第一章

第2話 コンビニは恐怖でいっぱい

 昨晩、夢を見た。

 

 七年前、梅雨の湿っぽい匂いが鼻腔びこうをくすぐるあの日、あの人と最後に話した懐かしき明晰夢めいせきむ

 別れを惜しみ泣きじゃくる私の頭を、あの人は優しく撫でて穏やかな笑みを向けている。


(また会えるよ。会いに来るから、うん約束♪)

 再会を誓う指切げんまん……しかし、その約束が果たされることは無かった。

 切なく悲しい離別の夢、過ぎた過去の筈、どうして今になって?

 沢山一緒に居て、沢山一緒に遊び、沢山一緒に笑いあったあの人との愛しき思いで。


 目覚めた私はしっとり乾いた涙の後を拭いながら、と叶う事のない願いを呟いた……。


 ◇◇◇◇◇◇


 時刻は十四時過ぎ。


 市街地から離れた一つのコンビニエンスストア。

 通常営業している筈……なのだが店内は少し薄暗く不気味なほど静かだ。


 伸ばした右手がペットボトルの緑茶を掴む。

「飲み物、がやっぱり一番大切だよね、ちゃんと栄養が取れる物をっと」

 風鈴ふうりんを連想させる綺麗な声。

 飲料売り場の商品を次々と手提げカゴへと、丁寧に入れる少女が一人。


 およそ百五十台前半の身長、上半身をすっぽりと覆う大きめの薄緑のパーカー。

 黒のプリーツミニスカートから、すらりと伸びる薄肌色の足の先には、シンプルな黒白のスニーカー。

 少女はフードを目深く被り顔の上半分を隠しているが、整った可愛らしい顔だと一目で分かり、フードの陰から見える毛先が、キラリと光沢を醸し出す。


「どうしよう天奈あめなっ、ロールケーキが置いてない、モンブランも!」

 デザートコーナー側から聞こえる活発な少女の声。

 呼ばれたパーカーの少女、【佐久野さくの天奈あめな】は、声の場所へと歩いていく。

「仕方ないよ潤子じゅんこ、ここの商品は殆ど期限が切れてるから置いとく訳にはいかないよ」


 言葉通りデザートコーナーにはロールケーキどころか、商品が一つも存在しない。

 壁側に陳列されている見慣れたお弁当、おにぎり、パスタ、サンドウィッチ、あんなに美味なとろろそばまで……とろろそばまで。

 日持ちが続かない商品は軒並み姿を消し、がらんとした空間が広がっていた。


「うう、あたしのソウルフードがー、あの甘味の為に怖いの我慢してここまで来たのに」

 茶色に染めたウェーブをアップヘアで結んだ髪。

 スポーツロゴの入った袖の長いシャツとデニムのパンツでシンプルにまとまった服装。

 力なく項垂れるもう一人の少女、【屋十森やともり潤子じゅんこ】は未練がましく空のデザートコーナーを睨みつける。


「よしよしお菓子で我慢しようね、あまり時間かけると危ないから潤子も必要な物どんどん選んで」

「はーい」

 潤子は渋々納得して菓子コーナーへと標的を変える、天奈は苦笑しながら飲料コーナーへ戻った。


 食品や生活用品、一通りの商品を三つのカゴ満杯に詰め込み二人はレジへと進む。

「ん、ちょっとごめん、店長さんお手洗い借ります」

 寒そうに腕をさすりながら潤子は奥のトイレへと速足で向かっていった。

「ええ? あの、すみません店長さん」

 慌てて天奈はぺこりと、このコンビニの店長に頭を下げる。

「いいよ、いいよ」と、四十代前半、短髪の男性は手をひらひらさせる。


町全体が寒くなったからな、トイレの一つや二つ行きたくもなるさ」

 ハハハと力なく笑う表情には、疲労が色濃く見えた。

「本当に寒くなりましたよね、ここも、この街も全部……」

 レジを挟み互いに沈黙してしまう。

「あっ、会計お願いします」

 ずれたフードを被りなおし、場の空気を換えて財布を取り出した。


「お金はいいよ。全部持って帰ってくれ」

 衝撃の一言を放ち、店長はいそいそと商品を袋に詰め始めた。

「…………い、いえっそうはいきません! ちゃんと払います!」 

 タダと言う魅惑の言語に一瞬納得しかけたが、ふるふると頭を振り天奈はお札を取り出そうとする。


「いいって町がこんな状況だ、分けられるなら無償で分けたいんだ、数日ぶりに来たお客さんなら尚更だ」

