第130話:転機ハ静カニ厳カニ

 ほんの少し前まで。他はどうあれ、萌花さんをどうにか助けたいと考えていた。そんなことを偉そうに、紗々に宣言したりもした。

 それは今も同じ、と言いたいけれど。たぶん僕は、もう無理だと諦めていた。

 僕はなにも。なに一つとして、救出の手段を実行したわけでもないのに。


「荒増さん!」

「なっ、遠江か⁉ 意識あんのかてめえ!」


 いつもの僕はどんなだったろう。

 考えてみれば、ここ最近の僕は実に自由だったじゃないか。荒増さんに言いたいことを言い、国分さんや四神さんはとても良くしてくれる。

 萌花さんと出会って、心那さんから名指しで依頼も受けた。姉のことは――驚いたけど、あの人が僕に残された唯一の肉親である事実は変わらない。

 どれも僕が望んで得たわけじゃない。父の意向に沿うようにとしていたら、自然とそうなっただけだ。

 だから僕は、これから先をそうしよう。僕がやりたいこと、望むことはなにか考えて、選び取っていこう。


「どうして僕が怒られるんですか。いいことを教えてあげようと思ったのに」

「いいこと?」


 顔をしかめる荒増さん。あちらからすれば見た目は伽藍堂そのものだろうから、視覚的な違和感は否めまい。


「ましなり」

「なに――?」

「ましなりって、呼んでる男の子が居ます。ここに。伽藍堂の中に」


 ぴたり、と。荒増さんの動きが止まった。触手のように動く伽藍堂の手が、腕とわき腹に食い込む。

 でもきっとその痛みでなく、荒増さんは目を閉じた。心のどこかに、生きている可能性を残し続けていたのだと思う。

 でも男の子は、伽藍堂の霊の一部になっている。その姿に、殻は残っていない。肉体的には死んでいるのだ。


「――遠江」

「なんでしょう」


 目を閉じたまま、すうっと大きく息が吸われる。同時に僅か顎が上がって、額や頬の汗が飛び散った。

 その中に。両の目尻に、大きな水滴がいくつか目立ったのは、僕の見間違いだろう。


「真白露を引き摺りだせ! こんなジジイの中に置いとける奴じゃねえんだ!」

「む、無茶を言わないでください! そんなのやったこともないのに!」

「俺がここからやるより、簡単な筈だ。安心しろ、やり方は教えてやる」


 その真白露さんの声が聞こえる以上は、荒増さんの言いぶんも分かる。伽藍堂に取り込まれかけている僕のほうが、いくつかの障壁を乗り越えた位置に居るのだと。

 僕に出来ることであれば、やってみようという気持ちはあった。でも世の中に優秀な纏式士は数多く居るのに、霊の移し替えが可能なのは荒増さんだけなのだ。

 その事実を前にしては、気軽にやってみますと言える話でないのは子どもでも分かる。

 ――だから。僕の答えは決まっている。


「やればいいんでしょう、やれば。失敗しても恨まないでくださいよ」

「そうなったら半殺しだ」


 これまでは自分で得たものなどなかった。だから僕は決めたのだ。

 まずは、今の居場所をそのまま持ち続けることを。


「荒御魂!」

「――なんですそれは」


 両手は剣印に。ただでさえ放出する霊量の多い荒増さんが、より濃密な霊を放つ。

 その式自体は、見たことがある。自分の霊に自分で作用して、能力を上げる術だ。だがそれが、霊の移し替えに関係あるのか。


「こいつは霊を使う術じゃねえ。霊で使う術だ」

「……なんです?」

「あとは実際やってみろ」


 おいおい。

 そう突っ込んでも、絶対に問題ない筈だ。珍しく自分から、やり方を教えるなんて言った癖に。蓋を開けてみればこれだ。


「なるほど面白いことを考えるものよ。己に括った綱を引き上げて、飛ぶ試みよな。そのようなもの、誰もが思い付いて誰もやらぬ愚者の所業ぞ」


 怪人の笑声がクフクフと積み重なる。けれども、「だが」とそれを崩したのも伽藍堂自身だ。


「のんびり見物はしてやれぬな」

「そうだろうぜ。しかしてめえの中に居る遠江をどうにか出来るのか?」


 伽藍堂の感情に、今までにない靄がかかった。僕自身の感じたことのある似たもので言えば、それは焦りだ。


「出来たとして、のんびり見物してやれねえのは俺も同じだがな」


 荒増さんが笑う。面白がっているのでなく、闘争心が最高に達したのだ。

 大きく開いて、歯を剥き出しに吠える口。見開いて、敵を射殺すような鋭い目。怒りに紅く染まった、頬から肩。

 きっと次に言う言葉は、あれだ。


「伽藍堂。てめえだけは、生かしちゃおけねえ。てめえは正真正銘、俺を怒らせちまった。程度でいやあ上の上、特上だ!」


 どの流派の剣筋も感じさせない、荒増さんの大太刀。それが半歩の半分を空けられた間合いに突きつけられる。


「招霊顕現、真白!」


 轟。

 炎が唸る。剣先に浮かんだ赤い五星紋が、いつになく揺れた。

 伝わる熱も、いつものほっとさせる暖かさではない。憤怒で伽藍堂を焼き尽くそうという真白の意思が、ありありとそこにあった。


「ここに真白、罷り越してございますぇ。ヌシさままさか、妾を呼ばぬつもりと思いましたぇ。そうなればヌシさまとて、ただではおかぬところ」

「待たせたな真紫雨。お前の弟はそこに居る、取り返すぞ!」

「畏まりましてございますぇ。覚悟しや下郎!」


 キエェェェ。と響く、真白の叫び。弱っていると聞いた筈のその霊で、僕の見る世界は炎に包まれた。

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