幕間

第92話:朱鷺ノ埋モレル前夜

 およそ五百年前。

 現代では塞護と呼ばれる土地に、二つの山があった。その狭間に、柿渋に塗られた艶やかな錆色の城壁。山裾に両翼を大きく伸ばした城は、朱鷺城と呼ばれた。


「お館さま。金掘りの手が、どうにも足りませぬ」

「次の引き渡しは、いつだったかな」

「十日後に」


 重い金を、平坦なだけ山道よりはまし、という程度の洞窟を通して運ぶ。それで一度に動かせる量は、たかが知れている。しかし訪れる引き取り手には、運搬する者以外に武将も居る。

 こちらは一国の主。あちらは強国とは言え、配下の一人。礼儀を重んじる飛鳥人の感覚で言えば、最低限の礼がある筈だ。しかし実際には、完全に頭を抑えられていた。

 毎度、備蓄も記録されて、計画を上回らなければいけない。地中のどこにあるのか、知りようもない金の採掘量をだ。


「よそから人手を招いてはならぬ。掘った金も、我らの物にはならぬ。さすがにこれでは、手詰まりにございます」

「うん、苦労をかける」

「いっそこちらを攻め落として、我が物にすれば良いでしょうに。白鸞の意図が、読みきれませぬな」


 採掘経営には、手間がかかる。掘れば掘るだけ出て、その分は丸儲け、ということはないからだ。

 専門に人を雇えば、儲けが薄まる。事故がつきもの故に、その対処にも費用と時間を費やすこととなる。

 罪人などを使い捨てにすることは可能だろうが、それだけでは数が足りぬ。それを目的に罪のない者を奴隷とすれば、他国からの信用度や民意を下げる。

 そういった負担だけを、こちらに押しつけているのだろう。そういう推測だけは出来る。

 しかし、それだけだろうか? 例えば、これまでとは比較にならない、大規模な鉱脈を見つけでもしたら。

 それはこちらが言い出さない限り、向こうには知れない。あれだけ疑心を持つなら、そんな想像もするだろう。


「分からんものを、いくら考えても仕方ない。伽藍堂どのが、こちらの味方に居てくれるのだ、今回もどうにかなる」

「は。あの御仁も、悪辣な怪人とかいう話がございますが。真実であったとして、何か理由があるのでしょうな」

「それも詮索する価値はない。我が国に施してくれているあれこれは、事実なのだからな」


 詮索好みな配下を退出させて、国主の男も本丸を出た。そのすぐ外にある、社に行く為だ。

 素は土地神を祀るようにしていたが、手を貸す見返りに唯一求められたのがそれだった。城の中はむさ苦しいので、昼寝場所に使うと言っていた。


「伽藍堂どの、居られるか!」


 青い髑髏の吊るされた入り口に、国主は立った。格子戸の向こうには布が張られていて、中が見えない。


「不在か――」


 社の周りとここに至るまでの参道は、植木で囲ってある。その中は毒でも撒かぬ限りは、好きにしていいと約束していた。

 だが綺麗に洗われたような骨が積み重ねられているのは、やはり奇異に見える。これから弔いをする、と言うならまだしも。


「式師でも独特とは自身で言っていたが……」


 こちらに味方する以上は、敵とする相手も居る。白鸞に限らず、あちこちに。

 倒した相手の骨を用いて、術の触媒とする。それも実演を交えて、説明があった。

 まあここまで来てやっと見える程度には、隠そうという気のある置き方だった。事情を知らせていない者への配慮も、一応はしてくれている。


「おお、お出でだったか。留守をして失礼したのぅ」


 眺める国主の背後で、ざらっとした声が起きた。槍の名手と自尊のある国主にも、全く気配を悟らせない。いつも心臓に悪い現われ方をする。


「あ、ああ。いや、急ぎではないのだが。気を遣わせたなら申しわけない」

「ほう。あの人手不足が急ぎでないとは、豪儀よの」


 板の上に、濡らした砂を流したような声。恩義を感じはしても、面と向かった時の不気味さは否めない。

 驚かされなかったとしても、動悸が早まるのは避けようがなかった。


「いつもながら、何もかもお見通しで」

「まあな。それでこんな老いぼれでも、荒れた世を渡って行けるのよ」

「また謙遜を」


 それほど多く見たわけではない。

 だがその実力は、疑いようがなかった。例えば白鸞へ通じる洞窟に、距離を縮める術。

 気安く何度も来ることを懸念したが、往復時間が縮まったことで、却って引き取り手の滞在時間が減った。

 例えば白鸞とは反対の、敵対する国への備え。人手を手配すれば、十年以上もかかろうという堀が二本。そちらに広がる城下町はおろか、その先の砦まで含む大きさだった。

 他にも城下町に暗躍する工作員を捕まえたり、細かなことを言えばきりがない。妥当な報酬を与えるとなれば、国の半分もやらねばならない程だ。


「それで、何か妙案があるのかな」

「まあ急くでない。案はある――が」

「が?」


 枯れた老人。見た目の印象として、乾いた言葉しか出てこない伽藍堂に、ぬめりとした感覚があった。

 自分で思っているよりも、焦っているらしい。国主はその理由を、己に求めた。


「儂が手伝うようになって、三年ほども経とうか。そろそろ一つ、大きな区切りを付けたいと思うてな」

「それは、我らと手を切るということだろうか」

「そうではない。儂も何かするなら、気に入った者にそうしたいというだけのこと。これまではその見極めの為よ」


 賓客としてそれなりの気遣いはしてきた。だがこの偏屈そうな老人に、気に入られるような何かがあっただろうか。

 分からない。しかしやってくれるというものを、やるなと言うだけの余裕はこの国にない。

 なぜだか国主は、そうと思い込んだ。


「それはありがたいことだ」

「それでだ。ここら辺りで、白鸞からの支配を抜けてみぬか」

「先々代から続く、この関係を? 出来るものならそうしたいが……」


 白鸞は既に、飛鳥全土の三割ほども治めている。もう小さな一国が、歯向かえる相手ではない。

 滅びの道以外には、より良い条件で取り込まれるよう画策するしかないのだ。

 その当たり前のことも、頭の中から抜け落ちた。


「決断の時よ。のう、吉良どの?」


 カカッ。と、伽藍堂は笑った。

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