第111話:心傷ノ解放ハ如何ニ

 反対の左手は、胸に当てられた。右手を突き上げてのその格好は、街頭で熱くプロパガンダを叫ぶ人を想像させる。

 でもその一方で、身を庇い心を守る動作にも見える。どうしてそんな矛盾した感想を覚えたのか、僕にもよく分からない。そういう風に見ると、過ちを告白する姿に思えてきた。


「さあ茅呪樹よ、箱の中も解禁だ。君の種を落としたまえ」


 打刀の切っ先が、樹皮に覆われた壁面に触れる。その部分に霊が溜まって、すっと下に降りていった。まるで中に小人でも居て、仙石さんからの手紙を運んでいくように。


「さて。これで彼らは、組織として機能しない。壊滅です」


 交戦中に、甲式と乙式を奪う。そうなると一方は増強されて、もう一方は弱体化する。その戦力差もだけど、増強された戦力が部隊の中枢にあることがまずい。

 その予測は直ちに現実となった。

 乙式の大口径機銃が直近の兵部たちを、なで斬りにする。甲式の電磁砲やミサイルが、建造物を破壊して生き埋めにする。共振砲が、人も建物も障害物を薙ぎ払う。

 虎の子の荷電粒子砲は、兵部卿の居る本隊を狙って眩い光の槍を突き立てた。


「これは……」


 ただ映しているだけのモニター越しでは、霊を感じられない。どれほどの被害かは、画面に映った死体を数えることでしか把握出来なかった。見えたとしても、茅呪樹に支配されたこの土地では同じことだろうが。


「茅呪樹は、人を食うだけではなかったんですね」

「そうです。霊を食い、そこに種を置くことで殻を支配する。霊を作り変える、と言ったほうが正しいのですがね」


 最初は、大きいとはいえ建造物に過ぎない防塔を。次には塞護という巨大な都市全体を。

 なんの為にそんなことをしていたのか、腑に落ちなくはあった。人ひとりも逃すことなく虐殺するほどの理由が、彼には見当たらないからだ。

 でも。もしもそれが、一人を殺すごとに実験をしていたと言うのなら。仙石さんの望む術を、妖である茅呪樹に調教していたと言うなら分かる。


「それは、生きた人間でも?」

「可能――な筈なのですがね」


 勘に過ぎなかった憶測は、当たった。その返答は、二つの事実を示唆している。僕の推測が事実で、まだ成功していないこと。仙石さんの言う新しい世界には、彼の意のままになる人形が住むこと。


「民衆の全てを傀儡にする。と考えているなら、それは違いますよ」


 打刀が鞘に戻される。僕への牽制や威圧に使うのだと思ったのに、僕如きではその必要もないようだ。


「どんな仕組みも、いつかは病に冒される。その時には刃物を入れる必要もあって、小さなメスから大きな鉈まで、種類は多いほどいい」

「……さっき、父が当主と言いましたね」


 端々では共感が出来るのに、どうも根幹のところで僕は足を竦めてしまう。どうしてそうなるのか、なんとなく察しがついた。

 この問いにも、「ええ、それがなにか?」と答える仙石さん。そこに何の感情も動かない、小さなさざめきさえ起こらないところが、僕との違いだ。


「代替わりされたんですね」

「しました。ほんの半月ほど前ですが」

「お父上は、このクーデターにも協力を?」

「それは無理ですね。あの人はもう、この世に居ない。生きていたとして、賛成はしなかったと思いますが」


 当たり前のことを聞くな、という態度に見えた。

 そうだ、当たり前だ。仙石さんの話が嘘でないなら、彼の父は持ちかけられたその話を断っている。


「この世に居ない――それは仙石さんが?」


 立て板に水をかけたみたいな、用意された論説が初めて止まった。僕の問いに答える為、仙石さんが口を開くのには十秒以上も必要だった。


「私が原因には違いありませんが、私が手を下したわけではない」


 また分かりにくい回答。その辺りは答えにくいらしく、これまでと違って補足の説明もない。


「教えてやれば良い。分かり合うには、曝けることも重要ぞ」


 仙石さんの足下から、影が起き上がったのかと思った。彼の背後をとった伽藍堂は、狩衣の襟を引いて上半身を裸にする。途中までは仙石さんにも予想外で、対応出来なかったのだろう。でも服を脱がされるのは、抵抗する気が見えなかった。


「その、胸は……」

「これが仙石家の伝統です」


 また元の、きっぱりとした口調に戻った。その仙石さんの胸に、普通ではあり得ない物がある。

 表に出た部分が短くてすぐには分からなかったが、どうやらそれは短刀だ。握るのにはつらい短さの柄と、鍔がある。

 その先にある筈の刃は、彼の心臓に突き立っていた。


「私の父は、王位簒奪に手を貸すことを拒んだ。それはいい。どちらを選んでも、私は理解した。しかしあの人は、仙石家の行く末に責任を感じ、私にこの煉石を渡した」

「それで亡くなられたんですか」


 いくら万能の纏式士でも、心臓に刃を突かれれば死ぬ。それがそうなっていないのが、仙石家の秘術たる所以だろう。

 彼は静かに、頷いた。


「仙石家の伝統を粛々と守る父を、私は尊敬していた。あの人が弱くなってしまったのを、当人が死んでなお、どうこうと言う気はない」


 尊敬する父が、弱くなる。

 父は常に、偉大なのだ。父という言葉を、偉大と置き換えても良い。その逆も然り。

 父とは何かを考えると、僕にはそんな定義が思い浮かんだ。それが弱くなるなんて、想像したこともない。


「だから私は、父の忌避した仕事をやることに決めたのです。家人で喜ぶ者も居ましたが、それは切り捨てました」

「仙石さん個人の能力が、お父上に勝っているか?」

「子どもじみていますが、そのきっかけを否定はしません。仙石家を背負うのに、必要な決断でした。しかしあくまで、きっかけですよ」


 仙石さんは、家の未来を託されたのだ。僕とは違う。けれど既に亡くなった父に、見限ったのを改めてもらうのは不可能だ。


「私は父とは違う! 仙石の家を、私は未来永劫に守り続ける! それが弱者を守るという意味でも、最上の選択です」


 僕の中に在る父を、超えればいい。そうすれば父は、また僕を認めてくれる。ようやくそこに、僕は気付いた。

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