第5話 降り立つ赤、舞い踊る黒

「あ、ぅああ」

 この光景はまさに蛇に睨まれた蛙。

 

 潤子は腰が抜けその場にへたり込む、落ちた買い物袋から食料がこぼれるが気にする余裕は無い。

「……」

 一つ目の大蛇を前に天奈は声が出せない、この十日間の間で出会った最大の怪物に足が震える。


 穴から飛び出た大蛇の半身、下は地面に隠れその全長はどれ程なのか想像もしたくない。

 大きな一つ目は縦に長く伸び睨み、裂けた舌がチロチロとこちらを品定めしているのか様子をうかがっている。


『ア唖あああ』

 大蛇の出現で吹き飛ばされていた亡者達が近くに倒れていた、僅かだが二人に近づいて来た。


 気づき大蛇が目にも止まらない速さで亡者の一体に噛みつく、天奈は遅れて大蛇の頭を追った。亡者を上半身から飲み込み、生物上の蛇に在る筈のない鋭利に尖った無数の牙でかみ砕いていく。


「お化けを、食べてる?」

 信じられない光景だ、お化けが人間を襲うのは幾度と見てきたが、お化けがお化けを襲い……捕食するなんて。


 今までのお化けと何か違う。

 大蛇は亡者を飲み干した後また別の亡者に狙いを定める、食事に夢中になり天奈達が視界から外れた。天奈は小声で潤子に語り掛ける。


「潤子、立てる?」

「ひゃい、何とか」

「今の内に元来た道に逃げよう、音を立てないように静かに」

「た、食べ物は?」

「袋を一つだけ、後は置いていく」

りょ


 震える足にかつを入れじりじり後ずさる、何としてでも逃げ切らないと。

 少しずつ、少しずつ距離を開ける、小刻みの呼吸が嫌に大きく聞こえた。大蛇は喉を鳴らしながら数体目の亡者を飲み干した。


『ーー‼』

 途端、こちらへ振り向く。


 思わず足が止まる。次の行動を起こす暇を与えず大蛇は突撃してきた。

 トラバサミの如き大口が眼前に迫る!

「くっっ⁉」

 咄嗟に潤子を掴み側面へと飛び込む。

 大口は空を切る。紙一重で何とか牙を躱せた。二人は勢いのまま転がり壁に衝突する。


「いっ、たぁ」

 衝撃を緩和できず、全身をぶつけた痛みに天奈は苦悶の声を漏らした。潤子は肘のファニーボーンを強打して、無言で悶絶する。

(は、早く、逃げ、ないと)

 断裂した思考を強引に覚まして周囲を見る、逃げて生き残るために。


『ビィィィ』

 ……無情にも、大蛇は二人を正面に捕らえていた。

「う、くっ」

 絶望が天奈を支配する、この状況……もう逃げられない。

 隣に横たわり大蛇を見た潤子の目から、涙が一筋。

「あめなぁ」

 嫌だ死にたくないよ、悲観に満ちた思いがひしひしと伝わる。


(私も、そうだよ)


 死にたくない、諦めたくない、抗いたい、抵抗したい、反抗したい、生きたい、生きたい、生きたい、生きたい‼


(でも)

 眼前の巨大なお化けは再び口を開く、もう何処にも逃げ場はない。


(お終い、なの?)

 死の予感に視界が滲み歪む。

 最後の抵抗、天奈は守るように潤子を強く抱きしめる。そして大蛇は今度こそ、少女二人に喰らい付いた。


 ……。

 ……。

 …………――筈だった。


「アハハハッ‼」


 ◇◇◇◇◇◇


 さかのぼる事、二十秒前。

 人間が一人、疾風となり民家の屋根アパートの壁を飛び跳ねて先に進む。

 常軌を逸した跳躍で迷いなく住宅街を飛ぶ


 その視線、二百メートル先の道路、刺々した茶色い頭が浮き上がる。

「見ーーつけた、いざでは、レディ・ゴー!」


 民家の屋根を力強く踏み砕き高く飛翔ひしょう。くるくる回りながら、茶色の獲物、大蛇の頭を見据える。

 両手でを握りしめて上空から落下、勢いに乗せたまま大蛇の皮を切り裂いた。


「アハハハッ‼」

 その者は狂乱の笑いを上げ着地する。


 ◇◇◇◇◇◇


 潤子を抱きしめながらギュッと目を瞑っていた天奈。しかし待っていたのは、痛みではなく笑い声。

「え?」

 続いて聞こえた大蛇の悲鳴、まぶたを開け眼前を見据える。


「随分遠くまで逃げて来たね、大人しくめつされちゃエ♪」

 首元から黒い血を吹き出し大蛇は地面に倒れ込む。目の前に誰か……おそらく人間がそこに立っていた。


 唐紅からくれないと洒落た言葉を紡ぎたくなる、赤い長髪。

 全身に着飾るのは女性物の、漆黒のゴシック風ジャンパースカートと広い袖口のボレロ。袖やスカートを彩るフリルとレース、長い靴紐が編み込まれた底の厚いロングブーツ。首元、腰元、足首に装う純銀で出来た十字架のチャームと側頭部を飾る黒のリボン。

 

 右手に握りしめるは身の丈を優に超える、巨大な鎌。

 それは金装飾きんそうしょくが施された芸術品、こうべらす刃は蒼く煌めき、凶悪で強靭。

 鋭い柄の先で軽く地面を叩く、奏でられるのは陽気なリズム。


「ん、あれ? 村人発見、おーい君達大丈夫?」

 座り込む二人に気付き、振り向いた赤髪の人間。


 見下ろすその素顔を見て、天奈の時間が止まった。


 西洋人形を連想させる美しい顔。

 雪化粧の様に白く、それなのに健康的なつやを持つ肌。薄い唇がアクセントとなり彩色を奏でる。

 そしてひと際目立つ大きな目と長いまつ毛の奥に光る、琥珀に近い金色の瞳。

 絵本の中から飛び出したと勘違いさせるには十分すぎる、妖しく幻想的な人間が目の前にいた。

 

