第69話カトレアとベーコン



「——で、私は華麗に暗殺者の正体を暴いてやったんですよ!」

「うん」

「更に隙をついてこんな風に椅子を持ち上げて、ばこん! と頭を殴りつけ、見事敵を無力化しまして!」

「そうか。とりあえず、その椅子は床に置こうか」

「そして素早く敵を拘束し、セレニアちゃん救出に向かったわけです!」

「へー、さすが俺の妹だな」

「しかし向かった先には夢喰いの手先が——って、エド兄様。ちゃんと私の話、聞いています?」

「ああ、聞いてる聞いてる」


 エド兄様は紅茶を啜りながら、おざなりな返事をする。

 つまりは、聞いていなかったらしい。エド兄様が塩っぱい対応をしてくるのはいつものことなので、特に怒りもせず私は手にした椅子をそっと床に置き、そこに腰掛けた。サロンの端で小刻みに震えていたペトラが、ほっと胸を撫で下ろす。


 ——今日、上から2番目の兄であるエドガー兄様が、突然ヴラージュ家城館を訪ねて来た。

 つい数日前まで仕事で隣国に出向いていて、帰国したその足でここまで移動したらしい。生憎昼間はクリュセもセレニアちゃんも不在だったので、こうして私が1人で応対している。


 会話の途中、例の事件の話題になったので、事情をよく知らないであろうエド兄様のために、私自ら身振り手振りと熱意を加えて事件のあらましを説明した。けれど、反応はこの通りイマイチだった。ちょっと虚しい。


「……もう。エド兄様は一体何をしに来たんですか」

「そりゃあ、大事件の渦中にいる妹の安否を確認しに来たに決まっているだろう」

「じゃあ、心配しているふりくらいして下さい」

「悪いが椅子の心配しかできなかった」


 ぐうう、流石エド兄様。トリス兄様と違って、こちらが言い返しにくい嫌味を放ってくる。

 どうにか上手い切り返しができないものかと必死に思案していると、エド兄様は私をじろじろと眺め、大げさに両肩をすくめてみせた。


「お前、本当に公爵家に嫁いだんだな。分かっていたのに、このでかい城の玄関からお前がひょっこり現れたときは何の冗談かと思ったよ」

「冗談とは失礼な。私は正真正銘、ここの奥様ですよ」

「奥様ねえ……。今のところ返品はされていないようだが、公爵殿とは上手くいっているのか?」

「——ふふん」


 よくぞ聞いてくれた。その質問を、待っていた。

 鼻の穴が膨らみそうになるのを抑えながら、胸を張って答える。


「上手くいくどころか、もうアツアツです。うちの旦那様は私に首ったけですからね。ちょっとの我儘なら、何でも聞いてくれちゃうんですよ。今日の朝食も、私が食べ足りないなってこっそり思っていたら、何も言わずに自分のベーコンを分けてくれて——どうです、優しいでしょう」

「……お、おう」


 ……あれ。本日採れたて新鮮なのろけ話を繰り出したのに、あまり手応えがない。それどころか、なんだか哀れむような視線すら感じる。

 恋愛方面で枯れ気味な兄様を胸焼けさせる、最高の一撃だと思ったのに。


「すごく美味しいベーコンなんですよ。床に落としたわけでもありませんし」

「は? 当たり前だろう。床に落ちたものなんて、普通は犬にしか食わせないって」

「犬……」


 エド兄様は、かつて私に働いた非道な行いを忘れてしまったのだろうか。あれ、けっこうショックだったのに。幼き日の恨みを込めてちょっと睨んでみたけれど、エド兄様はどこ吹く風で、紅茶をずずっと口にした。

 く、くやしい。


 この人はいつもこう。3人の兄の中で、1番マイペースで1番自分勝手なのだ。……そして私に結構冷たい。そのくせ、暇を持て余すと私やトリス兄様をからかって遊び始める、小意地の悪い性格の持ち主でもある。


 だから、「心配だから顔を見に来た」と言って、わざわざこの城館を訪ねてきてくれたときは、ちょっと嬉しかったのに。実際のところは小馬鹿にされるだけで、心配も優しくもしてもらえない。それどころか、犬っころ扱いされる始末である。


