第93話:朱鷺ノ羽根折レル日

 引き取り手に誰が来るのか。何人か頻度の高い者は居たが、必ずこうでなくてはという規則はないようだった。

 まず次の引き取り手が来てから。伽藍堂はそれだけ言い残して、何処かへ消えた。一日や二日が経って、勢い余ったと言を返そうとしても、一向に戻ってくる気配がない。

 そのまま、引き取り手のやってくる期日となった。


「こっ、これはこれは。此度は討王とうおう陛下が自らお越しとは。何も用意がなく、御意に添うおもてなしが出来ますかどうか……」

「良い。たまには視察がしたいと、余が気紛れを言ったのだ」


 白鸞の王、来たる。その報告を受けて、吉良義伝よしのりは慌てふためいた。

 着物を普段よりも良い物に替え、何とか来訪の一行が脚を止める前に、出迎えることが出来た。


「――足元の悪い道を、お疲れではございませぬか。よろしければ茶の一杯も用意させますが」

「疲れてはおらぬ。が、茶はもらおうか」


 いくさにも政治にも、めっぽう強い討王。それが気紛れに来たのでないのは、すぐに分かった。

 着物は遠乗りにでも行くように、狩衣姿ではある。しかし腰には、愛用の打刀が見える。以前に狩り姿を見た折には、山刀を佩いていた筈だ。

 いや、それだけならまだしもだ。連れてきた者たちの中に、すらと長身の男が居る。あれは武将筆頭に在る、国分ではないか。


「国分さままでお越しとは。さすが陛下のお運びとあれば、お付きの方も違いますな」


 黙って案内をしてくれれば良いものを、余計なことを言ったのは詮索好きの配下だ。討王は様子を変えないが、国分は腰の辺りの汚れを気にするように手を払う。

 肝を冷やしながら、最も上等の座敷に通すと、討王はすぐに人払いを要求した。国分以下、先方の付き人は隣室へ。こちらの配下たちは、別の階へ。

 さすがにそこまではと、否を言いかけた配下も居た。だが義伝自身が承服した。


「白鸞からの離脱を画策しておるそうだな」

「……そのようなことは決して」

「隠さずとも良い。それに便乗させてもらおうと思うのだ」

「それは――ご説明をいただいても、よろしゅうございましょうか」


 どこからそんな話を、などと考えるまでもなく、伽藍堂しか居ない。こちらにだけ味方をしていると装って、白鸞にも通じていたようだ。

 神出鬼没の存在に、その懸念はしていた。だから愚痴以上のことは言っていない。先日のことも、あの老人が一方的に言っただけだ。同意してしまったとは言え、何の準備をしたわけでない。

