第126話:最強ニ勝ル強サ求ム
「天原? さてどうだったか。白鸞の北を護る
真っ暗になった世界が、現実に戻る。
あの男の子の憎しみに満ちた目。それだけは今も、すぐそこにあった。
「そうだ。お前が真白露を攫ったのは、その外苑。神官たちが見張る中を、お前は堂々とやってのけた」
「フッ」
隠す気はなく、からかう目的でしらばっくれているだけなのだろう。吐息で笑う伽藍堂。そこに次の言葉を投げかけたのは、荒増さんでなかった。
「二十年前? となると荒増さんも、さぞ幼いころでしょう。見境ないとは言え、あなた何をやっているんです?」
いまがどんな悪辣な人間であっても、幼い荒増さんは友人と土遊びをする当たり前の子どもだった。
そんな子どもをも標的としたことに、伽藍堂は躊躇いも恥じらいも感じさせない。仙石さんはぴたりと手を止めて、侮蔑の視線を作る。
「知れたこと。儂も代償なしに生きておるでない。殻を作る食い物が要れば、霊を増す贄も要る」
人が健康な身体を保つ為に、食事をするのは当然のことだ。同じく健康な精神を保つには、充実した霊の質と量が必要だ。
それにはやはり食事と同じような意味で、霊に刺激を与えなければならない。趣味に勤しんだり、人と話したり、感情を動かすことと言って大過ないと思う。
「霊を増すのに贄が? 今さらですが、やはりあなたは尋常の生き物とは仕組みが違うようだ」
「然り。だがそれがどうした? 儂の目的にお主が、お主の目的に儂が。互いに助力すると言った。その障害となるのか?」
助力と言った伽藍堂の想いに、偽りが感じられる。
この怪人の究極の目的に嘘はない。すると仙石さんを騙して、彼の意に沿わないことをさせる気か。
伝えてあげようと口を開いたが、頼りない息がふわふわと漏れ出るだけだった。
「まあ……乗りかかった船です。間もなく下船することですし、目を瞑ることとしましょう」
仙石さんがそう答えるのには、ぐるり周囲を見回す手間が必要とされた。懐かしむほどの何かがあるでないだろうに、どうしてだか分からないけど。
しかしその様子が気に食わない人も、この場には居る。はっきりしないで、言葉を飲み込むというのが大嫌いな人が。
「気取ってんじゃ――ねえ!」
大太刀が袈裟に振られて、斬撃が飛ぶ。過たず仙石さんの正面に、それを彼は打刀で撫でるように払い落とす。
「破軍の大太刀!」
その隙に荒増さんの二撃目、三撃目が放たれた。目標は煉石の両腕。主が集中していない機会を狙った攻撃は、見事にそれぞれの手首を切り落とす。
巨大な式徨の左右の手はぼやけて消滅し、また再生するには数秒がかかった。自由を取り戻した静歌と鈴歌は、仙石さんから距離を取る。
「おいこら仙石」
「なんです? 一人でじたばたと、見苦しいですよ」
広い部屋の手前と奥。伽藍堂と仙石さんが居る間に荒増さんは挟まれて、どちらかに必ず背を向けなければならない。
もちろん横を向いて両方を左右に置けば、厳密には背でなくなる。だがそんな半端なことをする人ではない。
正体不明の怪人。そうでなくとも最悪のテロリスト。そんな伽藍堂に、荒増さんはまたあっさり背中を見せる。
「てめえ、正しくなければとか言ってたが。てめえの壊させた町に、子どもが一人も居なかったとでも思ってんのか」
「なんです? それこそ今さらですよ」
「子どももジジイも見境ない、ってのがてめえの正しさなら文句は言わねえ。だが違うなあ?」
つまらない。という息を漏らして、仙石さんは首を振った。それにも舌打ちをする荒増さんを伽藍堂は眺める。
荒増さんからは沸騰した薬缶みたいに、強い霊が常に溢れ続けている。それを見てなお、伽藍堂は舐めている。
こんな式師くらい、ひと捻りだと侮っている。
「品性の問題ですよ。荒れ地から雑草だけを駆除するなど出来ない。破壊と再生には必要な犠牲。それとは違うでしょう」
少し前に言ったのと同じ言葉の繰り返し。だから分かりきったことを聞くなと、仙石さん自身が飽きている。
これを馬鹿にした感じで、荒増さんはボサボサの頭を掻いた。
「だからてめえは三下だってんだよ」
「なんです?」
「茅呪樹っつったか、この汚え妖。てめえは扱いきれねえな?」
仙石さんが息を止める。表情や顔色はなにも変わらなかったが、それが逆に真を突かれたと暴露する。
「大層なお題目を掲げてたな。それは誰が考えた? 計画は? この妖も、ここが因縁のある土地ってことも。知恵もやり口も、全部借り物だろうが」
仙石さんのお父上。王家に叛乱を企てる高官。新しい政治に不満を唱える下級の人たち。
仙石さんは、そんな言葉を背負って立った。それがお父上を超えさせ、自分という形を作る方法だと信じて。
借り物と言うなら、そうかもしれない。でもそれが悪いのか? 僕にはそれさえもない。父の示した道にしがみついて、どうすればその先に行けるのか思いつきもしない。
「杖をついても、壁に齧りついてもいいんだよ。そういうのは、てめえでてめえを支えてから言いやがれ!」
大太刀の切っ先を遠く向けて、斬撃の代わりに飛ばされた声。それはどこに中たったものか、傍目には分からない。
仙石さんはやはり顔を変えず、ただ静かに目を閉じて深い息をした。
「俺はな――」
罵倒ではなかった。優しくはないが、諭す言葉だった。荒増さんはいつだって、前に進もうとする。
俺にはこれしかないと、いつも僕に示してくれる。僕はどうすれば、それを自分のものに出来るのだろう。
「俺は最強とか、そんなくだらねえものはどうでもいいんだ」
沈黙した仙石さんから切っ先を外し、荒増さんはあらためてこちらを向く。
「てめえがあのころ、天原天宮の血統を狙ってたのは知られていたらしい。だが俺は知らなかった」
あの人の仇敵である天下の大悪党、伽藍堂弥勒を睨みつける。
「俺があの時、大人たちからその事実を知らされてなかったのは。真白露を奪われずにすむ力を、真紫雨を傷付けずにすむ力を――持ってなかったのは誰のせいでもねえ、俺の落ち度だ」
ああ、だから戦うのか。もう二度と負けない為に。ここぞという争いに備える為に。
荒増さんの生きる覚悟に、僕は初めて気付いたと思う。
「だからてめえを。伽藍堂弥勒。てめえをぶち殺す為に俺は強くなった。てめえに出遭ったこの時に、てめえを倒せる以外の事実は必要ねえ!」
荒増さんから放たれ、包み込む霊が烈火の如く燃え上がった。
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