第144話:仇敵ノ討伐ハ斯ク成
萌花さんとの接点を失った新苗が崩れる。一度に四百年ほども時を見送ったように、朽ちて砕ける。
砂みたいな木屑とほどいた麻糸に似た繊維が残って、それらでさえ落ちていく間に壊れていく。
その降り積もる上に、萌花さんと僕は抱き合ったまま倒れた。
「…………っはあ、はあ、はあ、はあ」
息を長く止めすぎた。一護絶句を使えば、苦しいとさえ思わない。でもそれは、術によってその間だけ空気を必要としないからだ。
術を解けば、止めていた分の空気を身体は求める。
「くお、ん――さん」
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
声が出せないだけでなく、ぐわんぐわんと景色が揺れる。すぐ目の前の萌花さんさえ、飴細工を伸ばしたみたいに歪んで見える。
ただ倒れているだけなのに、誰かにひどく身体を揺すられているようだった。
でも、休んでいる暇はないのだ。
荒増さんの術から、動けない萌花さんたちを守らないと。
『さし――』
紗々、と呼んだつもりだった。短い紗々の名前さえ、心の声として思い浮かべられたか怪しい。
でも動いてくれた。橙色の
その髪を差し伸べ、光に浸したみたいな金糸を使って萌花さんを運んでくれた。部屋の入り口付近で待つ見外さんたちに、しっかりと渡す。
次は粗忽さんだ。いいかげんに限界を無視するのも限界らしい。喘息に似たひゅうひゅうという息が、小さく鳴っている。
同じに見外さんの下へ。
「ヌウゥゥゥ」
「下郎。妾の怒りを思い知るが良い。己の畏れた天宮の炎に焼いてくれる!」
普段の高潔凛然とした真白ではない。血走った目も、上気した顔も、鬼神もかくやという憤怒を示す。
やはり長い黒髪が、紅蓮の着物が踊る周りを縁取った。裾は拡がり、翼のように。差し向ける大太刀が嘴のように。
黄でも白でもない、純粋な赤が眩しく
「
強烈な風が辺りを打つ。吹くなどと生易しいものでなく、風神の持ち物は槌だったかと思うように殴り付ける風。
それを起こしたのは火の鳥の翼だ。
書物に見る鳳凰みたいに、神々しくはなかった。そこにあるのは、真白の怒りをそのままま顕した炎の塊。伽藍堂を焼き、食い尽くすだけの意思の権化。
火の鳥は伽藍堂を咥えると、無造作に噛み砕いた。木片がばらばら落ちるけれど、それさえこの世に残すものかと燃やしてしまう。
炎の翼に抱かれ、灼熱の爪に引き裂かれ。巨人のようだった伽藍堂は、元のみすぼらしい老人の姿に戻った。
「ゥゥゥォォォ」
「思い知ったか下郎。妾が己の息の根止めてやりたいところ、弟の為に生きたヌシさまに譲るとしよう」
大地の底に押し潰されたかという悲鳴。間違いなく、最凶最悪の怪人は瀕死に落ちた。真白はそれさえ油断なく、火の鳥に翼を広げさせて包囲を解かないが。
不思議なのは、僕のことだ。これだけの式術に晒されて、どうして平気なのか。僕も紗々も、防ぐだけの霊は残っていないのに。
「さあ。俺の連れ合いから歓迎は受けたか。間違いのないように、勘違いのないように言っておいてやるが、てめえを殺すのは世の為ひとの為――じゃあねえからな」
荒増さんの手に、無数の光が見えた。赤く燃える景色に、黒く輝くなにか。
黒い剣術着はあちこちほつれ、ボロ布を纏っているようでもある。無造作に伸びた髪は汗と血に濡れて剣山みたいに。あの人の胸の内が、形になったのかと思う。
手にあるのは、針だ。
顔の長さほどもある針が、左右それぞれ何十本も。ひとつひとつが、凄まじい霊を帯びている。
信じ難いことだが、どうやらあの針全てが式刀らしい。二本や三本なら見たことがあるけれど、やはり荒増さんに常識などないようだ。
「てめえを殺すのは。てめえを殺す俺と真紫雨は、てめえのしたことの仕返しをするだけだ。
「ワシハ……」
「もう喋るんじゃねえっ」
無数の針が投げ付けられた。文字通りに木偶の坊と化した伽藍堂が、今度は針鼠になる。
しかしそれは、秩序なく乱雑に刺さっているのではない。全ての針は人体急所、そして経絡に。
殻を通る霊の分岐する、要所に突き立っている。
「
黒く黒曜石にも似た輝きの針は、荒増さんの手に一本だけ残されていた。それが振りかざされ、あたかも指揮棒の如く振り下ろされる。
その荒増さんの顔は白く、一切の感情が振り払われていた。
「
静かにスイッチを押しただけ。そんな風にも感じられる声が響いて、伽藍堂は断末魔を叫ぶ。
刺さった針先から漆黒の稲妻みたいな光が迸り、怪人の全身を洗う。
「オオオオオオオオオォォォ……」
長く。とても長く悲鳴は続いた。
それがいつしか弱く細り、ある時にぴたりと止まる。
その瞬間。おそらく建物全体が揺れ始めた。霊を供給していた伽藍堂が死んだ為に、茅呪樹も崩壊を始めたのだ。
あれだけの攻撃を受け。これ以上ないというほどの浄化を施されて、なお伽藍堂の殻は消滅していない。
「真紫雨」
「畏まりましたえ」
真白の持った大太刀が、倒れた伽藍堂の首を落とす。それでも怪人はぴくりとも動かない。霊の波動も感じない。
やはり怪人は死んだのだ。
「遠江を運んでやってくれ」
真白に僕の運搬を頼むと、荒増さんは伽藍堂の死骸を集め始めた。万に一つを警戒してだろう。
「終わった……」
うまく言えはしなかったが、僕もそんな言葉を漏らした。ここで戦って分かったこと、まだ分からないこと。
そんなものもとりあえず忘れて。
「紗々を戻すから……」
まだ身体は自由にならない。でもどうにか、織南美を鞘に戻す。落ち着いた様子を取り戻した真白も、優しげな顔で見守ってくれた。
「………………ワシハ滅セヌ!」
その声はどこから聞こえたのだろう。
誰も見ていなかった、どこかの影。この部屋の闇から、それはやってきた。
いや違う。それは切り落とされた伽藍堂の首。怪人の頭であり、討王の怨みが凝り固まった屍鬼。
「ううっ……」
頭部だけのそれは、僕の身体を咥えて運んだ。拘束の式言を発して拘束衣を締め付けると、抜けのない歯でベルトを咥えた。
行き先は床を沈み、地の底へ。
暗く視界が閉じて、僕の記憶はそこで途絶えた。
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