第6話 再会、では帰ろう

 大蛇は下顎から上を綺麗に失い大きく痙攣して力なく倒れた……次第に鱗も肉も、全て黒い泥に変わり溶けていく。

 

 吹き出す腐った異臭に天奈は顔をしかめるが、赤髪の人間は表情一つ変えず周囲を観察していた。残骸の泥はゆっくりと動き、破壊した穴の跡、排水溝へと流れる。

 まるで指向性しこうせいともなうかのように。


「んーー?」

 人差し指を唇に当て流れる泥をじっくりと眺める、やがて泥は全て流れ落ち大蛇が居た痕跡は全て消え去った。

「ミステリーは残るけど、一先ず終了かナ」

 そう言い大鎌を回転させ水平にかかげる。すると大鎌は蒼い粒子となり露散して消えた。


 赤髪の人間はスカートの乱れを整える。ポンポンと叩く軽快な姿は子供っぽく、しかし可憐な色気が漂う。

「さーてと次は何処に行こうカナ? 市街地に戻ろうカナ? でも高速道路にも何か居そうだし――」


「くろね」


 時が動き出す一言。近づいてきた天奈は凛と言の葉を紡ぐ。


「ウィ、くろねです! ……アレ??」

 反射的に返事した赤髪の人間は、たちまち困惑の表情を浮かべた。


「くろね、本当に音羽おとばね黒音くろねなの?」


 確かめるように声に出し、天奈は赤髪の人間……音羽おとばね黒音くろね、を見つめ続ける。


「もしかしてだけど知り合い?」

「うん、多分」

「そうなんだ、えーと、」

 潤子がおずおずと交互に二人を見る、沈黙続き曖昧な空気が漂い始めた。


「僕を知ってる人? んンん?」

 首を傾け天奈の顔を観察する。

 まだ少しあどけなさが残る銀狐の美少女、毛先がはねたセミロングの髪、整った目鼻立ちにくりくりとした両眼。

 その表情は何かに気付いて欲しいのか、うれいに帯びている。


 そう、今にも泣きそうな。


(黒音黒音ぇ、ぐす、ひぐ、遠くに行っちゃ、やだぁ)


「…………――――――――――天奈?」


 とても大切な思い出に気付き、唖然とした表情で小さく名を呼ぶ。

 答えを聞き天奈は涙目で首を縦に振る……何度も何度も。


「うん、うんっ、やっぱり黒音だ本当に本物のっ」

 安堵、驚愕、そして歓喜、様々な感情が混ざり大粒の涙が流れる。親友の突然の涙に潤子は慌て、黒音は無言で歩み寄る。


「信じられない黒音に会えるなんてっ、ずっとずっと私、ひゃん⁉」


 ふにっ。 

 天奈の狐耳を黒音が掴んだ、それはもうソフトなタッチで。

「え、黒音⁉ きゃっ⁉」

「……」

 

 ふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふにふに。

 

 黒音は一心不乱に耳を触り続け毛並みと肉感を指でしっかりと堪能する。

「きゃふ、んんっ、くろ、ね、ふあ、いき、なりっ⁉」

 耳から伝わるこそばゆさと、ちょびっとの気持ちよさに耐える天奈、気づくと黒音の顔が目の前にあった。

「天奈、いつの間にお狐様きつねさまに進化したの?」

 黒音は指を止め視線を合わせた。吐息が掛かりそうなほどの距離、思わず天奈の頬が朱に染まる。


「お、お狐様?」

「記憶違いじゃなければ、最後に会った時の天奈は人間だった筈だけど、だよネ?」

「それは……私も分からない数日前に急にこの姿になっていて、前まではいつもの私だったのに」

「この街が変わった後に君も変わった、て事でOK?」

「うん、それで合ってる」

「ふむふむ、そうか成程ネー」


 黒音は納得した表情をして数歩分離れた、そしてその場で一回転、長い髪とスカートがふわりと浮き上がる。

 両手を後ろで組み、屈託のない元気な笑顔を見せた。


「コホンじゃあ改めて……天奈久しぶり! えーと六年? ううん七年ぶりだネ」 

「うん黒音、また会えてほんとうに……本当に嬉しい」

 また涙が流れそうになるのを我慢して、天奈も笑顔を返す。


「この間まであんなに小さかったのに背伸びたネー、うんうん元気な姿で安心したヨー」

「ふふ黒音は全然変わらない、昔と同じ黒音のまま」

「アハハ、メルシー天奈♪ そう言ってくれると嬉しいなぁ」

 再開の喜びを元に広がる百花繚乱な二人の世界。 


「……ハッ!? 天奈、結局この人誰なの⁉」

 天奈の耳が弄ばれた時点から固まっていた潤子がようやく覚醒する。


「え? あ、ごめん紹介するね、この人は音羽おとばね黒音くろね、前に話したことがあるでしょ、小さい頃に仲良くしてたお隣さんが居たって、そのお隣さんがこの人」

「やっほー音羽黒音だよ、ヨロシクシクヨロ♫」

「よ、よろしくです、私は屋十森潤子って言います天奈のクラスメイトで友達です……成程お隣さんですか聞いたことあります」

 気さくに手を振る黒音に、毒気を抜かれた潤子は警戒心が薄れた。


「それにしてもさっきのアレ凄かったー、鎌でお化けをズバッと成敗! 訳は分からないけど、ホント助かりました」

「エヘヘお褒め預かり光栄だヨ、もっと言ってもっと褒めて」

「私からもありがとう黒音、本当にもうダメかと思った、でもあれって一体……」

 先程、黒音が見せた常識を超えた力に天奈は見覚えが無い。

 

