第3話後編


「本当に良かった」

と次の日職場のみんなから言われたが、僕の表情が晴れ渡ったものではなかったので、ある人が

「一歩間違えば、ということで怖かったかもしれないけれども、とにかく負傷者もいなかったことだし、良かったじゃないか」と言ってくれた。また、このことをあまりニュースで見なかった僕に、詳しく教えてくれた人もいた。


この落石事故で実は車が一台ぺちゃんこになってしまっていたのだ。ではそれに乗っていた人はどうだったのか、これがあの山の階段の神社と関係している。 


大雨の中、いつものようにその山道を車の男性は走っていた。しかあの神社の階段の所に登山者が立っているのが見えた。

「乗せようか、どうしよう」ちょっと迷っていたせいもあり、しばらくして車を止め

「ああー、止めるんなら早くやればよかった、ここじゃUターンができない、走るか」

とずぶ濡れになりながら神社に行くと


「あれ? いたはず? 」


見間違いのはずはなかった、何度か確認はしたのだから。かといって上に登ってもいない、まっすぐなのだから背中が見えるはずである。すると近くで物凄い地鳴りのような音と、金属音がした。雨の中土煙が上がったが、それはすぐにかき消され、振り返ると、自分の車はもう、大きな石の下だった。

 

「君もその人も神社に救われたんだね」

と職場でそう結論が出たのであれば、僕はそれでもいいと思った。そしてもう一つ


「すぐに神社にお礼に行かなきゃいけないね」と。

 

自分としてはちょうど半分半分の気持ちだった。少し休みたくもあり、やはり感謝は感謝ですべきというせめぎあいがあった。誰にも言えなかった「恐怖体験」を自分の中でどう位置づけるのか、それもあいまいだった。だが今度はやはり「職場の雰囲気」のためにもいく必要があるだろうと、とにかく公共交通機関を使って「安全に行けそうな場所」に行くことにした。




「この道でいいのかな? 」 


 降りたバス停からまっすぐということだった。片方は住宅地、片方は山が見えたので、これはどう見てもという感じで歩き始めた。数分歩くとやはり山を背にした神社があった。

「熊野神社、ここだな、ああ、手入れされているな」

地元住民により管理がされている典型的な神社のように見えた。

「へえ、土俵もある、子供相撲かな」

と何となく気持ちも晴れた感じで参拝をし始めると、急にあの時と同じような気配、そして背中に何か触れた感覚があった。

「落ち着け」

と僕は自分に言い聞かせ、体をなるだけ硬直させないようにした。

すると、随分と冷静な判断ができるようになった。まず、指らしきものの位置が背骨の横ではあるがこの前より若干低い。そして力も少し弱い、まるで女性ぐらいだ。指自体の大きさはそう変わっていない、決してして子供のそれではない。


動き始めた。


しかしすぐさま背骨から離れて肩甲骨の形をなぞるように動き、今度は上に上がり、ぐるりと回っているようだった。そうして丁度背骨の真上に来たところで、速度を早めたようにそのままぐるっと回って指が離れたようだった。

そして人の気配が消えた。


「なんだ・・・今のも文字、ぐるっと回ってはらって・・・

ああ! 「の」だ! 」

久々に晴れ晴れとした気分だった。


 その日は天気も穏やかで、知らない町の散策を十二分に楽しめた。

行く予定にしてなかった神社もあって、最初の頃のような楽しさが復活していた。だがこの不思議な文字は何なのだろう、


「人の」


その後の言葉に何が来るのかが逆に楽しみになった。

「まさか、何かの宗教でも起こせって言うお告げでもないだろうけれど」そんなことも考えられるようになったが、どこかでこの次が最後だろうとは思った。

何故なら、三という字は特別なものだから。

そしてこの最後の文字の場所は、自分のこの趣味の出発点にしようと思った。



 そこは本当に小さな祠だった。何故ならば大きな神社の「もともとあった場所」だったからだ。住宅地の十字路の角にあり、その移転した神社は歩いて十分足らずの所にある。意外に大きな神社で、神主は在住していないが、きれいな作務所もあって、大きな戦没慰霊碑もあるところだ。


