第135話:崩レ落チル正シキ人
「私の弱点が、一人であることだと。言ったのは四神さんでしたかね。まあこの程度で倒れるなら、私もそこまででしかなかった」
傷口を押さえていた手が外されると、血が溢れた。マグカップになみなみという量は、仙石さんの脚をよろめかせる。
「おい、てめえ」
「なんです?」
「なに格好つけてんだ。納得いってねえなら、俺が分からせてやる」
半身に大太刀を突きつけ、荒増さんはどこからでも来いと構える。
「あ、荒増さん。もう仙石さんは――あの傷じゃ、術を使えば死にますよ」
「だからどうした」
だからって。
そんな覚悟もなく、叛乱なんて大それた真似をしたのか。荒増さんなら、そう言うだろうと分かっていた。
でももういいじゃないか。仙石さんは戦えない。そこに戦いを挑むなんて、もういたぶる為としか見えない。
それにこの間にも伽藍堂は、萌花さんのところへ向かっている。
「先日の意趣返しですか。いついかなる時にも、備え怠るべからず。常在戦場と仰るのですね。共感しますよ」
腕が伸ばされて、打刀が向けられた。切っ先が大きく震えて、体力の限界が近いと分かる。
「
空いている荒増さんの左手に、炎が纏う。僕の細断と同じく、刀の通用しない相手に緊急で使うことが多い術。
この人の技の中で、最も霊の消耗が少ない部類に入る。もうその程度で十分だと、分かっていながらとどめを刺すのか。
「
迷いのない声が、式言を完成させる。左手にあった炎が消えて、同時に仙石さんが炎に包まれた。
「仙石さん!」
走った。
呻くことさえせずに倒れた彼を見て、放っておくことが出来なかった。
「遠江! 殺すんでも捕まえるんでも、お前に任せる!」
「えっ?」
急にそんなことを言われて、振り向くと荒増さんはもう伽藍堂を追いかけていた。
まだ死んでいないのか? その疑問は、問うよりも自分の目で見たほうが早そうだ。
「仙石さん、仙石さん!」
駆け寄ってすぐに分かった。まだ死んではいない。治療をすれば、十分に回復するだろうと。
「……ぁ、ああ。あの人らしい、仕打ちですね」
痛みに閉じられていた仙石さんの目が、自身のわき腹に向けられる。
なにかと思って僕も見ると、その部分の狩衣が焼け落ちていた。大きな炎だったけど、集中したのはそこだったらしい。
「傷が塞がって?」
「ええ……血は、止まった――ようです。どうにも……乱暴ですがね」
気付くと床が元に戻っていた。煉石と御石の姿も消えて、仙石さんの意識が何度か途切れたのだと思う。
こんなとき、どうすればいいのか。
今は意識がはっきりしているようだから、揺り動かしたりする必要はない。でもこの硬い床に寝かせたままでいいものなのか。
毛布でもあればいいのだけど、都合よく転がっているものでもないし。
「遠江くん。せめてこれを枕にしてやってくれ」
部下に肩を貸してもらって、粗忽さんがやってきた。手に彼女のジャケットが折り畳まれて、差し出されている。
「あ、は、はい! ありがとうございます」
「いや、無用ですよ」
受け取ろうとした僕の腕を、仙石さんがつかんだ。瀕死に見える外見と反して、まだ力強い。
「だいぶん痛みも引きましたし。ぼんやりしていたのも戻った。最後のひと勝負をしなくてはならないのでね」
「最後の?」
「貴様なにを言っている。死ぬぞ」
傷の程度としては、もっと酷いはずの粗忽さん。またそれをうっかり忘れたのか、無理に動いている自分を棚に上げた。
「なにを仰っているんですか。私はあなたがたの敵ですよ」
床に伏したまま、彼は打刀を天井に向けた。言っているとおり、震えは治まっている。
でも傷が塞がったところで、体力や霊が補われはしない。激しい出血によるショックが止まっただけだ。
「
「――粗忽さん。危険です、対霊装備を」
「なに?」
