ』


 今度は大虎が襲い掛かった、飛び掛かりながら両足を叩きつけ大地を激しく砕く。

 黒音は一瞬だけ天奈達を一瞥して後ろへと跳ね、柄を握る力を強めながら次なる攻撃への動作に移った。


 紡がれる大鎌の嵐、砕き潰す獣の爪牙。

 互いの攻撃は決め手を生まず、戦いは長引きそうに感じられた。


「黒音……ホタルさん私達はどうすればいい?」

 天奈は黒音があの大虎を倒すことを信じて、これからの行動を模索する。

「この穢れは一日ほどで消滅しますが、悠長に待つわけにもいきません」

 ホタルは緑の肩羽を広げ春疾風を軽く放つ、突風により周囲の穢れが幾分か掃われた。


「そこの氷使いの貴女」

「私? ていうか、カラスが喋って、」

「その話題は、今は無しでお願いします」


 ホタルと志津理、面識のない両者が会話を始めた。

「入り口までの穢れを凍らせることは可能ですか、それを足場としたいのですが」

「足場? むぅ、逃げるが正解か、やってみるし」


「では皆様はホテルの中へ避難を、ここは我々で対処します」

「……あの人達は?」

 今まで黙っていた潤子が、倒れている男性達を不安そうに見つめる。


「できる限りは救助します、ですがあそこまで穢れに触れてしまった以上……残念ですが助かる見込みは低いです」

 伝わって来た残酷な事実、しかし分かった所で自分達にはどうしようもできない。ホタルはこの場においての最善を教えている、これ以上の結果は無い、自分の命を優先しろと。


「カラスさん、このホースの水で救助者の泥を洗い流すのは効果があるだろうか?」

 無事だった隊長が、すぐ隣に流れ動いた消防車を指さし提案する。

「何もしないよりはマシですね、頼めますか? 水で薄まった穢れを私の風で押し流します」

「分かった総員、噴霧放水ふんむほうすいの準備急げ!」

「「「了解!!」」」


 隊長を含む、消防士達は慎重に消防車へと近づき、志津理は地面を凍らせ少しづつドアまでの道を作っていく。

 天奈と潤子はただそれを見ていた……今二人に出来ることは無い。


「アハハッ、そろそろむくろを僕に晒してほしい、カナっ!」

 遠くから聞こえる激しい戦闘音、黒音が放つ三日月を描いた斬撃が光を放ち輝く。

 

 十日前と昨日と同じ、自分はただ逃げるしか出来ない。しかしそれが当然だ、自分達には戦う力など何一つないのだから。

 この異常な世界で自分の命を守る為には他人を見捨てるしかない。その選択は決して間違ってはいない。


 胸をじくじくと刺す無力感と罪悪感、天奈は気づかず拳を強く握りしめていた。


『ジジジッッ』

 すると穢れをかき分け、多数の巨大蜂とカナブンがこちらに襲い掛かろうとしていた。

「しつこいですね、大人しくしなさい」

 ホタルは己の身を回転させ、その口ばしで巨大蜂を貫いた。飛び散る破片……しかし尚も空から群がる虫達、ホタルは迎撃に集中する。

 

「ほいっと完了……て、不味いし!」

 玄関入り口までの穢れを凍らせた志津理が突然声を上げる。  

 何事かと天奈達が振り返ると、視線の先――倒れている男性達に虫達が近づき、今まさにその牙で喰らい付こうとしていた。


「ど、どうしよう! 早く助けないと!?」

 わたわた慌てる潤子の声が、また天奈の心を静かに落ち着かせる。


「っ、次から次へとよく来ますねっ」

「まずい、放水急げ!!」

 ホタルは目の前の虫の対処で離れられない、消防車の放水にはまだ時間がかかる。


「……」

 天奈はチラリと足元を見た、男性の誰かが護身用で持っていたであろう、太く長い木の枝が転がっている。


 怪異融合者の君は穢れに耐性があるけど。

 そして先程の黒音の言葉、じわりと自分の心と瞳に宿る一つの決意。

(今、私がやらなきゃ行けないことは……)

 

 大蜘蛛の口が男性の頭部に迫る。


 バシャッ!


「ぇ? 天奈ぁ⁉」

 はち切れんばかりの潤子の声が場に響く。

 天奈は木の枝を握り穢れを踏みしめ、おぞましい虫達へと向かって走った。

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