第131話:与ヘラレタ時ハ短シ

 あらみたま、と。聞いた音をなぞるのは大切だが、それだけで扱えるほど式術は単純でない。

 式とは決まりごとであり、その順番を示す。

 手印やそれ以外の腕や脚などの動作で作る、殻朶からだ。いわゆる心の持ち方や、言葉として吐く音にこめた、意之霊。

 それらがどう絡み合ったかで、顕れる現象が違う。


「なるほどの。お主、天宮の娘か。あれで生きておったとは、驚くべきことよ」


 抑揚を抑えて、窺うような。一人で勝手に納得したような口調。当たり障りないようで、どうにも癇に障る話し方。かと思えば、急に見下してくる。

 いかに人を不快にさせるか、研鑽を尽くしたような態度は変わりない。

 だが内の重みは違う。水に沈めようのない乾ききった浮木も、いつか湿って鉄の重さになるように。


「下郎に語る舌など持たぬなあ。おのれが語るべきは、いずこの獄へ参るか雙世そうせいの王に言上することよなあ」


 もともと真白は、感情や欲求が豊かだ。それが今は特に強く見える。彼女自身の怒りが形となって、苛烈な炎を伽藍堂に叩きつけている。

 でも、薄い。向けられた当人の位置に居るとよく分かる。一見すれば伽藍堂に逃げ場がないように見えるけど、たぶんわざと逃げないのだ。

 真白の炎は間違いなく伽藍堂の霊を削っているが、それ以上に彼女自身の消耗が激しい。このまま行けば、真白が先に参ってしまう。


「遠江――てめえ、さっさとしやがれ!」


 霊的に真白を支えつつ、自らも大太刀に霊を通し切りつけて、反対の手に手印を結んで補助の式も構築し続ける。

 十分に人間離れした芸当をしている荒増さんが、弱音を吐いた。いつもの我儘な催促とは違う。もう持たないから、早くしてくれと頼んだ。


「もう少し――もう少しで見えそうなんです」


 霊を使うのでなく、霊で使う。意味するところは分かる。

 糸に吊るした操り人形みたいに霊を使うのでなく。操り人形を自分の本体として認識するのだ。命とは意之霊であって、殻が人形で意を持つ霊が本体というのが実際なのだから。

 しかし理屈を知っていて可視出来る纏式士も、直接ものに触れる殻のほうを本体と錯覚しがちだ。

 これを本来の認識に改めろと。荒増さんが言うのは、理屈としてとても単純ではあった。

 けれども一度こうと見てしまった騙し絵を、異なる見かたに変えるのは難しい。


「時間切れのようだ」


 伽藍堂のかすれた声が、終焉を告げた。真白の炎が燃料を切らしたように、何度か弾けて消えた。動きの鈍った荒増さんの太腿には、伽藍堂の左手が突き刺さる。


「荒増さん!?」

「くぅっ……!」


 この人はもし屍になっても、睨みつける眼だけはこのままに違いない。

 そう思わせる眼光が、ぎらぎらと生を感じさせた。


「ではこれで終いよ」


 大太刀も切っ先が下に着いて、伽藍堂のとどめに放つ右手も払うことが叶わない。

 分厚くはあっても単なる布地の服と、それこそ鎧のような荒増さんの胸板。そこへ茨のに似た伽藍堂の棘が突き刺さる。

 ざく――と。厳かで残酷な音だった。

 濃い色の液体が腕を伝って、伽藍堂の胸を濡らす。ぽたぽたなどと生易しい勢いではなく、心臓の送り出す血液量がそのまま流れ出るように。


「鈴歌!」

「むう。余計な真似を」


 棘が刺さったのは鈴歌の背中。流れ出たのは機械人形の潤滑油。

 小さな身体の鈴歌は、刺さった棘にも構わず振り向いた。


「アァッ!!」

「ヌッ!?」


 音響兵器である鈴歌の声が、伽藍堂を襲う。どうやら感覚まで共有していないようで、僕はちょっとうるさいというくらいで済んだ。


「……これしき!」


 その言葉どおり、ダメージはほとんどないらしい。でも耳を咄嗟に押さえて、聴覚には影響があったのかもしれない。

 伽藍堂はその左手を、また棘に姿を変える。そして向かってくる鈴歌の胸に突き刺した。

 危機管理のシステムはあるのだと思うけど、痛みそのものは機械人形にない。鈴歌は伽藍堂の左腕にしがみついて、もう離さないという構えだ。


「てめえ、ちっこいの! なにしやがるんだ!」


 強がる荒増さんだが、もう構えを取り直すことも出来ない。ごまかせないほどに腕と脚が震えている。

 早く。僕が早くやらなきゃ。

 焦ってしまうと、どうするのか方法でなくて、早くという言葉を繰り返してしまう。

 霊を本体に。殻は器で――僕はプールに張られた水のほうだ。


「手伝うよ、久遠」


 その時。どこからか、姉の声が聞こえた。遠慮がちではあるけど、元気そうだ。


「あたしもいつまでも同じじゃないからね。人の仕事を奪おうって魂胆さ」

「く――ね、姉さん!? どこに!」

「目の前だよ」


 たしかに声はすぐ近くから聞こえた。しかしその距離には、伽藍堂と鈴歌しか居ない。


「ここだよ。鈴歌の口を借りてるんだ」


 感情のない鈴歌の顔が、その時だけ少しばかりいたずらっぽく見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る