第2話 折れた日本刀と少女
「ちょっと扉開けてくれー」
鳴継は扉の向こう側に大きい声で呼び掛けた。
そこはちょっと寂れたビルの三階だ。扉には【水無月】と書かれている。
普段であれば自分で扉を開けるのだが、いまは鳴継の両手が塞がっていて取っ手を掴むことが出来ない。
鳴継の声に反応して、扉の反対側からパタパタとスリッパの音が近付いてくる。
扉が開き、鳴継を出迎えたのは巫女服を着た美少女であった。
とても特徴的な少女である。
まず目を引くのはその真っ白な髪の毛だ。
色素の抜けた美しい白髪は腰下まで届く程に長い。そして髪の白とは対照的に燃えるように赤い双眸が鳴継の抱える人物に向けられていた。
まず驚き。
次に諦めたかのように溜息を吐いた。
「またですか……」
聞きなれた心地よい声で、彼女はそう呟いた。
そう、鳴継は気絶させた謎の日本刀少女を抱えていたのだ。
両手で意識のない彼女をお姫様抱っこでここまで連れてきてしまったのである。
「なんで溜息吐くのさ」
「鳴継さんの事ですから、どうせまた面倒ごとを抱え込んだのでしょう?」
「どうだろう。抱え込むかどうかは彼女の話次第かな。あやめ、この娘ソファーに寝かすからタオルケットお願い」
「ちょっと待ってくださいね」
そう言い残し、あやめは奥の部屋に小走りで向かっていった。
鳴継は応接室に置かれた来客用のソファーに彼女を優しく横たえると室内を見渡した。
パーテーションで区切られた簡素な応接室にガラスのテーブル。それを挟むように置かれた二つのソファー。その片方には意識を失った少女が眠っている。
幾つかの観葉植物と、PCデスクの並ぶちっぽけな事務所。それがここ、水無月という場所である。
窓際の席にはちょっとだけ豪華なデスクと所謂社長椅子と呼ばれるような物が置かれており、そこはこの事務所の代表取締役社長である水無月香織の座席であった。
彼女の姿はそこにはない。
先程まで通話していた相手だ。その時はこの事務所にいると分かっている。だとすればちょっとコンビニに買い物に行ったか、お手洗いかのどちらかだろう。
「帰ってきたか」
聞きなれた声に反応してふり返ると事務所の扉を開ける香織の姿があった。
その手にはコンビニの袋が握られている。どうやら買い物で間違いないらしい。
ビジネス用のパンツスーツという服装とコンビニの袋から透けて見えるカップ麺の庶民さが非常にアンバランスだ。
大人の女性の雰囲気で顔も非常に整っており、知的な眼鏡と仕事の出来そうなショートカットの髪型も相まって残念さが際立つ。
「ん? なんだその小娘は」
「現場で襲われたからとりあえず意識を奪って連れてきた。今回の件で何か知っているかもしれない」
「ほー、まだお前を狙うような奴が残っていたのか。馬鹿か無知かこいつはどっちだ?」
「それは本人に聞いてみないとなんとも。ただめちゃくちゃ強いよ、人間で辿り着ける境地に近い」
「見た目可愛い小娘にしか見えないが……」
それに関しては鳴継も同感である。
しかしあのまるで時間を削り取ったかのような刹那の踏み込み。人間離れした閃光のような一振り。そのどれもが彼女が極限まで剣術を極めた達人であることを物語っている。
とてもではないが見た目通りの年齢では到達できない領域だ。
「持ってきましたー」
可愛らしい花柄のタオルケットを持ってあやめが歩いてくる。
「そんな可愛らしいタオルケット事務所にあったか?」
「私の私物です」
香織の言葉にあやめはそう答え、謎の少女に優しくタオルケットを被せる。
「そういえば雪は?」
「雪さんは昨日から修学旅行ですよ?」
「あー、そうだっけ? 今回のやつは寄生型っぽいから雪の能力があると助かったんだけど」
何気ない鳴継の一言に香織が反応する。
「寄生型なのか?」
「いや、多分。あんま自信ないけど、被害者失禁してたってことは痛みで苦しんでたか、死ぬことが分かってたってことだから。なんか体の中食い荒らされてたっぽいし、なんで頭破裂してたかは知らないけど」
「おい、お前私がこれからカップ麺食べるの分かって言ってるのか?」
「あ、……ごめん」
流石にこれから食事する人間の前で言う言葉ではなかったと鳴継は反省する。
「電話途中で切れたが、気配追えないのか?」
「流石に無理だって。俺索敵得意じゃないし」
「あれ、鳴継さん雪さんに索敵教わってなかったでしたっけ?」
「向いてなかったから上達しなかった」
「あー、だから雪が鳴継には向上心がないって嘆いていたのか」
「向上心はあるぞ、結果が供わないだけで」
「お前、理論上なんでも出来るんだからそこは頑張れよ」
「ん……っ、うぅ……」
ソファーで寝ている少女が呻く。
どうやらそろそろ目覚めそうな雰囲気である。
「目覚めた瞬間暴れるとかないよな?」
香織が苦笑いで言う。
「鳴継さん、大丈夫なんですか?」
あやめが不安そうに鳴継を上目遣いで覗き見る。
香織はともかくあやめに害が及ぶのは非常に不味い。下手したら人類が滅ぶ。
「一応、枷付けとくか」
そう言いながら鳴継は少女の額に手を置き、彼女の記憶からその名前を抜き出す。
「名前は柳澤楓か、……柳澤楓。神谷鳴継の名において敵対行動を禁ずる」
真名を知っていれば鳴継のこの楔から逃れることは出来ない。
これは人類が逆らうことの出来ない絶対的な枷なのである。
