第10話 深夜の幕間

 黒音の物騒な物言いの後、「そろそろ休みましょう」とホタルの一言で今日は解散となった。天奈は二階の潤子の部屋で、黒音とホタルは隣の部屋を借り各々は就寝。

 ……それから時間は流れ、気づけば零時を越えていた。

 

 天上のLEDは消え、棚のテーブルランプだけが灯された薄暗いリビング。時計の音に今だ消えない外の呻き声。その中で天奈は一人ソファーに物静かに座っていた。


「……」

 疲労を感じるのに一向に眠れず気が付けばここに居た。たった一日で起きた多くの変化、その一つ一つを頭の中で整理していく。

 そして思考が辿り着く先は、やはり彼の事。


「眠れないの?」


 投げかけられた突然の声、リビングの入り口を見ると闇に溶け込んで彼が立っていた。

「黒音」

「隣イイ?」

 天奈が頷くと彼はソファーに腰を下ろす、肩と肩が触れそうで触れない微妙な距離感。


「そう言えばここ潤子の家なんだよネ? 天奈の家は大丈夫なの親は?」

「あ、そっちは大丈夫、両親とも今この街には居ないから」 

 天奈は鼓動が早くなるのを感じながら言葉を選ぶ。


「お父さん今海外に単身赴任中で丁度お母さんが会いに行ってたの、私は学校があるから遠慮したけれど」

「成程、お母さんが海外に行った後に結界が現れて離れ離れになった訳ダ」

「うん、寂しいけれど不幸中の幸いかな、巻き込まれずに済んでホッとしてる」

「そう、あの二人にも会いたかったけど仕方ないかー」

 黒音の声色は少女のような高く心地よい音。

 大蛇と戦っていた時はあんなに荒ぶっていたのに、今は水流のように静かで穏やかだ。


「……ねぇ、黒音」

「むん?」

「私、聞きたいことがある」


 はっきりと黒音と視線を合わせる。

 ちゃんと確かめよう、ずっと思っていたこの疑問を。


「貴方は生きているの? それとも……死んでいるの?」


「……」

 表情を一切崩さず、黒音は沈黙を保つ。

 しかし一度吐き出した言葉は止まらず、湯水の如く次々溢れる。

「私はっきりと覚えてる、七年前、黒音が遠くの県に引っ越す事になって、別れの日の事、その後の事も」


 七年前、黒音の一家の引っ越しが突然決まった。

 私は嫌だと離れたくないと何度も駄々をこね、黒音に慰められる毎日。

 別れの日に互いの再会を強く誓い、黒音達は飛行機で飛び立っていった。


 ……――そして。


「黒音が乗った飛行機が墜落事故を起こして、乗客が全員……亡くなった」


 幼い私に届いた悪夢の一報。

 音羽家が皆亡くなった、黒音が死んだ。


 当時ニュースでも大きく報道された。樹海に墜落した飛行機は粉々になり、乗客達の遺体の損壊があまりに激しく誰が誰なのか分からず、音羽家の葬儀は遺体なしで進められた。

 何が起こったのか理解できなかった、黒音に二度と会えないという事実を理解するには長い時間を要した。


 もう会えない、約束は果たされない――そう絶望したのに。


「なのに、それなのに死んだはずの黒音がこうして目の前に居る、どうして?」

 声が震える、真実を知りたいのか知りたくないのかそれすら分からなくなり始めた。


「こうしてまた会えたのは本当に本当に嬉しい、でもっ貴方は事故で既に死んでいて街はお化けで溢れかえって、そして今ここに居て……もしかしたら目の前の貴方はお化けなんじゃないかって、バカな考えが頭から離れなくてっ」

「天奈」

「お願い教えて黒音の事、私ちゃんと知りたい」


 天奈は言い切り涙目で俯いた、どんな返答が来るのか不安が心を埋め尽くす。

 