「もともとあった場所も残しているんだ」

と最初に驚き、感動まで覚えた場所だった。石の小さめの鳥居がかわいらしいが、やはり元が神社だけに、ここだけが木に覆われたようになっていた。道路からほんの数メートルでその祠があり、僕はその前でしばらく佇んだ。気持ちが落ち着いた所で、恭しく二礼二拍手一礼を行った。そして


「誰かが来た」


そんな感覚があった。


それからすぐに背中にまた指らしきものが触れた。

しかし、今度は場所が全く違う、左の肩甲骨の真下だ。そしてゆっくりと、まっすぐにそれは動いた。そして右の肩甲骨まで来ると今度は下斜め方向に動いた。そして背骨まで来ると今度は「ピン」という感じで上に少しだけ上がった。それからしばらく何も触れなかった。

だが、じっと待っていると、背骨の上の方、肩甲骨よりも更に上にまた指が触れて動き始めたが、ほんの少し斜め方向に動いたと思ったら「シュッ」という感じで指をそのまま払ったのだ。


そしてすべての不思議な感覚は消えた。


そう緊張はしていなかったが、深呼吸をして体を一度リラックスさせて、考えてみることにした。

「横に行って、斜めで止まって、今度は上から・・・「カタカナのカだ! 」

え? でも人のカっておかしいよな、違うのかな」


手帳にペンで書くことにした。するとすぐにわかった。


「人の力(ちから)だ! 」


それがわかった途端、僕は失礼とは思ったのだがそこで大笑いしてしまった。それは自分自身への嘲笑以外何物でもなかった。


「新興宗教」という訳ではないが、この体験で僕は自分が

「普通の人間ではない」とどこかで思いたかったのだ、幼い頃のように。

何となく感覚が鋭敏になったのではなく、ただの偶然と、知識不足、情報不足が招いたことだっただけかもしれない。もちろんそういう冷静な自分もいたが、やはり人間は「本当に自分が可愛い」もので、どうしても「良い方」に取ってしまっただけだに違いなかった。


「もしかしたら神様の声を聞けるかも」


自分がマザーテレサのように固い信念を持っているわけでもないのに、心のどこかでそれを願っていたのだろう。だがその答えは


「人の力」ということだったのだ。


神々を信じ、それを祭るための神社を建てたのは人間である。そこを守ってきたのも、そのための祭りを行うのも、すべて「人の力」なのだ。長い間、そうやって来たのだ。背中の文字を幽霊が書いたとしても、その幽霊はもともと人であり、また日本人であったはずだ。


「あなたは、心のどこかで、たくさんの神社に参ったら、ゲームのようにレベルアップして能力が増えると考えているのだろうけれど」


そう僕に直接は言えないために、彼らが考えた言葉が


「人の力」だったとしたら、それは本当に心のこもった金言であると言う他なかった。




この事があって他の人から

「楽しそうだね」とか

「最近生き生きしているよね」と言われるようになった。自分としてはさほど変わった感じはないのだが


「やっぱり九死に一生を得た人間は違うなあ」


上司が「考えさせられる」といった風に言うのが少し面白いと思った。


「今まで「ちょっと上から目線風」なのが無くなったよ」

と素直に言ってくれる、同期の人間の言葉もありがたいと感じるようになった。


しかし、この背中の文字のことは今まで誰にも話したことがない。


何故なら僕が話し方を間違えたり、話した相手のその時の心理状態によっては

「ただの恐怖体験」でしかないからだ。僕としてはそうなって欲しくはないし、そうなってしまっては文字を書いてくれた彼らが本当に「化けて出るかもしれない」と、これは本気で思っている。


この事を上手く話せるまでには、僕自身にもう少し時間が必要なのかもしれない。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小恐怖 背中の文字 @nakamichiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