 風向きが悪くなれば、知らぬ存ぜぬで通すことは出来る。しかしどうもそれとは別に、聞いておくべき何某かもあるようだ。


「どうせ、どこぞに居るのだろう?」


 壁や天井、床下までも見通すように、討王は首をぐるりと動かす。

 あちらでは、そんな靄が湧くような現われ方をするのだろうか。反抗を疑われて、動転していたのかもしれない。どうでもいいところに、妙な期待を抱く。

 すると、つい先ほど配下の出ていった戸が開いて、歩く音もさせずに伽藍堂は部屋に入った。

 討王と義伝とで、等辺の三角を描く位置に老人は座る。使い古された濃い茶の着物も、衣擦れの音を立てない。


「北にな。酔狂な式師の家がある。その辺りはまだ、誰の領地とも定まっておらんでな。伏するも良し、新たに立つも良し」

「うむ。そこで再起の機会を待つとしよう」


 なんの話だか、さっぱり分からない。しかし伽藍堂と討王とは、合意を得たとばかり頷き合う。


「し、少々お待ちを。機を得ずに畏れ多いことながら、ご説明をお願い申し上げる」

「余は、弟に敗れたのだ。獣人どもを解放し、正当な戦力として組み込もうとしたのだがな。人の道に外れる、のだそうだ」

「獣人を? それはまあ――画期的な案なれば、即ち良しとはいかぬこともございましょう」


 踏み込めたと思えば、また突飛な話。義伝にとって、おそらく多くの飛鳥人にとって、獣人たちは新たな土地を得る際の障害でしかない。

 少数でも怖ろしく強く、それでいて捕まえて飼いならそうとすれば、あっさり死んでしまう。人に似た形をしているだけで、常人とは違う生き物だと考えている。


「旗色が悪くなったところを、伽藍堂は尽力してくれた。しかし及ばなかった。もう少し早くに会っておればと悔やまれる」

「なるほどそれで、この手引きを。この吉良をも信用して下さった、と」


 ただ息の抜けたような笑い。それが自分に向けられたものだと、義伝には分かった。伽藍堂は自身の正面を向いたままで、それを示す根拠などなかったが。


「信用、と言えば聞こえは良いかな。計画に加担し、必要な物を整え、真実を他言しない。後の約束をすれば、利用されてくれると考えた」

「それも立派な信用にございます。ただ、主だった者に、うまく説明するだけの猶予はいただきたく」

「急ぎな」


 茶を持ってこさせると、討王の前を辞した。伽藍堂もその場に残る。とりあえず従う向きで話を合わせたが、どうしたものか。

 そのままを話すことは出来ぬにせよ、何か判断の助けになる言でも得られないか。有能でないにしても、忠実な配下たちに期待する。


「…………もはや道はない、ということか」

「左様。迷いは儂が滅してやった。突き進むが良かろうて」


 一つ下った階段そばの部屋。戸を開ける。むわ、と。湯を沸かしているような湿気と熱気。

 そこに主だった配下たちを待たせていた。内助に努めた者。民に慕われる者。武門を任せるに足る者。

 名指しはしなかったので、何人がそこに居たかは分からない。肉と骨がぶつ切りになったこれでは、もう数えようがなかった。

 家族のようなどと、陳腐なことは言うまい。だが苦楽を共にした者たちの現状を、憤りなくして見ることが出来ない。

 喉の奥から込み上げるのは、悲しみか怒りか、いずれ大きな感情の塊だ。大きすぎて、怒号としてもまだ固まっていない。

 その先鋒として、憎しみの視線を向けた。もうこうなっては、討王の話に乗るしかない。それもこの怪人の筋書きと思うと、いまここで多少なりと吐き出さねば、どうにもならなかった。


「そう意固地になるでない。悪いようにはせんでな」

「――承知した」


 伽藍堂と目が合う。潮が引くように、感情が窄んでいった。むしろ逆に、これは天の導きというくらいに、それしかないと思い始めた。

 配下たちのこと。民たちのこと。何か考えねばならなかったのにと違和感はあったが、それもいつしか消え去った。

 伽藍堂に連れられて討王の下へ戻り、出奔の段取りを整える。重要なのは、当面の食料と金銭だ。それだけあれば、他はどうとでもなる。


「十分ではないかもしれませんが、溜めてある金を用いましょう」

「いや、それには及ばぬよ」


 それ以外の用意が出来ると、伽藍堂は経路を示した。城を挟む山にこれでもかと掘られた坑道だ。


「これはよそには通じておらぬ筈だが」

「通じさせた」

「軍資金は、どうするつもりか」

「途中にある」


 先導する伽藍堂は、腹が減れば道すじに茶屋があるくらいの趣きで言い捨てた。討王もそれに異を唱える気配はない。

 しかし言うとおりに、途中の横穴へ大量の金塊が積み上がっていた。城から牽かせた荷車に載せて、残らず運ぶ。まともに考えれば一人で動かせる筈のない量が、どの荷車にも載っていた。


「行く先の家はなんというのか、聞いていなかったな」


 この土地で育ち、隣国までしか足を伸ばしたことのない義伝。ただ北と言われても、風景さえ想像出来ない。


「式師を受け継ぐ家系でな。仙石と名乗っておる」


 まだ見ぬその家に、自分の居場所はあるだろうか。討王の再起に付き従う未来の姿を、義伝は疑わなかった。



 一行の去った夜。朱鷺城に来客があった。数は数万。討王を追ってきた、白鸞の軍勢だ。

 訪れた筈の討王はおろか、我が主君さえ姿が見えない。そこへ大軍が押し寄せて、城の者たちは大騒ぎとなった。

 攻め手の長は、説明を求めても要領を得ない状況に痺れを切らす。城と城下町の制圧を命じた。

 生かしておくわけにいかぬ討王を探して、兵たちは殺戮を行った。山あいに詰め込むようにして建つ小さな家さえも、壁と床を全て剥がした。

 残された者たちには地獄のような時間が続き、やがて朝日が谷にも届き始める。


「地震か?」


 長が振動に気付いた直後。そこから見える全ての物が、上下に揺さぶられた。

 城の厨房で腹拵えをしていた兵は火に襲われ、城下で女に覆い被さっていた兵は屋根に潰される。

 長が最期に見た光景は、天守を支える太い柱が折れる様だった。その次には闇が見えて、意識が消滅した。

 縦横無尽に張り巡らされた坑道は尽く落ち、その上に山が滑り落ちる。さらにその歪みが崩落を誘い、二つの山は瞬く間に高さを半分に減じる。

 坑道の最も深い辺りには、地下水の川があった。崩れた土塊は次々と流されて、数日後に辺りは平地となる。

 生者の居ないその風景を独り、朽ち木のように老人が立ち眺めていた。

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