幕間

第120話:血ノ雨止ミ心ニ流水

 王都、白鸞の周囲を囲む防塔。その高さに反して、心臓部は地下に位置する。その部屋の壁は初めて、屋外を透過させる窓としての役割りを持った。


「雨が、やみましたな。犠牲になった市民の霊は、吸い尽くされたらしい」


 部屋は広い。天井さえ二倍もあれば、コートを用いた球技も十分に行える。

 その奥から、待ち構えていた男が声をかけてきた。雨宿りを労う、顔見知りのような親しさで。


「そういう、ものなの?」

「そういうものです」


 面道の身体に大きな傷は、腹の刺し傷のみ。応急措置はされているものの、それで痛みがなくなりはしない。

 それをなんとか耐えて素知らぬ顔を決め込んでも、時に傷の周囲が痙攣を起こす。普段どおりにしていることは不可能だった。


「その身体で、いったい何をしに? いや承知はしておるつもりですが、先にも申したとおり驕っておられるのか」

「へ、へえ。あたしはいったい、何をしに――来たの」


 彩雲の鞘を飾った五色の紐は、解けかけていた。愛刀には悪いが、ずっとここまで杖代わりに使って来たからだ。

 同行した指揮車と運転手の兵部は、入り口付近に待たせてある。彼は同道すると言ってくれたが、断った。「それより、終わったら病院へ運んでよ」と告げて。


「統括控に送っていただくなら、直にここへ出ることも出来たでしょうに。それもあなたの矜持ですか」


 やはり行動の全ては、監視されていたようだ。二回ほどまとまった人数での襲撃を受けたが、明らかに待ち受けていた。

 つまりあの運転手の存在も知られている。


「ご心配なく。あの男ひとり、他の何にも影響はしませぬ。捨て置きましょう」

「それはありがたいわ。もう歩く、のも面倒なのよ」


 対面する男。藤堂は打刀を抜いた。

 面道も鞘を床に衝いたまま、柄を握る。そのまま抜こうとするが、腕が上がらない。

 ならば少し角度を付けて――実行すると、鞘先が滑った。抜けるには抜けたが、鞘は床を走って藤堂の足元へ。

 膝を床に着けてしまった面道に、藤堂はため息を浴びせる。


「俺が言うのもどうかとは思いますが、さすがに無理では? 参ったと言っていただければ、多少の治療くらいは用意出来る」

「……あたしはね、我がままなのよ。やりたいことをやるのと、死なないのと、どっちか選べって言われたら両方じゃないと嫌」


 面道が我がままなのは、今に始まった話ではない。藤堂の表情が、そう物語っている。ただしそれは迷惑に思うものでなく、もう諦めてくれと懇願する顔に見えた。


「でもね、やるには死ぬしかないってことなら、それは構わないよ。ましてや、けじめを付けるのに――姑息なことをしちゃお終いだ」


 面道は、自分が代表を務める初手の仲間たちのことを、よく知らない。

 相手が教えてくれたことは残らず覚えているが、用も興味もないのにあれこれ聞き出したりはしてこなかった。

 その日その時に対面する、仲間たちの顔。それらになるべく、先入観を持ちたくなかったから。


「――撤退を姑息とは呼ばぬと思いますが」


 ぴくりと一瞬、藤堂は表情を引き攣らせる。そして僅か前屈みに、構えを取った。


「そう思うよ。万がいち死ぬときに、恥ずかしいなって思うのは嫌だって話」


 彩雲の柄を握る面道の手が震える。手だけでなく、腕も胴も脚も。

 極めて荒い息が、手負いの狼を思わせる。藤堂のそれよりも長大な牙は、膝を起こすのにまた杖として使われた。

 身体に染み込んだ型を作るのは無理だと諦めて、そのまま逆手に愛刀を握る。視界が縦横に揺れて、距離感も定まらない。


「俺も、流されてここに立っているのではありませぬ。漫然と生きるよりは、仮に死すとしても良かれと考えてのこと」

「へえ……それ、教えてよ」

「貴女が勝てば」


 藤堂の足が彩雲の鞘を蹴る。それは回転して飛び、面道は眼前に刃を動かして受けた。


百里霧中ひゃくりむちゅう


