10.ナイアとほとり

- まえがき -

子供の蝶人を見送ったほとりとクォーツは、ガラス瓶の水筒を探しに神殿に戻る。


そして、地上への道へ急ぐが、ラーワがナイア像にあった剣を手にして、クォーツの前に立ちはだかる。




#自分の気持ち


 子供の蝶人たちも壁の中から大量に放出されている水に目を奪われていた。


「さぁ、もうおうちに戻っていいからね」


 クォーツが言った。


 町へ下る道の上で二人は、放水から徐々に目を外して、駆け飛んでいく小さな蝶人たちを見送った。


「これで次の納天姫祭まで、民は暮らしていける。でも、これは繰り返される」


 クォーツは町を眺めて言った。


「それまでに地上で理想水郷を――」


「作れるかな?」


 ほとりはすぐに答えることができなかった。


 光帝や神官たちが生け贄の代わりになり、ましてや誰でも生け贄になり得る状況で、根本的な水の確保はかわっていない。一刻も早く理想水郷を作り、ミクトランの民を地上に連れて行くしかない。


 ほとりは持っていたベレノスの光を見つめた。


 ――これを使えば、簡単にウトピアクアが作れるの?


 しかし、これを使った結果は、最悪の形しか想像できなかった。


「ここでは暮らしにくい。水がある地上へ出ることができればいい。


 私が、その理想水郷を作って、みんなを連れていきたい」


「そうだね」


「それにしても、ほとりはすごいね」


 クォーツにそう言われて、ほとりは思い当たる節が見当たらなかった。


「何が?」


「子供の蝶人たちを助けたい言ったこと。私も見て見ぬ振りをしてきて、何もできないと思って行動にすら移せなかった。


 その点、ほとりは自分の気持ちで行動してるから」


 ほとりは、そんな風に見られているとは思いもしなかった。ただ、今の状況を恨んでも仕方ないと、やれるだけのことはやっておきたいという気持ちを、ウトピアクアに来て持つようになったのは事実だった。


「地上に行こう、二人で」


 ほとりは強く頷いて、二人は神殿の中へ戻っていった。




#ガラス瓶の水筒


 大通路を進んでいる時だった。ほとりは、ガラスの瓶のことを思い出した。


 天姫となったほとりの所有物は、高見場に奉られているはずだと、二人はもう一度、高見場に向かった。


 そっと壁から顔を覗かせると、光帝や神官が無残な姿で倒れている光景は変わっていなかった。


 しかし、テクリートの姿はそこにはなかった。


 辺りを警戒しながら、おそるおそる倒れた人たちをよけて進む。


「あそこ」


 ほとりは、小さな声で言って、そっと指を差す。


 テクリートは、天井で逆さまになり動かないでいる。ほとりたちのことを気にしている様子もなかった。


 広場に溜まった水かさは、少しずつ減り始め、水で濡れた壁が現れ始めていた。テクリート像のあった穴から出る水の勢いも弱まっていた。


「ほとり、これ」


 ほとりのガラスの瓶が落ちていた。


 クォーツが手に取った。ガラス瓶は割れてはなく、ケースや肩掛けの紐も燃えておらず無事だっだ。


 瓶が乗っていたであろう台の上では、ほとりの着ていたセリカ・ガルテンの制服がすでに燃えて灰になっていた。


 ほとりは、ベレノスの光をクォーツに渡して、ガラス瓶を肩にかけた。


 クォーツは、ほとりを見て微笑んだ。


「ここへ来た時のほとりを思い出す。まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかった」


「うん、私も」


「水の勢いが弱まってる。もうすぐ道が現れるから、急ごう」


 クォーツは、台の上に持っていた鍵束を置き、ほとりとともにその場を去った。




#ナイア像


 二人は大通路を進み、大きな扉の玉座を通り抜けた。


 光帝の椅子の背後にある扉から、クリスタル張りのナイア像の部屋へ入った。


 ナイア像の前にラーワがいた。彼女は、両手でクリスタルの剣を握って、興奮を押さえ込むようにして息を上げている。


 その剣は、ナイア像の腰についていた物で、像と一緒にあった時は、短刀のように小さく見えていた。


「ラーワ、一体なにを……」


 血走る目のラーワに、クォーツが聞いた。


「天姫さんたち、自分のお役目を果たさず、どこへ行こうとしているの?」


「もちろん、地上よ」


 クォーツが答えた。


「地上へはベレノスの光とナイアの祈りだけ届けばいいの。人が本当に行く必要はない。ミクトランを混乱させないので」


「混乱なんて……。民はみな、地上で暮らすことを夢見てるでしょ。そのために納天姫祭をやってきた」


「夢見てるのは、クォーツ、あんただけよ。光帝様は、民をこの地底にお納めしている。この世界を勝手に変えてくれないで、クォーツ」


 ラーワの言葉尻はもうまるで言いがかりかのように叫んで、剣を構えて走り始めた。


「え、ラーワ、落ちつっ」


 一歩二歩、クォーツは下がった。


 ラーワは剣を振りかぶり、しかし剣の重さで体勢を崩しながらも、振り降ろす。


 クォーツはかわそうとするも、鋭い切っ先がクォーツの腕をかすれた。


「ツっ――」


 クォーツの腕からベレノスの光が転げ落ち、床の上を回転して滑っていった。


 むやみやたらに振り回される剣に、クォーツは何度も身を翻すが、足がもつれて転んでしまった。


「本来、生け贄でいなくなるあんだが、生きていちゃいけないんだよ」


 ラーワは両手で剣を振りかぶって、振り降ろした。


「クォーツ!」


 剣先がクォーツの眼前で、その動きを止めていた。


 ほとりは、羽でクォーツをかばったのだ。


 クリスタルの剣が水の羽を貫通するも、ラーワの腕を羽が食い止めていて、それ以上振り降ろすことをさせていなかった。


 ほとりは、そのまま羽を羽ばたかせるように勢いよく広げて、ラーワを弾き飛ばした。


 何度も床を跳ねて転がったラーワは、震えて動けずにいた。


 ほとりは、転がったベレノスの光を拾い上げた。


「ミクトランの民も地上で暮らせる理想水郷を作ります。クォーツと一緒に」


 ほとりは、ラーワに言い放って、クォーツのもとに戻った。


「大丈夫?」


 クォーツの腕の服は破れ、少し赤くにじんでいた。


「少し切っただけだから平気。守ってくれてありがとう。助けられてばかり……」


「そんなことないよ」


 ほとりは、ホッとした。


「それにしても、ほとりの羽、本当に便利ね」


 ほとりは、背後に目を向けると、羽にクリスタルの剣が刺さったままだった。


「あ、どうしよう、これ」


 クォーツは立ち上がり、和らいだ表情を見せる。


「ほとりが持っていっちゃいなよ。ベレノスの光と剣を持った今のほとりは、まるでナイア様みたいだよ」


 ベレノスの光と剣のないナイア像の前で、そのナイア像を思わせる甘姫の衣装を着たほとりは、クォーツの輝く二つの目で見つめられていた。

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