「兄様ったら、さっきからこっちが一生懸命話しかけているのに、気のない返事や失礼なことばかり! 兄として、結婚したばかりの妹にかけるべき言葉が他にあるんじゃないですか」

「気が抜けたんだよ。こっちはお前が暗殺事件に巻き込まれたと聞いて、帰国したその足でここまで駆けつけたんだぞ? それなのに、椅子を振り回しながら旦那にベーコン一切れ貰ったと浮かれ喜ぶ妹を前にした俺の気持ちがわかるか?」

「う、浮かれていません。私はただ、ちゃんと夫婦で仲良くやっているってことを、言いたかっただけです」

「ベーコン一切れで夫婦円満とは、安上がりでいいなお前」

「もうベーコンのことは忘れてください!」


 そう言いながらも、段々顔が熱くなって来る。冷静になって考えてみれば、ベーコンのエピソードはお淑やかな奥様にあまり相応しくない内容だった。もっとロマンチックなのろけ話だってあるのに、どうしてわざわざこのネタをピックアップしてしまったのか。


「——ま、その話を聞いて納得したよ」

「何をですか」

「前回会ったときよりもずいぶん顔が丸くなっているから、どうしてだろうと思っていたんだが……。公爵殿に餌付けされていたからだったんだな」

「!!」

「旦那の食事を横から掠め取っていたら、そりゃあ丸くもなるわ」


 なんてことだ。

 1日3食おやつ付きの生活が始まって、もう1ヶ月以上が経過する。おまけに、クリュセもセレニアちゃんも、やたらあれを食べろこれを食べろと勧めてくるものだから、このところ私の食事量は右肩上がりに上昇している。

 それなのに、運動量はお淑やか修行のため以前と比べて激減していて、自分でも最近体が重いな、とは確かに思っていた。


 でも……でも、丸くなった、なんて……。はっきり言葉にされてしまうほど太っていたとは……。

 猪のトラウマが思い出されて、嫌な汗がたらたら流れ落ちてくる。時に肥満は歴史を歪ませると身を以て学んだばかりなのに。今度はベーコンのせいでループに突入、なんてことになったらどうしよう。死因:肉はもう嫌だ。


 エド兄様は言葉を失う私を眺めて、にんまり意地悪く笑う。そして手にしていたティーカップをやたら慎重にテーブルに置くと、突然立ち上がった。


「さて、お前の丸い顔も見たことだし、そろそろ失礼するか」

「……え。もう? 泊まっていかないんですか」

「仕事が残っているんだよ」


 そう言いながらも、預けていた上着をペトラから受け取って、エド兄様は勝手にサロンから廊下へと出て行く。早すぎる退場に少々面食らうけど、エド兄様のマイペースっぷりは今に始まったことではない。兄を見送るべく、私も後をついていく。


 結局、お茶を飲んで私の体重増加を指摘するしかしていないけど、一体どういう目的でこの城に来たのだろう。タダ飯タダ酒を口にしないで帰るということは、本当にまだ仕事が残っていて忙しいのだとは思うけど……。

 ——なんて考えていると、いつのまにか城館の正面ホールに到着していて、エド兄様は「じゃ」と短い挨拶だけ残し屋敷の扉をくぐろうとしていた。

 慌てて、その背中を呼び止める。


「待ってください。お仕事って、また外国に行くんですか?」

「いや、しばらくは王都にいる。だがちょくちょく他の街に出向することになるだろうし、俺じゃ大して頼りにならないからな。何かあったらまずトリスに連絡を入れるんだぞ」

「そうやって、また面倒ごとをトリス兄様に押し付けようとする」

「あいつはお前のナンバー1お兄ちゃんだからな」


 ……ん? ナンバー1お兄ちゃん?

 聞き覚えのある言葉に引っかかって、幼き日の思い出を記憶の中から引っ張り出す。あれは確か……私が木に登って降りられなくなったときに、ふざけたエド兄様とモル兄様が言い始めたことだ。命の危機に瀕した妹を前にして、よくもまあくだらないことで盛り上がれるものだといっそ感心したのを覚えている。

 あのとき、エド兄様は、私にひどいことをしたから兄には相応しくないのどうのと言って——あ!


 やっぱり床に落ちた腸詰のこと、覚えているんじゃないか! なぁにが犬にしか食べさせない、だ!


