第101話:負ケ惜シミハ何レヤ
ぼんやりと白い腕は、あまりにも太い。仙石さんはおろか僕たちまでも、その内に入れている。これほどの式徨に何をどうすればいいのか、僕などは方針も定まらない。
「馬鹿か? 内側に入れちまったら、切り放題じゃねえか」
「そう思うならどうぞ」
慌てる僕とは対象的な荒増さん。勧められて遠慮するような性分は、持ち合わせていない。大太刀へ存分に霊を通し、それを無造作に振るだけで全てが攻撃となる。
振り下ろし、横に払い、その刃の走ったとおりに白色が失われた。
だが仙石さんの余裕綽々という態度に見合って、煉石もそれを意に介した様子がない。荒増さんもすぐにそれを悟り、「四神!」と頼れる同胞を呼んだ。
「――うん。これは前回見たよりも大きいね」
「大きさなんざ、どうでもいい。寝ごとを言う暇があったら、何か適当にぶっ放せ」
「適当にってね」
荒増さんは大技を打てない。すると四神さんに頼るしかないのだけど、その人にもどうもやる気がないらしい。
二本の小太刀をそれぞれ両肩に載せて、観光地の塔でも眺めるように見上げていた。
「これはその、久南さんの頭骨が種かな」
「ご名答。屍鬼に憑いた怨念には、こんな使い方もあるのですよ」
あの世とこの世を隔絶する壁のようにそびえ立った腕。そこに送り込まれる仙石さんの霊が、はっきりと見えた。茅呪樹の放つ瘴気みたいな霊が、ちょうど暗幕代わりに色を際立たせる。
定規で引いたような。いや本来、光とはそういうものだったと再確認させる、まっすぐに伸びた霊の道。
「屍鬼の怨念を私が汲み取り、煉石に送る。ひとり一人には勝っていても、あなたがたに手を組まれるのは厄介ですからね。こちらに都合の良いここまで来ていただきましたよ」
「でもいいのかな? 茅呪樹の成長にも、必要だったんだろうに」
「その段階は、既に過ぎました!」
仙石さんの打刀が、四神さんを指し示す。それまで無機物のようでもあった煉石が、急に生々しく蠢き始める。
僕たちの立つ床から、その腕は直上へ伸びている。だのに、その先にある筈の手の平が急降下してきた。
「絶冬!」
長い袖を振って現れた女性の姿の式徨は、主の命令に従って氷の盾を作り出す。
頭上一面を覆ったそれは、僕の背丈ほども厚みを持っていた。四神さんはさらにそこへ、自分の霊を流して万全の守りを敷く。
「甘い!」
鋭い声が放たれた次に、柏手を耳元で打たれたような音がした。それはきっと、氷の裂けた音。
まだ霊を送る格好の四神さんを圧し潰すように、氷が砕けてしまった。
おかしいのは、その割れ方だ。煉石の手は、張られた氷の壁一面に触れた筈。なのに割れたのは、四神さんの目の前の物だけだった。
その衝撃で四神さんは床に血を吐き、霊の途切れた氷壁も、それで消えてしまったが。
「――ぅう。なかなかだね」
「面白え芸をするじゃねえか!」
大きくよろけながらも、四神さんはすぐに立ち上がる。それをカバーする気なのか、荒増さんは床を蹴って仙石さん本人へと切りかかった。
「ぐぅあっ!」
当然に仙石さんの刀は、その荒増さんに向けられる。上から降ってきた腕はまだ見えているのに、今度は真横から同じ格好の腕が伸びた。
ホールには、小さな間仕切りや棚なども置かれている。なのに煉石の腕はそれらに干渉せず、的確に荒増さんの身体だけを壁まで運んだ。
樹皮に覆われた壁は衝撃に裂け、一秒を数える間もなく元に戻っていった。
「一撃必殺の威を以て、針の穴を通すが如し。それが仙石流式術の極意です」
磔にされた壁から、荒増さんは崩れ落ちた。どさと倒れたが、意識はあるらしい。膝に手を添えて、なんとか立ち上がる。
「ふっ――ふふふははははは!」
「なにがおかしいのです?」
おかしいのは、急に笑いだした荒増さんの様子だ。仙石さんも訝しむ表情を見せて慎重に歩き、茅呪樹の中から姉の頭骨を腕に抱える。
「おかしいに決まってる」
「ですからなにが」
「俺ぁな、誰が最強とかはどうでもいいんだ。俺には俺がやりたいことを、やりたいように出来るかどうか。それだけが問題だ」
仙石さんではないが、また急に何を言っているのか。そうは思うものの、取り立てて珍しいことでもないかとすぐに思い直す。
「――やりたいようには出来ていないようですが?」
「そういうことじゃねぇよ。俺が今までに、こいつだけはぶっ殺すと思ったのは、ただ一人だけだ。それは、てめえじゃねえ」
「ふむ。それはもしかすると、私とは本気で戦っていないという負け惜しみでしょうか」
仙石さんの表情に、油断は見えない。張り詰めた意識がそのまま霊となって、打刀の先に漂っている。
「負け惜しみ? そのセリフは、熨斗を付けて返すことになるな」
大太刀がいつものように、正面へと構えられた。けれども剣先が細かく震えている。やはり少なくないダメージを負っている。
「一撃必殺の威を以て、とか言ったな。俺は死んでねえんだが、どういうことだ?」
ブッと勢いよく、荒増さんは唾を吐く。それは鮮やかな赤色をしていた。
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