第90話:揺ラグ煙草ニ朧見ユ
「てめえ遠江! いま俺を狙ってどうすんでぇ!」
「す、すみません! そんなつもりじゃ……」
たしかに僕は、荒増さんへの恨みを晴らしたい。でもそれは、僕の力でだ。こんなどさくさでなどと、ちらとしか思わない。いやともかく、狙いが云々以前に、この術は元へ返る筈だった。
「ややこしいこたぁ、後にしやがれ」
ぶん。と荒増さんの太い腕が振られて、僕に飛びかかろうとした式人形が燃え尽きる。
「は、はい。分かってます」
「おい新人! お前の技は使うなよ、あれは強すぎる」
「はひぃ」
萌花さんも、笛と短刀を用意していた。僕が退らせた位置から、動いていないけど。そういえばあの短刀は、式刀なんだろうか。まだ彼女が式徨を持っているとか、そういう話は聞いていない。
「四神はどこへ行ったかねェ。奴ときたら、いつもこうだ」
いつ取り出したのか、吉良さんの手にはまた紙たばこがあった。それを口元にライターも寄せて、すぅっと吸い込む。
そんな悠長な真似を、荒増さんだってぼうっと見てはいない。大太刀で切りつけ、地雷みたいに吉良さんの足下を吹き飛ばす。
が、当たらない。
僕の目には、荒増さんが手加減をしているようには見えない。なのに吉良さんは、予めどこに攻撃されるのか分かっているように、ひょいひょいと普通の動作で躱していく。
「てめえ、どんな手品だ。時間を操る式なんざ、聞いたことがねぇぞ」
「おいおい。仮にも最強を名乗る男が、もう教えを乞うのか?」
「自分から名乗ったことはねぇよ。それに俺は、勝つのに手段は選ばねぇ」
どこの悪役かというセリフを、恥ずかしげもなく言う人だ。
だがそれを吉良さんは、優しく笑って頷いた。それでいいと、認めるみたいに。
「聞いたことがねェってんなら、お前の勉強不足だろうよ」
「ああそうかい!」
とうとう痺れを切らしたのか、荒増さんは大太刀を投げつけようとした。
いかに短気といっても、式刀を捨てるなんて。まさかと思ったのに大きく振りかぶった腕が、前に伸びる――が、投げなかった。
「爆ぜろ!」
大太刀はそのまま床に突き立てられて、自由になった右手は帯印を結ぶ。それが吉良さんの周囲へ、円を描くように動いた。
その示された範囲を、仕掛け花火みたいに小さな爆発がたくさん、隙間なく一度に起こる。
「なるほど、これなら逃げ場がない――」
莫乃にさえ至っていない、希薄な存在の意。宙を舞うそれらのうち、火に由来する者たちを集めて、爆弾のように使うのは荒増さんの得意技だ。
今のはそれをあえて集めず、その場で破裂させたらしい。避ける時間と場所の両方を奪えば、どうすることも出来ない。
……のが、当たり前なのだけど。
「なぁるほど、ちょっと分かったかもしれねぇ」
「ほォ? 花火としてはなかなか綺麗だったが、役に立ったのか」
こちらが攻撃を避けようとしても、何度も元に戻される。今度はそれを自分に使ったのか、吉良さんは奥の出入り口の外まで移動していた。
僕はずっと見ていた。吉良さんはほんの少し、後ろに退いただけだ。ゆっくりと、水溜まりに踏み入れた足を戻したくらいの、そんな動作だった。
「どうしてあんなに動けるんだ!」
実際に動いた距離は、十歩分以上。そのからくりが、僕にはさっぱり見当もつかなかった。
さっきの爆発を受けたところで、軽い火傷をいくつか負うくらいだったろう。それでも裏があるのを警戒したのかもしれない。
だがそれがどうやら、荒増さんにヒントを与えたようだ。
「余裕こいてる段じゃねェがな。あ、ほれ」
おどけた声と同時に、潮招がじょきんと動かされた。合わせのいい、良く切れる鋏の音がする。
と、目の前にタバコの煙がふわと揺らぐ。いや煙だけではない、吉良さんの霊もそこにある。咄嗟に剣印で、「細断」を放った。
「てめえ――いい加減にしろよ」
「あっ、えっ⁉」
振り抜こうとした肘をつかまれて、細断は止まった。でも切ろうとした先に居たのは、荒増さん。
いつそこにやって来たのか、いやしかし風景がおかしい。僕は隠し通路の入り口に居た筈だ。けれどもなぜか、部屋の真ん中に居る。
「これもオッサンの手品か」
荒増さんも、僕がおかしな移動をしたことに気付いたようだ。僕と、さっきまで僕が居た場所とを見比べる。
つかんだ手を離して、苛々を抑えた声で問うたのだけど、吉良さんはあくび混じりに答えた。
「さァ、どうだろうな」
「くそが――」
横薙ぎの構え。剣印と導印を峰に触れて、大太刀は大きく振られた。地面と平行に、半円を描く。
「阡本咬撕!」
と、やはり広範囲に斬撃を飛ばす式が叫ばれた。ただでさえ予測も出来ない吉良さんに、これみよがしの動作では避けてくださいと言っているようなものだ。
「えぇ?」
「こりゃあ……」
斬撃が、飛ばない。
まさか荒増さんが、式の起動に失敗したのか。しかし当人の表情は、どうもそういう風にも見えなかった。
ついでに吉良さんの姿も見えない。何か式言を発したわけでも、印や式符を使ったようでもない。
「うぐっ⁉」
突然に切られた。僕の肩に、複数の刃が襲いかかる。
阡本咬撕だ。吉良さんに向けられた技が、十数秒も遅れて、後ろに居る僕に当たった。
手の内を探る為に、手加減していたのだろう。深手は深手だが、痛みを堪えれば問題ない傷らしいのが幸いだ。
「いやァ、遠江。災難だな」
「オッサン。てめえ、影を縫ったな」
「おや――ご名答だ。それだけじゃァ、三十点ほどだがな」
あごを撫でつつ、にやりと笑う吉良さん。また何ごともなかったように、元の位置に姿を見せた。
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