 上手くあしらわれていたことに気がついて、抗議しようと顔をあげる。

 しかしそのときには、ホールにエド兄様の姿はなかった。





「残念だな。エドガー殿とは一度お会いしたかったのだが」

「そう言えば、うちの家族の中でエド兄様だけはクリュセと会ったことがないんですよね」

「しばらくは王都にいらっしゃるのだろう? 後日時間のあるときに、改めてご招待しよう。義兄上——ハルトリス殿ともまたお会いしたいものだ」


 クリュセと2人で遅い夕食をとりながら、そんな会話をする。

 クリュセはエド兄様に会えなくて残念そうにしているけれど、私としては2人が対面することにならなくて本当に良かった。配慮に欠けるエド兄様のことだから、夫の前でも「お前太ったな」くらいは平気で言ってのけるだろう。それは大変困る。

 今のところ、私が体積を増していることにクリュセは気づいていない……と思う。幸いなことに、私の旦那様は女性の細かな変化に鈍感な人なのだ。

 今後はおやつを控えて適正体重を維持し、太ったという事実を闇に葬り去ることにしよう。

 ……いや、おやつは2日に1回でもいいか。我慢しちゃうとストレス溜まるし。


 ——と、頭の中で綿密なダイエット計画を練りながら食事をしていたら、いつの間にかメインの牛肉はお皿の上から姿を消していた。ああ、考え事に夢中になって、味わうことを忘れてしまっていた。牛、ごめん……。

 なんだか、食べた気がしない。しばらく空虚な皿を眺めていると、クリュセがそっと右手をあげて、控えていた使用人に自分の皿を指し示した。


「これを少し、彼女に切り分けてやってくれ」

「厨房に新しく用意させることも出来ますが」


 使用人の提案に、クリュセは首を振る。


「そろそろ火を落とす時間のはずだ。厨房の仕事を増やす必要はない」

「かしこまりました。では、すぐにお取り分けします」

「別にいいですよ! 自分のぶんはしっかり食べたんですから。クリュセもちゃんと食べてください」


 ベーコンはともかく、夕食のメインディッシュまで夫から奪うようになっては、奥様的にアウトな気がする。こんなこと、エド兄様にバレたらまた馬鹿にされてしまう。


「そう言わずに。お腹の子のぶんも、君にはしっかり食べてもらわないと」

「でも」

「遠慮しないでくれ。君が嬉しそうに食事をしている姿を見るのが好きなんだ」

「好き、なんですか……」

「あ、ああ」


 ちょっと驚いて問い返せば、クリュセはいつものように照れてどもりながらも、はっきりと頷いた。

 一緒に食事するとき、そんなことを考えながら見られていたのかと思うと、ちょっと気恥ずかしい。でも、そこまで言われたら断るのも野暮というものである。ここは存分に可愛らしく食べてみせなければ。


 しばらくして、クリュセの皿から分けられた牛肉が、私の前に置かれる。不思議なことに、すでに一人前の牛肉を収めているはずのお腹がぐうっと鳴った。

 さっそく肉を小さく切り分け、濃厚なワインソースに絡めて口の中に放り込む。噛み締めると濃厚な肉の味が、ふんわり舌の上に広がった。

 牛、ありがとう。とっても美味しい。


「美味しいか?」

「はい!」

「それは良かった。あとで、厨房に君が喜んでいたと声をかけておこう」


 満足そうに微笑んで、クリュセも肉を口にする。食事をする姿すら、気品があって格好良い。


 良いところにお嫁に来たなあ。いっぱい馬がいるし、セレニアちゃんは可愛いし、美味しいご飯を食べているだけで美形の旦那様に好かれるなんて、都合が良すぎてまるで天国のようなお城だ。——実際に、何度か天国に逝きかけたけど。


 ダイエットも、別に急がなくてもいいのかもしれない。そんなことをしなくても、この通り好きだと言ってもらえるわけだし。あと倍くらいに太っても、浮腫んだのだと主張すれば誤魔化せてしまえそうなちょろさがクリュセから感じられる。

 それに、今この牛肉を我慢したところですぐ太るわけでもないのだ。

 明日から、頑張ろう。


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結婚初夜のデスループ〜脳筋令嬢は何度死んでもめげません〜 焦田シューマイ @kogeta

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