第91話:正義叶フル為ノ悪事
影縫い。
殻を拘束されているわけでもないのに、身体の自由を奪われる技の総称だ。吉良さんが実際にはどうやっているのか。それがこの不可解な状況の、三割ほどの理由だと見抜けない僕には分かる筈もない。
「久遠さん。おら、見でるだげでいいのが――」
「僕にもちょっと、分かったかもしれないことはあるんですが。それをどうやってたしかめたものか……」
「なんだべが」
ほぼ均一に爆発の広がった荒増さんの術では、よく分からなかった。もっとメリハリの利いた特徴的な景色なら分かりやすいのに。
それを萌花さんに話すと、彼女はこともなけに「簡単だ」と言った。
「桜の河」
「舞え、胡蝶!」
左手一本で、彼女は笛を巧みに吹く。雄大な大河を思わせる、ゆったりとした曲。
白にも近い薄いピンクの花びらが、層になって流れていく。僕たちの側から、吉良さんのほうへ。花びらの量は最初に濃く、段々と薄く。美しいグラデーションを描き出した。
部屋一面を覆った山桜の河辺を、三頭の蝶が舞う。マシナリの使えない今、もう予備はない。
「ほォ、見事なもんだが。何の意味があるのかな」
初めて見る、萌花さんの術。敵意がないのは、バレている筈。それでも念の為にか、吉良さんは三、四歩ほどの距離を取る。
「荒増さん! 吉良さんの術は、距離を操ってます!」
「あぁ、そうらしい」
滑らかに彩度を変える、山桜の色。等間隔に飛ばした胡蝶。それが吉良さんの移動した瞬間に、間を詰め、隣り合う色あいに谷が出来た。
「――ふん、ようやく気付いたか。随分と遅ェし、まだ七十点だが」
「言ってろよ。距離に関係のねぇ術ってのもあるんだぜ。いくらでもな」
実は的外れなのに、正解とミスリードを言っている可能性もある。そうでなかったとしても七十点。
いくらでもあるという荒増さんの技は、通用するのだろうか。
彼我の距離を自由に操って、当たるかどうか、いつ当たるか、そのタイミングを影縫いで変化させる。
仕掛けが分かっただけでは、対処法まで僕には思い付かない。
「吉良さん。そろそろいいのでは? 本気で争うつもりはないんでしょう」
「隠れたきりの奴に、言われたかねェな」
「あぁん? どういうこった」
隠れたままと言われて、四神さんは「ああそうでした」と姿を見せた。どこに居たのかと思えば、吉良さんのやってきた壁の裏だったらしい。なんの気ないという様子を醸しながら、しっかり両手にあった小太刀を鞘に納める。
それで吉良さんも、目の高さに上げていた潮招を下ろす。ようやく反撃だと意気込んでいたに違いない荒増さんは、不満を満面に声も大きく出した。
「吉良さんの目的は、クーデターとは別の所にある。と、僕は睨んだんですが」
「どうして分かった」
「勘です」
「お前の辞書に、素直とか正直って言葉はねェのか」
僕もきっと荒増さんも、その意見には同感だ。だがそれこそこれまでに、気が遠くなるくらいに言われてそうならなかった。今ここで何回かを加えたところで、どうにもならない。
「まァいい。四神の言うとおり、俺はクーデターに協力はしてねェ。邪魔をしないとも約束しちまったがな」
「どうしてそんなことを。じゃあさっきの愚王への不満は、なんだったんですか」
愚問だとは思う。それをぺらぺらと話せるくらいなら、こんな回りくどいコミュニケーションを選択しない。
まだその意図するところも、四神さん一人が納得しているだけだけど。
「遠江、お前の意見はいつも正しい。正しすぎて、聞いてる俺のほうが息を詰めそうだ」
「すみません……」
「いやそれが悪いってわけじゃねェ。損してでもそれが言える奴ってのは、貴重だからな」
吉良さんは強い。
強いというのは、己に正しいことを課してきた結果だ。だから僕は、強い人の言うことを無視できない。
その人に窮屈そうと言われて、損をすると言われた。貴重とフォローされても、自分はどうあればいいのかという問いに、重く負荷がかかる。
「でもな。仙石みたいな奴も必要なんだよ。妙な言い方になるが、正義の為ならどんな悪事もやり遂げるっていうな」
「……それは信念とか、そういうものですか」
「さァな。俺は単に狂気だと感じたが、他の奴がどう感じるかは分かれると思う」
正義であり、悪事であり、狂気でもある。
そこにどんな希望があるのか、「それを言うわけには?」という四神さんの問いに、否が返った。
「そこは義理ってもんだ。それを教えねェ代わりに、ここを通ってもいいか俺が審判役を努めてた」
潮招を丁寧に拭きあげながら、「ってことにしといてくれ」と吉良さんは笑った。
「審判? 俺がダメなら、誰が通れるって言う気だ」
「荒増。お前はたしかに強ェが、まだ粗い。鬼をどう扱うか弟子に仕込めてねェようじゃ、お前自身もどうだか怪しい」
「くっ……うるせぇ」
鬼の扱い。その一言だけでは、含意が広すぎて指すところが分からない。分かるのは、荒増さんが返す言葉に困ったということだけだ。
「僕は構いませんね」
「ああ。てめえは器用すぎて、また気持ち悪ィがな」
「あはは。ひどい言われようですね」
意図した風に軽薄に笑って、四神さんは近くの柱にもたれかかった。その目が、まだ大太刀を握ったままの荒増さんに「それをしまえ」と向けられる。
「何を言いてえんだか、何をやりてえんだか。俺にはまだ、さっぱり分からねえ。言えるとこだけでいい、聞いてやるからしっかり話しやがれ」
溜めていた息を吐いて、荒増さんはその場の床に座り込む。その動作の中で、器用に大太刀も納めた。
顔が四神さんに向けられて、その後に厳しい視線が吉良さんに飛ぶ。代弁するなら「こいつみたいに要領を得ない話し方をしたら承知しねえぞ」と、そんなところだ。
「元とは言え、上司を脅すなよ。ちょっとした昔話を聞いてもらうことになるがな」
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