こんな場所へ来ているのだから、与えられた装備は存分に使っているだろう。
でもあえてそう言った。細かい説明をしている暇はない。自分で状況を把握し、どう対応するのか決めてもらわなければ。
「な……」
粗忽さんは意図を察して、外していたバイザーをすぐに確認した。その光景を、彼女も一度見ている。それでも言葉を詰まらせるには十分だった。
「なんだこの量は! これはまさか、あのときの霊の大群か!」
「そうみたいです」
僕たちは最初に、塞護へ侵入しようと搗割で近付いた。そのときに地下から現れた数万を超える工事人たちの霊。
それが打刀に吸い寄せられ、そのまま仙石さんの殻へ入っていった。
「全隊退避。通路まで距離を取れ」
数体程度ならともかく、これだけの霊を相手に衛士の装備ではどうにもならない。正しい判断を下した粗忽さんたちが退がって、僕も紗々を呼び戻す。
「私は知らなかった。正しい行いをすれば、正しい人々が正しく認識してくれると思っていた」
瀕死だったとは思えない動きで、仙石さんは起き上がる。膨張した霊量のおかげだけど、そんな無茶をすれば殻が持たない。
「正しさが一つでないのは知っていた。だが少なくとも、私が敵とした相手に正しい者は居なかった」
「そうかもしれませんね」
「ならば、なぜ」
もう随分と飲み込んだのに、順番を待つ列が途切れない。
最後の勝負と仙石さんは言ったけど、その相手は僕ということか? だとしたらお門違い、見当違いもいいところだ。
「簡単です。仙石さんも正しくなかったんですよ」
「私が正しくなかった? どこが誤っていたのか、教えてもらえますか」
「誤っていた、わけではないかもしれません」
本当を言えば、そんな指摘もたくさん出来た。でも今それを言う必要を僕は感じなかったし、僕が言えることでもないと思った。
だからこれは、僕が勝手に傷の舐め合いをしているだけだ。
「この時代に。この場所に。この国に居る人たちにとって、求める正しさではなかった。それだけです」
「見誤った、ですか。なるほど」
限界が近そうだった。古い霊たちは、仙石さんを頼って押しかける。式のエネルギーとして使うならともかく、一人の人間が抱えていられる量では到底ない。
「平織りの盾。
「分かりましたぁ。紗々は頑張ります」
相当な無理を言っているのに、紗々も問い返さなかった。これが終わったら、真白と一緒にたくさん休んでもらおう。
「遠江さん。さっきはああ言いましたが、荒増さんの術は素晴らしいものだった。あれをやられていたら、私が負けていましたよ」
「――そうですか。伝えておきます」
「ええ。あれだけの霊を一度に扱うなど、私には出来ないと分かりました」
試合で負けたのは、それはそれで荒増さんの本気だったのだと思う。当人が言っていたとおり、感情でやる気の左右される人だから。
でもそれを、今になって言わなくても。本当に真面目な人なのだと感心する。
「なにも試さなくても。仙石さんは僕なんて及びもつかない、すごい術者ですよ」
「まあまあ――私が召される時に、少しでも同行出来ればと。ここで彼らの浄化を助けたかったのですが、それも……」
吸い込まれる霊の流れが止まった。いよいよ限界らしい。僕にあれをどうにかする技術はなくて、見ているだけしか出来なかった。
仙石さんの身体がガクガク震えて、ひとかたまりになった霊の波動が嵐のように吹き荒れる。
吸収しきれなかった霊が身体から漏れ始めて、それは暴走して壁や天井を破壊した。盾を構えた僕も、少しずつ距離を広げなければ危険な力だ。
「さようなら……」
崩れ落ちる瓦礫が、仙石さんの直上にも降り注ぐ。迸る霊がそれをも破壊していたけれど、いつしか積もって彼の姿は見えなくなった。
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