 ……そっと、黒音の左手が天奈の頬に触れた。


「ぁ、」

「僕の温度、伝わる?」

 優しく細い指で白銀の髪をすくい、頬を包み込むながら黒音は微笑む。


「ひんやりしてる」

「うーん、それは困った」

「……でも」

 天奈は右手を持ち上げて、黒音の手と重ねる。

「覚えてる、これが黒音の温度」

 頬に伝わる生命の感触、確かにここに存在している証。


「僕はちゃんと生きてるよ、それが答え」

 親指が天奈の涙を拭う、その一言を聞き不安がようやく消える。

「七年前、確かに飛行機事故に遭ったけど、奇跡的に僕は生き残れた」

「そう、だったんだ黒音のご両親は?」


「……生き残ったのは僕だけ」

 黒音は小さく首を振り左手を離す、重ねていた天奈の右手が名残惜しく彷徨さまよう。


「会いに来るって約束、こんなに遅くなってゴメンネ」

「黒音……ううん、いいよ謝らないで生きててくれた、それだけで十分だよ」

 

 互いに小さく笑いあう、天奈は七年越しの時間がやっと戻ってきたことを実感した。


 ◇◇◇◇◇◇


 私の体はどうしてしまったのだろう?

 

 街も家も意味不明な奴らに襲われて、訳も分からず逃げ続ける内に自身の異常に気付いた。


 あまりにも急に、私の体温が失われてしまった。

 肌からは温もりが消え、五月だというのに真冬の冷感が私を襲う。

 

 そして、私が触れた物も温度を失い、

 水も空気も物質も、指先や息で触れたそれらが、ぴきぴき音立て氷塊となり果てる。

 混乱する頭でも流石に理解できる、これは人間の力ではないと。


 何なんだ一体、あのバケモノ達といいこの体といい、人を悩ますのは大概にしてほしい。

 ああもう、トラブルはごめん。

 私はのんびりだらだらとインドアな日常を謳歌おうかしたいだけの、善良な一般市民だというのに。


 この事態は何時になったら終わるのだろう、いや終わってくれるのだろうか?

 

 どうしようか? 私、死ぬのは流石に嫌だ。

 死ぬぐらいなら、あのバケモノ全部凍らせてやる。

 

 「はぁー、だるいし」


 ◇◇◇◇◇◇


 どうして俺の体がこうなっちまったのかは、分からない。

 

 体の周りを寄り添い飛ぶ、不可解な二つの車輪。


 街が襲われた二日後、突如こんな物が現れ漂っていた。

 これが何なのかはさっぱり分からねえが、一つ言えるのは、これがだという事だ。


 外で何度か試した、車輪は俺の意のままに動き、幽霊共を容易たやすく吹き飛ばした。

 それだけじゃねえ、この車輪は俺のバイクと……。


 戦える! その事実は俺に勇気を与えてくれた。


 だったらやることは一つだ、あの壁の向こうへ、この街から脱出しよう。

 俺には助けなきゃいけない奴がいるんだ、いつまでも立ち尽くす訳にいくか。


「待ってろよ、兄ちゃんが必ず外に連れてってやる」

  

 ◇◇◇◇◇◇



 ―――経過報告。

 

 結界は現在、安定して揺らぎ無し。

 市の怪異は人間を襲う者は減少傾向にあり、各々の町に留まる。

 人間は大多数が籠城ろうじょうを続ける、怪異も人間もいささか大人しすぎる気が見られる。

 結界を広くしすぎた影響か、闘争過敏とうそうかびんになる者が少ない。

 怪異融合者……


 異常報告、三日前に結界に微小な穴が開く、何者かが侵入?

 異常報告、が何者かに痛手を負わされた、治癒には一日必要。


「どうやら、異物が紛れ込んだようだな」

 暗闇の市街地、ある建物の屋上に一人立つぼろきれたローブの男性。

 百八十に迫る背丈、壮年を思わせるしゃがれた声、その右手は鈍く光る水晶を持っていた。


「危険……むしろ喜ぶべきか、その異物こそ闘争を刺激させる調味料となるやもしれんからな」

 空を見上げ、乾いた唇が悪意に満ちた笑みを作る。

 視線の先には結界しか無いのに、嬉しそうにその虚空を見つめる。

「人の世と化生の世が溶けあう千年魔境、そこに至るには依然足りない、より多くの犠牲が必要、か」


 男の背後から黒い泡が噴き出す、中から現れるのは数多の虫達と一匹の巨大な獣。

 

「闘争こそこの術の本質、臆病な人間達、隠れ続けるなら引きずり出すまでだ」


 断言できる。

 この男は間違いなく――邪悪であった。

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