渡柄杓

安良巻祐介

 

 朝、玄関先に出て、青空を見上げたところ、何か、変なものが飛んでいる。

 明らかに鳥ではない。細長い。羽搏いてもおらず、どうも生き物ではない。

 それは器物――ひしゃくだった。

 一本のひしゃくが、青空をゆっくりと飛んでいる。

 ひしゃくが、なぜ。

 そう考えたところで、隣の爺さんが毎朝いつも、井戸からひしゃくで水をすくっていたことを思い出した。

 ああ、あれは、爺さんの使っていたひしゃくだ。

 爺さんは数日前に、朝、井戸の前で倒れており、病院に運ばれたが、そのまま亡くなった。

 いつも持っていたひしゃくだけが見つからなかったと聞いている。

 なんだ、あんなところにあったのか…。

 空を突っ切っていくひしゃくを、呆然と、どこか懐かしいような気持で、見送った。

 もしかしたら、爺さんのいない今、あれは井戸の水ではなく、青空の青を掬っているのかもしれない。…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

渡柄杓 安良巻祐介 @aramaki88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