「素直に喜びたいですが、それでも払わせてください」

「この緊急事態だ、お金はしまってくれ」

 そう言い店長はお金を受け取ろうとしない、しかしいくら何でも無料は申し訳ない。


「緊急だからこそ人としてのルールを守りたいんです、どうかお支払いをっ」

「気持ちは嬉しいが商品はタダだ、諦めてくれ」

「お願いします」 

「いやいや」

「そこを何とか」

「だめだめ」

 グヌヌ……頑固な両名が熱き火花を散らし始め、支払い合戦は更に激化しようと、


「わあああーーっ‼⁉」


 切なる空気を破裂させた悲鳴、二人はビクリと肩を跳ね上げ悲鳴の方向――トイレへと視線を向けた。


 騒音が響きトイレのドアが勢いよく開かれる、中に居た潤子が顔面蒼白にして駆け込んで来る。

「どうしたの潤子⁉」

「ああああ、あめ、天奈、でで、でた出た、出たの」

 彼女は全身を震わせ目を見開き、必死に天奈にしがみついた。


「出たって……まさか」

! お化けが出たの‼」

 その一言で、天奈の背筋が凍り付く。   

「いきなり声が聞こえてっ、『赤い紙ですか、青い紙ですか』て聞いてきて、そ、そしたら壁から手がたくさん!」


「ああ、アイツまた出たのか、お客さんに迷惑をかけるとは何て奴だ」

 怯える潤子に続いて店長が何気なく淡々と言った。潤子の背中を緩やかにさすりながら恐る恐る天奈は尋ねる。


「もしかして、以前から?」

「すまない伝えるの忘れてしまっていた、いつも出る訳じゃないが偶にな、紙がどーとか聞いてくるんだよ、腕まで生えて来てわずらわしい限りだ」


「そ、そうなんですか、潤子落ち着いた? ケガとかしてない?」

「うん、すぐに逃げたから大丈夫」

「良かった……でも、外だけじゃなくてここにも出て来るなんて」

(安全な場所がどんどん無くなっていく、どうすれば……)


 天奈の心中に不安と焦りが広がっていく――突然、店内の照明が点滅し始めた。

 

 だんっ! だんっ! だんっ!


 驚愕に肩が跳ねた少女二人を嘲笑ちょうしょうする、窓を叩く鈍く力強い音。

「ヒッ、今度何なのぉ」

 泣きそうな潤子を支えながら、天奈は誰も見当たらないコンビニの窓をフードの奥から睨む。


 聴覚の次は、視覚に恐怖が訪れた。

 

 一つ、また一つと窓に張り付く人間の黒い手形、それは次々に増え隙間なく埋め尽くしていく。

『きゃハはははハははははハ!!!!』

 タイミング合わせ、店内放送から流れて来た砂嵐の音に混じった子供の無邪気な笑い声。


 安全地帯だと思っていたコンビニは、恐怖溢れる危険地帯へと様変さまがわりしていた。


「はい商品だ、二人とも早くここから逃げた方が良い」

 店長がすばやく袋詰めを終え帰宅を促す。

「こいつらは危害を加えてこないが、な、どうも嫌な感じがする」

「わかりました、潤子帰ろう」

 震える潤子を立たせ、互いに袋を抱え出口に急ぐ。扉に手を伸ばしかけた直前、天奈はレジに戻って来た。


「ありがとうございました! お釣りは要りません、店長さんもお気をつけて!」

 テーブルに一万円札を二枚置き、断る暇を与えず天奈達はコンビニを後にした。


 店長はお札二枚を掴みながら二人の少女の身を案じ目を閉じた。


 ◇◇◇◇◇◇


 視線を這わせ周囲を警戒しながら、小走りで霧が立ち込める薄暗い歩道を走り抜ける天奈と潤子。

 昼過ぎだというのに彼女達以外の住民の姿は見当たらず、住宅が立ち並ぶ町は不気味な程に静かだった。


「天奈、今まで何度も何度も言ってきたけど、もう一度言うよ……この町もうダメだぁ‼」

「うん、本当にそうだね」


 決して諦めたくないけれど、もう、この街も自分達も……。

 ほんの僅か、心に芽生えた絶望。

 天奈は陰鬱いんうつとした瞳で、遠方でありながら明瞭に見える、この市を覆い尽くす――巨大な紫色の壁を見つめた。

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