 しかし。

(う、そ……うそ、嘘、夢? なんでどうしてどうして)

 

 天奈が硬直したのは、容姿の美しさが原因では無かった。心に去来するのは、この十日間に味わった恐怖とは桁が違う衝撃。

「ん、どしたのケガでもした? 痛いなら右手アーゲテ」

 応答しない二人の顔を覗き込み自らを上げる。

 釣られて潤子がおずおずと右手を上げるが天奈は微動だにせず、やがてゆっくりと唇を開いた。


「どうして、ここにいるの?」

「??」

「く、くろ、」


『ビイイイイイ‼』


 天奈の声を遮り、大蛇が雄たけびを上げた。

 三人が見ると大蛇は出てきた穴から尾を引きずり出し、その十メートル近い全長でとぐろを巻き単眼でこちらを睨む。


「二人は動かないように、ネ、やんちゃな蛇さん片付けるカラ」

「え? ま、待って、ねえ待って‼」

 天奈の制止を無視して、赤髪の人間はくるりと大鎌を構え大蛇へと駆けた。その口元に浮かぶのは笑み、戦いが始まることへの喜びの証。


 大蛇は顎を突き刺す、狙いは当然の目の前の外敵。

「来たキタ」

 赤髪の人間はゴシック服をなびかせ、優雅に軽やかに跳ねて攻撃を躱す。そして大蛇の側面を流れて右手の大鎌を振るった。


 切っ先が皮膚に突き刺さりそのまま裂く、出来上がる二つ目の裂傷。

『ビィィィーー⁉』

「変な鳴き声」


 雄叫びは悲鳴へと変わる、着地した赤髪の人間はそのまま振り返らず道路を駆けた。

 痛みをこらえ振り返った大蛇の瞳に灯すのは怒り、理性を失った為に少女二人は標的から外れ、己を傷つけた敵を追跡する。


 気まぐれか意図的か、赤髪の人間は大蛇と少女達を引き離した。

 そして追ってくる音を確認して次なる行動を起こす、瞬時に真横に建つ民家の壁へと飛び、壁に張り付く。大蛇は慌てて目線で追うが相手は待たない。


 壁から石垣の上、そこを走ったかと思えば次は向かいの民家の屋根に跳躍、ぐるぐる駆け次は道路標識の上に降りる、更には電線に飛び大蛇の上を駆け回る。

 

 ちらりと大蛇を一瞥、人差し指を目元に当て「あっかんべー」。

 踊るイタズラ妖精。


 その後も縦横無尽に、住宅街と言う空間を飛び跳ねた。

 大蛇は必死に追いかけ、何度も何度も何度も噛み喰らおうとするが、ことごとくを躱され、斬撃がカウンターとして放たれる。


 いつしか全身が傷だらけとなり、大蛇は鞭のように痛みに体をくねらせる。

 戦況は赤髪の人間が圧倒していた。


 ◇◇◇◇◇◇


「な、何なのあの女の子、めっちゃ強い」

「……」

 ゆっくりと起き上がった天奈と潤子、逃げていいのかどうすればいいのか判断が出来ず、ただ遠くから蛇と人間の戦いを見守る。

「助かったのは良いけど、あの人誰なのかな? ねえ天奈……天奈?」

 天奈は返答せず、赤髪の人間から視線を外そうとしない。


 その瞳に宿る感情は懐疑かいぎ

 異端となったこの市で、この十日間で初めて見せる、本当にお化けを目撃した瞳。


 また会えるよ。会いに来るから、うん、約束♪

 元気でね――天奈。


「アナタなの? 本当に?」

 未だ彼女の時間は動かない。


 ◇◇◇◇◇◇


 痛みに悶え満身創痍な大蛇、しかし怒りの瞳は消えず、この敵を必ず喰うと決意を込めて体を起こす。


「んーモヤモヤ気分、蛇さんなら僕を満たしてくれるって期待したけど、ちょっと物足りないカナ?」

 

 背後から聞こえる冷たい声、いつの間にか敵は道路に立っていた。両者の距離はおよそ六メートル。

「まぁいっか、それじゃあ」

 大鎌をバトンとして全身で回し、ピタリと止めて横に低く構える。口元は笑っているが瞳には殺意が宿されている。


「死んじゃおうか♫」

 敵は、赤髪の人間は真正面から弾丸となって飛び掛かり大鎌を薙ぎ払う。

 瞬時に迫る蒼い刃、負けじと大蛇は刃に噛みついた。


 異端者達は衝突する。

「「‼」」

 響く鈍い音、戦いの行く末を見守る少女二人は寄り添いながら衝撃に目を見張る。


 結末が見えた、大蛇の牙が大鎌を噛み抑えたのだ。

 死を告げる決定的な斬撃を確かに止め、止め……止まらない⁉


 ピシ。


 軋む音、大蛇の牙に僅かなひびが入った。

『ヒッ――』

 徐々に徐々にひびは広がり刃が進む、柄を握り空中で静止していた人間も同じく前に。


「アハ☆」


 そのまま力の限り無邪気にあざけりながら、大鎌を振るう。

 斬殺はここに。

 断末魔の余韻さえ与えず、笑う死神は大蛇の頭半分を切断した。

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