 藤堂の式言で、辺りに濃い霧が充満する。発生の瞬間に視界を塞がれた面道には、藤堂がどちらに移動したのかも分からない。

 霧は霊を用いて作られている。怪しい動きは感じられるが、まやかしと考えるのが妥当だろう。


「動けないあたしに、かくれんぼをさせるなんて――酷いね」


 しかもあたしがオニってこと? と言いかけたが、傷が痛んでタイミングを逸した。

 霧は面道の周囲、四歩ほどには存在しない。彼女自身の発する霊の波動で、侵入できない為だ。

 それは俗に剣気などとも呼ばれ、そこに入った対象ならば面道の攻撃を避けることは不可能と言われた。


「焦らすね……」


 空調か隙間風か、空気は動いている。だが錨でも下ろしたように、霧は動かない。

 視界が白いというだけで、暗闇に閉ざされたのと同じ気分だ。広い道場にいつまでとも知れず、閉じ込められたのを思い出す。

 我慢比べは意外と得意なんだよ。この傷がなければだけどね。

 自己分析でも、限界が近いことを悟っていた。もしも藤堂の狙いが根比べならば、面道に勝機はない。

 まさか放ったらかして、どこかへ行ったりしてないよね。

 その想像が、一番ぞっとした。


「覚悟!」


 先ほど見失ったのと全く変わらぬ方向から、藤堂は切り込んだ。

 彼だけではない。同時に裏切った四人が、均等に肩と胴を狙っている。

 式士が五人による総掛かり。当然にそれぞれが身体強化の式を用い、目にも止まらぬと言って良い動きだった。


「疾く踊りませい!」


 時を言うなら、藤堂が覚悟と言い始めた直後に口を開き、言い終わる前に口を閉じていた。

 已む無く抜き切りをする際。演舞の切れを良くする際。ごまかしに用うものだと思っていた式を使った。

 言うなれば切っ先から霊を噴射し、刃の後退りを早める式だ。そんなものでも使わなければ、床を突いた刃を抜くことも、振るうことも叶わなかった。

 刃の勢いに身体を任せ、走る方向だけを僅かに腕で調整した。神前の舞に使う衣装でも着ていれば、くるりと美しい円に草摺が踊っただろう。


「――なんの!」


 後から現れた四人は、利き手を切り落とした。彼らも視界がないのは同じ条件だった。同時に襲うことで、面道の間合いを突破する可能性を上げたに過ぎない。

 そんな中を、藤堂だけが避けていた。初撃を躱し、一周した二撃目を己の刃で弾く。それで面道の刃を持った右腕は、脇が開いた。


「もらっ――!」


 勝利を確信した藤堂の、油断のない押し込みが面道の首に迫った。


國分くにわけの太刀!」


 しかし。一秒にも七、八歩足らぬ時間差。藤堂の右肩は、切り落とされた。彼の後ろから。

 腕と刀が床に落ち、その上にどさと身体が被さる。


「……これが噂に聞く奥義ですか。なんとも」

「この剣の使い手が二人も居れば、国も二分されるってことらしいよ。大袈裟だよね」


 藤堂を切った者は、面道と全く同じ格好をしていた。霊によって作られたその分身は、藤堂の霧と混ざって消える。


「俺が先に斃れたら、国分どのに許しを請えと言ってあります――」

「分かった。悪いようにはしない」


 他の四人は、すぐに血止めをすればどうにかなる。けれども藤堂は、もう既に致死量の血を流した。まだ話せることが、おかしいくらいだ。


「どうして? それだけ聞かせて」

「治世に馴染めなかった。それだけのこと――」


 藤堂の目から、色が失われていく。もはや聞いてもムダだと悟って、面道は別れを告げた。「お休み」と。


「なるほど。恥じる手を使うべきでなかった……」


 その言葉を最後に、藤堂は口と目を閉じた。内容とはうらはらに、満足げな表情がせめてもの救いに思える。

 面道は口を横に引き結び、残る四人のほうへ這っていった。

 彼らがなにを想い、なにを知ったのか。全てを聞き出す為に。

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