第112話:カ細キ声ノ届カヌ処
「父は、誘いに来た高官や、制度を運用する者たちに屈したわけではない。ましてや愚王が直接に、なにかをしたわけでない。しかし、彼は負けたのです」
仙石さんは乱れた狩衣を直し、打刀の位置も丁寧に調整して部屋を出ていった。
ぼんやり、彼は結局なにをしに来たのだったかと思っていると、伽藍堂が部屋の入り口で手招きをする。
「それ、お主も行くぞ」
この怪人に連れ添われて歩くのは、どうにも気持ちが悪い。が、否も応もなかった。僕は囚われの身だ。少し先を歩く仙石さんを追って、僕とその後ろに伽藍堂が続く。
塞護の中央庁舎には、あまり縁がなかった。そのうえ今はどこも樹皮に覆われて、迷路のようだ。
少なくとも分かるのは、衛士たちのたくさん居る司令室らしき部屋を横切ったこと。それに階層をいくつか降りたことだけ。式も道具も使えないでは、方角さえ知れない。
「ん?」
ある扉を抜ける時に、仙石さんは錠の解除に手間取った。たぶん単純に、手順が多かったのだ。
それは良いのだけど、接近した彼との間に人が居る。仙石さんのすぐ後ろまで追いつこうとして、ぶつかりそうになって気付いた。
いつの間に列に入ったものか、服装は衛士の制服。身長は僕と変わらず、その人が男であるなら髪は長い。背中を向けているので、どちらか分からなかったけど。
――まあ仙石さんと伽藍堂がなにも言わないのだから、もともとそういう手筈だったのだろう。
「さて、ここがあなたの仕事場です」
「僕の死に場所ってことですね」
厳重なセキュリティーの向こうがどうなっているのかと思えば、人工的に作られた林が見えた。
木々の連なった向こうにまた壁面が見えて、中庭のような場所らしい。
「いやそれはまた別です。ここでの作業が終われば、ですよ」
「なるほど。それで僕はなにを?」
死ぬ前の作業とは、断食でもするのだろうか。それとも血抜き? それではやはり、ここが死に場所となってしまうか。
「いやに素直ですね。協力をしていただける気に?」
「そういうわけでもないんですが――」
なんだか気持ちが萎えていた。
元来僕は、元気いっぱいというタイプではない。それでも荒増さんの暴言には、文句を言い返すくらいの気力がいつでもあった。
しかし今は、そうもいかなそうだ。
「僕は仙石さんのように、才能にあふれてはいません。父を超えるなんて、不可能だなと思って」
ちらと振り返り気味だった仙石さんは、顔を前に戻した。答えまでの間がなんなのか、表情から窺えもしない。
「……そうですか」
中庭はおそらく、楕円形をしている。その中心辺りに向けて、緩く蛇行する遊歩道を進む。
死の街になったとばかり思っていたら、小鳥の声が聞こえた。とても怯えた、弱々しいものではあったが。
そこでさっきの衛士が、またいつの間にか居なくなっているのにも気付いた。なんだか知らないけど忙しい人だ。
そういえば、萌花さんはどうなったのだろう。この二人が言及しないとなると、事故にでも遭ったのか。
あんなちょっとの時間に、あんな通路で起こる事故とは何か、想像もつかないけども。
荒増さんや四神さんは、なにをしているのか。僕をというか、仙石さんと伽藍堂を探しているという線が濃厚だ。人形の姉妹が、こき使われていないといい。
心那さんは、さっきの被害に巻き込まれなかったのか。姉は安全な場所に居るんだろうか……。
「これが走馬灯というやつかな」
たぶん違う。でも死を前にして、自分に関係のある風景を思い浮かべるなんて。僕も随分と人並みになれたものだ。
そのうちに足下の感触が変わった。適度に柔らかい樹脂の路面だったのが、土になった。そこは概ね円形に地面が露出していて、中央には小さな池がある。
池の中に、見上げるくらいに背が高く、僕の腰回りほどの太さの木が見える。狙いすぎの感はあるが、自然を味わうにはいい演出かもしれない。
「……いや、茅呪樹?」
「左様。新たな子株が必要でな。あれから種を採る」
この声の悍ましさは、いくら聞いても慣れそうにない。伽藍堂が僕を追い越して、小さな茅呪樹に触れる。
と。普通の樹木と見間違えそうなほど僅かだった、妖特有の霊が強まった。高い山に雷雲が巻くみたいな、黒々とした靄が増していく。
「まだ会話が出来そうですね」
仙石さんは幹の向こうに回って、感心した表情だ。茅呪樹と会話が出来るとは初耳だ。
「遠江さん、あなたの共同作業者です。話せるうちに何か話しますか」
「えぇ?」
この樹の世話をしろとでも言うのだと、予想はしていた。それはいいけどなにを話せというのか。戸惑いながら、そちらへ足を進めた。
若いせいか、意外に滑らかな樹皮。その丸みの外側、三歩ほどをぐるり回る。枝が低い位置からも伸びていて、それは大回りをして避けた。
やがて、仙石さんの言った意味が僕にも分かる。それはたしかに共同して作業も可能だろうし、話せるなら話しておかねばならない。
「萌花さん……」
茅呪樹に取り込まれつつある山桜の女性は、僕の声にほんの少しだけ顔を上げた。
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