第113話:凝リ固マル想ヒ砕ケ

「久遠さんが? おら、なんだが力入らなぐで――」


 彼女の素の話し方より、相当にゆっくりだった。それに目は開けていても、僕を見えてはいないようだ。

 重い病を長く患っているみたいに、顔色が悪くやつれている。どうしてここに居るのかとか、やはり捕まっていたのかとか。そう思う前に、その人相で胸が痛んだ。

 なんだか力が抜けて、目の前にへたり込む。


「すみません……」

「――なんが?」


 生気の薄い表情に、感情が作られていく。彼女は、笑おうとしていた。

 極海を進む船のように、強張った顔面を懸命に動かす。端から少しずつ、少しずつ。

 どうして僕は謝ったのか、理屈は立っていない。でも萌花さんを見ていると、それ以外の言葉も思い付かなかった。

 だからもう一度、謝った。


「遠江さん。ここではあなたの霊を、彼女に注いでもらいます。そうすればこの幹は、花をつける」


 さもありなん。間近に居るだけで、触れてはいない。なのにこの樹は、僕の霊を吸っている。

 きっと触れれば、大量の霊を持っていかれるだろう。


「仙石さん。彼女は新人だというのに、成り行きだけでここまで来てくれたんです。それを詫びる時間くらいは、もらってもいいですか」

「ええ、構いませんよ。数分くらいならばね」


 そう言っている間に通信があったみたいで、仙石さんは距離を取った。切れ切れに聞こえる会話からは、兵部卿だけは必ず探し出せというような内容が聞き取れる。


「萌花さん。あなたがこんな目に遭うのは、とても申しわけなくて。どうにか助けてあげたいんですが……僕も捕まってるんです」


 卑屈な自嘲が、勝手に口からこぼれ落ちる。たったいままで見ていた彼女の顔を、まっすぐ見られない。視界を下に半分ほどずらして、卑しく窺うことしか。


「困っだな――なんどがならねがな」


 盗み見る視線で、彼女の膝から下は完全に飲み込まれているのが分かる。背中側は全身がすっぽり覆われて、両腕は肘から肩辺りがもう見えない。泥に沈んでいくような格好だ。


「僕では無理ですね。仙石さんと、伽藍堂がここには居ます。僕では、無理なんですよ」

「紗々さんは、見づがっだが――?」

「え、えぇ。でも紗々が居たって、僕では全く歯が立たないです」


 萌花さんに取り憑いた茅呪樹を除く手段でも分かれば、ひと暴れという選択肢もある。なにもしないよりは、万に一つの可能性に賭ける価値を知らなくはない。

 だがこの無限に再生する茅呪樹を、しかも一体化しつつあるものをどうすれば良いやら。下手に傷付ければ、萌花さんの死を早める可能性が高い。


「そうが――おがしな」

「おかしい?」


 彼女の無理やりな笑みが消えた。次の言葉もなかなかなくて、意識を失ったのかと思った。

 しかしどうやら違う。萌花さんは渾身の力で、また表情を変えようとしていた。眉根を寄せて、頬を膨らませて。きっとそれは、怒りを示している。


「おら。久遠さん見習えて言われだ」

「そんなこともありましたね。でも僕に見習われるところなんか」


 荒増さんが曲がりなりにも僕を褒めるなんて、さて何をしているときだったか。


「んなごどねぇ。久遠さんだば、強え人だ。きっどおらなら、とっぐに潰れちまっでる。きっどおらなら、とっぐに諦めでる」


 ゆっくりした口調が、少し早まった。これが今の彼女の、最大限なのだろう。

 潰れるとは。諦めるとは。どちらもなにを指しているのか分かるけど、もう終わったことだ。


「絽羅のことは、僕の思い違いだったみたいなんです。絽羅が苦しんでいたのを荒増さんは気付いて、救ってくれたらしいんです。僕はそんなこと、全然知らなくて」


 長らく信念のように思ってきたことが間違っていた。認めるのは難しいし、心から納得したかといえばそうでない。

 でもそれが事実なんだろうなと、心のどこかに芯が生まれていた。


「そったらごど関係ねぇべ」

「関係ないって、え?」

「絽羅さんと荒増さんは――知り合いじゃねえべ。絽羅さんは、久遠さんの大事な人だっだが……勝手にそっただごどしだら、怒るのが当だり前だべ」


 息が苦しいのか、引き攣るような呼吸が時に挟まる。病人ならば脂汗でも垂らしていそうだけど、逆に萌花さんの皮膚は乾いていった。


「そんなことを言われたって――」


 思わずそう言ってしまったけど、そうなのか? と思い始める。

 ずるずる腐り落ちるみたいに溶けかけた憎しみが、一気に凍った。でもこんな状況で、それをどう取り扱えばいいやら。

 悩むというよりもただただ混乱して、数十秒も言葉を継げなかった。

 ――どこからか、音がする。

 遠くで機械の稼働する音。ヒュルヒュルと独特の、走行音らしい。

 仙石さんと伽藍堂も、気付いている。しかしこの二人も式士だ。茅呪樹の霊に包まれたこの場所で、周囲の状況を探ることは難しい。

 その次に起きた出来事に、音はなかったように思う。どうもよそ見をしていたように印象が薄いので、定かでないが。


「久遠ちゃん、伏せて! 通常炸薬グレネード!」


 林の中から飛び出した、のだろう。たぶん。気付いたときには、すぐそこという距離に居た。

 それは衛士の制服を着た女性で、おそらくさっき見かけたのと同じ人。誰かと思えば、あの粗忽さんの副官、見外さんだ。

 ドオオオオォッ、と。投げられた通常炸薬は、轟音と共に土を巻き上げた。そのさなか、見外さんはなにか大声で叫んでいた。


「何者です!」


 駆け寄ろうとする仙石さんの背後。いやさらにそこから数十歩ほども向こう辺りから、高らかにクリューリアクターが唸りを上げた。

 グギィ。重々しい軋みが鳴ったと同時、地面が弾ける。

 それは僕の腕と同じくらいも厚さのある、硬質樹脂。地面に擬装してあったらしいハッチが破壊されて、宙を舞う。

 文字通りにそこから飛び出したのは、衛士の誇る乙式。通称で搗割と呼ばれる輸送車兼、強襲歩兵車両だ。


「大過! 先導役ご苦労!」

「いいタイミングだよ千引ちゃん!」


 可動壁が開くのももどかしく顔を出したのは、見外さんの頼れる幼馴染だった。

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