第137話:起死回生ノ剣ヲ捨テ
前後両面に老人の顔。榧の枝がそのまま人の腕の格好をしたものが四本。
そのうちの二本が僕を追い、一本が脚を握った。もちろん織南美を切りつけたのだけど、腕が悪いのか霊が足りないのか、全く歯が立たない。
「猫じゃらし!」
「はいっ!」
平織りの盾を形作っている霊の糸。それを植物の絨毛みたいに纏う。握られた僅かな隙間に織南美を差し込んで、梃子にもする。
「フッ。まこと虫けらのようよの」
空いていたもう一本の手が、上から覆い被さってくる。これを許しては脱出が不可能――だが、下半身の自由が利かないではどうしようもない。
「主さまっ!」
「紗々! ――くそっ!」
援護をなどと息巻いて、あっさりと言うにもほどがあるくらい簡単に捕まってしまった。
言いわけをすれば、それだけこの怪人との力量差があるのだけれど。目的を達するにはそれをどうにかしないといけない。
荒増さんの言葉を借りれば、必要な今という時に必要な強さを持っていない僕が悪いのだ。
「……ぉん」
「くっ、どうにか脱出しないと」
「久遠!」
すぐ耳もとで、姉の大声がした。咄嗟にきょろきょろ探そうとしたが、首も頭も押さえつけられている。
「静歌と鈴歌の目を通して、だいたいのことは分かるよ。久遠、真白露って子をACIにしな」
「えっ、いや――それは」
幻聴にしてはやけにはっきりしているし、内容も具体的だ。
そうか鈴歌には、音響兵器が仕込まれている。それを使えば、僕の耳へピンポイントに音を届けることも可能だろう。逆に指向性の集音装置だってあるのかもしれない。
「真白露は、荒増さんの友だちなんだよ」
そう信じて返事をした。式で声を運ぶことも出来るけど、そうすれば会話を伽藍堂にも察知されるかもしれない。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう!」
良かった。会話が出来る。
しかしその姉の言葉には即答出来ない。みんな伽藍堂の思惑どおりになってしまっては、元も子もないと分かっている。
でも。荒増さんは二十年以上も、真白露を探し続けていたんだ。その相手とひと言でも話す前に、僕がどうこうなんて酷すぎるじゃないか。
「彼をACIにしたら、どうなるっていうの?」
「あんたにそんなことはさせたくないんだけどね。久遠、あんたは遠江久流の技を全部知ってるだろう?」
「……知ってる、と思う」
だが使えない。同じ纏式士とひと口に言っても、師の技を使いこなせることのほうが稀だ。
霊の波長、霊の総量、ひと息に放出できる霊量。式や自然現象への理解度とか、生きてきた中での関わりかた。
挙げていけばきりがないくらい、一つの術を完成させる条件は多い。
「あんたは術を知ってる。真白露くんは、伽藍堂の中にずっと居た」
「あ……」
纏式士は国家資格だ。その中での最強は、荒増さんだと世に言われる。
でも伽藍堂は。この怪人も式士だ。当然に国家資格など持ってなく、生きてきた時代を思えば、式師と呼ぶべきだろう。
その中にずっと居た真白露が、式の構築を肌で覚えていたら。それがACIとして僕の補助をしてくれるなら。
僕は今までに出来なかったことを、出来るようになるのかもしれない。
「あんたの人生だから。守ってやれなかったあたしが強制は出来ないよ。でも言いたいことは言わせてもらった」
「そんなこと――」
「だってあたしは、久遠のお姉ちゃんだからさ」
たった一人の姉が、どんな思いで時を過ごしてきたのか。どんな気持ちで今の言葉を言ったのか。
きっと問い返せば、なにか答えてくれるのだろう。
「……無理だよ、ごめん」
ぎりぎり締め付けられる伽藍堂の両手の内。暗い中で、僕は目を閉じる。
謝罪に対して、なにか言おうとした息遣いだけが聞こえた。でもそれ以上に言葉が続けられることはなかった。
「さてそろそろ、いい時分かの」
伽藍堂がぼそり言ったのは、それから数十秒も経ってからだ。被さっていた手が外されて、大して明るくもない照明が眩しい。
見えたのは大太刀を構えたまま動かない荒増さんの姿。荒々しい怒りの形相だけれど、目の焦点は合っていない。
真白の姿はなかった。たぶん霊を保てなくなって、式刀に戻ったのだ。
それを認めるように、大太刀が音を立てて床に落ちる。
「この男。言うだけあって、未だ霊を吸いきれぬ。しかし間もなくでな」
それで僕の順番だと。歓迎したくない出番だが、対抗方法を捨てたのも僕だ。文句は言えない。
上半身に自由が戻って、ダメでもともと伽藍堂の手に、何度も刀の切っ先を突き刺そうとした。
しかし結果は変わらない。
「主さま。主さま! 紗々はいかがすれば!」
紗々と自分なりに、伽藍堂の手を開かせようとしてくれていた。しかし怪人は意にも介さない。
式刀に封じられた式徨を、この状況からすぐさま解放してあげることも出来なくて。僕には心の中で「ごめん」と謝るしかなかった。
僕は荒増さんを恨み続けてきた。でもそれは誤解だった。だから恩を返さないといけないのだけど――。
「それ、痛くはない筈」
「うっ」
新苗に首すじが接する。そこだけ温かい湯に浸かったみたいに心地いい。
ただ急激な疲労感で、眠気もものすごい。このまま眠ってしまえば、もう悩むことはなくなる。
さっきまでの葛藤が嘘のように、僕は楽な方向へと気持ちを転げさせた。
『久遠さん、聞こえるが?』
そこに誰だか、僕を呼ぶ声がする。
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