 人間とはかけ離れた力を使う。


 ……そう、まるでお化けみたいに。


談笑中だんしょうちゅうの所失礼致します、そろそろこの場を離れた方がよろしいかと」


 突然聞こえてきたのは三人とはまた違う女性の声。

 ビクリと天奈と潤子は驚き周囲を見渡すが誰も見当たらない。


「もう折角満ちてたのに、のイジワル」

「申し訳ありません、礼を言われ恍惚こうこつな表情を浮かべる主様あるじさまを見て、少しイラッとしたので口を挟ませてもらいました」


 黒音が上げた左腕、本来なにも無い無垢の空間が透明度を失い形造り、一匹のカラスが現れ腕に止まった。

 一目で分かる、野生のカラスとは明らかに違う美しき黒の毛並み、なのに右羽だけが濃い緑で染められ、首には色鮮やかな蜻蛉玉とんぼだまが数個、くくられていた。


「わぁ、綺麗なカラス」

「お褒めの言葉ありがとうございます」

「ひゃっ、喋った⁉」

「あ、貴方は一体?」

 先に潤子が悲鳴を上げてくれたおかげで、こらえることが出来た天奈が人語を語るカラスに尋ねる。


「お初お目にかかります、私は黒音様に仕える妖霊ようれいと申します、以後お見知りおきを」

「は、はいよろしくお願いします私は佐久野天奈です……あの妖霊とは?」

「お化けと同じ、と言う事です」

 物静かで品のある声は、天奈達よりも年上の女性を連想させる。


「カラスなのにホタルなんだ」


 潤子の疑問には返答せず、ホタルは地面に降り立つ。

「主様、積もる話もありましょうが、ここでの騒ぎに低級の怪異が引き付けられています」

「本当だ、流石に全部相手するのはチョット怠いナー、今日はもう十分遊んだし休める所探そっか」

「承知しました、所でお二方には帰られる家は在りますか?」


 大地を平行に見れば前方後方から近づいてくる亡者達、空を見ればしゃれこうべと人魂の群れ、石垣を見れば背の高い白いワンピースの女性。

 確かにここに留まり続けるのは得策ではない。


「はい丁度私達、潤子の家に帰る所だったんです、食料を持って帰って……あ」

 気付いた天奈が慌てて足元を見渡す、食料が入った最後の一袋、それは戦闘の際大蛇に踏み潰され無残な姿となっていた。

「どうしよう、これじゃあ今日食べる分も無い」

 何度目かの絶望感に天奈は頭を抱える、無事な物はないか潤子が地を見張るが良い結果は出ないだろう。


「成程……一つ提案ですが、そちらの家に我々もお世話になるのは如何でしょうか?」

「おおそれ良いかもカモ、ご飯なら僕たくさん持ってるよ、お邪魔してイイ?」


 淡々と黒音とホタルは話を進めて行く、折角の再会、天奈としては願ったり叶ったりの提案だ。

「えと、私はいいけれど、潤子、家に案内してもいいかな?」

「ご飯あるんですよね⁉ 大歓迎です、さあ行きましょう‼」

 一秒も悩まずに潤子は前に歩き出す、話が早くて助かると黒音達も後に続いた。


「それに知りたいでしょ? 街がどうしてこんなワンダーランドになったのか、そのお狐様の事もネ」

「っ知ってるの⁉ お化けの事も私の体の事も」

「ウィ後で説明するネ――

 雰囲気が変わった黒音の声と瞳に心が震える、七年前には見たことも無い妖絶な笑み。

 それは一瞬で消え、幼い笑顔に戻った。


「……」

 隣を歩く天奈の中で疑問と不安が今になって渦巻く。

(黒音にまた会えたのは嬉しい、でも、この人は、七年前のあの日に……)

 得も言われぬ寒気がじんわりと足元を震わせた。


 紫の膜の外からぼんやりと見える夕日が影を作り出し、揺蕩たゆたう霧が徐々に色濃くなる。

 間もなく黄昏を迎える薄暗い住宅街を行進する三人と一羽。


 黒音が近くに居る影響か、周囲に見えるお化け達はこちらに近づいてこようとはしない。黒音はそれらには興味を示さず楽しそうに鼻歌を奏で、天奈はその横顔を幾度も覗き込む。


 やがて潤子が早足になり、先の民家の前で立ち止まった。

「着きました、ここが我が家です!」


 帰り着いたのは三角屋根の二階建て木造建築、そのおもむきはこの住宅街に良く馴染んだ親しみを感じる家。

「良かった、何とか帰って来れた」

 安全な場所に辿り着き、天奈はほっと胸を撫で下ろす。大蛇に襲われた時は死を覚悟したがこうして生き残ることが出来た。


「ささ、二人ともどうぞ遠慮なく入ってください」

 重役に対応する平社員の様に、潤子は腰を低く黒音とホタルを案内する。


「お邪魔しまーす」

「失礼いたします」

 扉は開き、三人一羽はお化け達の目から隠れていった。


 こうして天奈と潤子の小さな冒険は、数多の恐怖と一つの奇跡を経てとりあえず終わりを告げた。

 

 ……しかし、御伽噺はまだ始まったばかりである事を、二人はこれから存分に体験する。

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