「ここは……?」
そう呻きながら彼女は薄眼を開け、徐々に意識が覚醒していく。
そこには彼女を覗き込む顔が三つ。
見たこともない白髪の美少女と、眼鏡をかけた美女と、そして。
見たことのある顔の少年であった。
記憶が脳裏を走る。
薄暗い路地裏。埃っぽい空気。生暖かい室外機の風。アンモニアの刺激臭。鉄の臭い。
赤く染まる壁と床。
それを背に笑う少年。
全てを一瞬で思い出す。
「貴様はっ!!」
跳び起きて戦闘態勢を取ろうとし、そして体が硬直した。
動かない。
どれ程に強く念じても指一本動かすことが叶わない。
「!?!?!?!?」
まるで自分の体ではないかのように、自らの意思を無視して体は硬直したまま微動だにしない。
「俺の権限でアンタの敵対行動の全てを禁止させてもらった。こっちに敵対意思はない、だから大人しくしてくれないか?」
「意味が分からないぞ!?」
「でもアンタが動けないのは事実だろ? 一応教えといてやるが、敵対行動しなければ自由に動ける」
「…………」
暫く鳴継を睨みつけていた楓だったが、大きく深呼吸するとゆっくりとした動作でソファーに座った。
そこに敵意はもうなかった。
「貴様……、いや、貴方は何者なのですか?」
「さっきも名乗ったけど、俺の名前は神谷鳴継。一応、この街の土地神をやらせてもらっている」
「……神?」
楓は頭のおかしいキチガイを見る目で鳴継を見ていた。
敵対行為ではない為、その酷く蔑んだ視線を止めることは出来ない。
「小娘、残念ながらそこの少年は正真正銘の土地神だ。逆らうだけ時間の無駄だぞ」
「悪い人ではないので、信用して頂けると助かります」
香織とあやめがそう付け加える。
「というかここはどこなんですかっ? なんで巫女さんがこんなところに……」
「ここは有限会社水無月の事務所だ。そして私がそこの代表取締役をしている水無月香織という者だ」
「私はあやめって言います。神谷神社の巫女をしていて、神谷神社の神様がここにいるから、私もここにいるとしか説明出来ませんねー」
説明されても理解が追い付かず、楓の脳内には疑問しかなかったが彼女は途中で理解を諦めた。
「あ、そういえば私の刀は……っ」
そして思い出したかのように自分の得物がないことに気付く。
鳴継は苦笑いし、言葉に詰まり。しかし最終的に諦めて素直に彼女の前にその残骸を差し出した。
「いや、わざとじゃないんだよ。悪気はなかったんだ……」
彼の手には見事に半ばからへし折れた無残な日本刀があった。
「あああああああああああああああああああああっ」
猫のような素早い身のこなしで楓は鳴継からその残骸をひったくると、抱きしめて号泣し始めた。
「わ、わた、私の、相棒が……。こ、こんな無残な、ひどい、うぅ、ううううううううっ!!」
「わ、泣くな! 俺がめっちゃ悪いみたいじゃんかっ!?」
鳴継の言葉なんて耳を貸さずに一心不乱に彼女は泣き喚いていた。
それだけその日本刀が大切だったのだろう。
「鳴継、人の物壊すとか最低だなー。それでも神様の端くれかよー」
「鳴継さんなんてひどいことを……」
「ああっ、身内の評価がジェットコースター並みに落下していくっ」
「慰めろよ、女の子泣いてるんだぞ」
「俺悪くないし、襲われたからやむなく抵抗したらポキッて折れちゃっただけじゃんっ!」
「でもあのまま放っておくんですか?」
そう言われると罪悪感が凄い。
確かにあの年齢の少女を号泣させているのはどんな理由があれ鳴継が悪いのかもしれない。
女の涙ってずるい。そう思いながらも、鳴継は渋々彼女に近付いていく。
「えーと、その、……ごめんな、悪気はなかったんだよ」
反応がない。蹲って静かにしくしくと泣いている。
「ほら、新しい日本刀あげるから。俺そういうのに強い知り合いいるし」
ピクンッと一瞬彼女の体が反応した。
相変わらず呻き泣いているが、少しは効果があったらしい。
「いいぞ、鳴継その調子だ」
「優しく、優しくですよ!」
外野がうるさい。
鳴継は方向性は悪くないなと判断し、言葉を続ける。
「俺、アンタの太刀筋見て感動したよ。あそこまで美しい一閃は見たことない。どれだけの鍛錬の果てに辿り着ける境地か俺にも少しは分かるよ」
すすり泣く声がおさまっていく。どうやら剣の腕には相当自信があるらしい。
そりゃそうだ。
あれだけの腕前、確固たる自信を得るまで鍛錬しなければ辿り着けないだろう。
「本当は俺も刀を止めるつもりだったんだよ、でも太刀筋が鋭すぎて刀の方がその威力に耐えられなかった。これはアンタの腕がすこぶる良かったってことだ」
「ほ、……本当か?」
手応えあり。
楓から返答があった。
「本当だ。だから泣き止んで俺に事情を話してくれないか? あんな場所に武器持ってやってきて、いきなり俺に襲いかかるなんて何か事情があったんだろう?」
「襲い掛かったのは単純にあんな場所で落ち着いて笑ってる奴は悪い奴に決まってると思ったからだ」
「そりゃ鳴継が悪いな、クッソ不気味な奴じゃないか」
「あー、慣れ過ぎたんですねぇ……。昔はもっと鳴継さんも普通の感性だったと思います」
「…………」
正論過ぎてぐうの音も出なかった。
神様のいない街 とーご @mizu313318
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