第89話:怪シキ式ノ吉良義久
「そんな。おかしいですよ、そんなの。お怒りなのは分かりますけど、まだ話し合いの余地とかあるじゃないですか」
分かり合えないことは、たくさんある。例えば荒増さんと、価値観を共有することなどきっと不可能だ。
でも僕は、極端な解決策しかないと思い浮かべながら、折り合っている。今は実行不能だから。それが理由として、ほとんどを占めるのも否定しないけど。
ましてやひとつの国が、たやすく意見を翻すのもおかしな話だ。いつか変わるにしても、直前まではそれまでの意見で動かすしかない。
人が頭で考えて、すぐに動かせる手足とは違うのだ。
「遠江。そりゃァ道理だがな。いつ応じるか分からねェのを待つのも道理か? いつか食わせてくれるだろって、大口開けて待ってんのがお前の流儀か?」
「それは――」
空いている左手で、吉良さんは顔をゴシゴシと擦る。それは普段から「あァ眠ィ」などと、眠気覚ましによくやっている癖だ。
それからおもむろに、得物が前に向けられた。全てが金属で出来た、槍のような長物。
吉良さんの式刀は、鋏だ。僕の身長ほどもある巨大なそれは、銘を
「道理はそうなんだよ。お前の言うことは、正しいさ。だがな、そいつは馬鹿のやることなんだよ」
鋏の柄の一方に、吉良さんの左腕が固定される。もう一方の柄を操作すれば、普通の鋏と同じように、挟んだ物を切断出来る。
式徨は呼ばれていない。そういえば僕は、吉良さんの式徨も、戦う姿も見たことがなかった。何かの式典のときに、演舞を見ただけだ。
「正々堂々とか、温いことは言わねぇぞ?」
「望むところだ。来いよ、若造」
荒増さんも、真白を呼ばない。連れ戻したとは聞いたけど、状態がどうなのか答えてもらえなかった。きっと危ういところだったのだと思う。
大太刀を吉良さんにまっすぐ向けて、ゆっくりと左回りに歩く。鋏もそれに応じるように、荒増さんに合わせて動いた。
「四神さん、僕たちは――」
奥に向かう出口は、吉良さんが塞いでいる。狭いところで四人がてんでに行動すれば、却って不利になりかねない。
だから萌花さんと僕は、距離を取っておこうと思った。どうせ頼まれもしないのに何かしても、荒増さんの機嫌を損ねるだけだから。
「四神さん、どごさ行っだがな」
「気配はあるんですけど。部屋じゅう、いやその外まで万遍なく、薄まった感じです」
嵐夏と絶冬の気配もある。なのに、姿が見えない。
霧か何かになって散らばったように思えるけど、実は妖だったとかでない限り、それはない。
この場の誰の行動も読めなくて、やはり退くことにした。萌花さんを後ろに庇いながら、一歩ずつ後ろ向きに進む。
「おい遠江。付き合いが悪いじゃねェか!」
白装束の懐から、人型の式符。式人形が出された。無造作に宙へ投げられたそれは、その姿のまま生きたように動き始める。
「我瞑る。開けき辻の、なきが如しに!」
帯印から止印を結ぶ。通ってきた通路まで戻って、部屋との境に結界を張った。心那さんのと比べれば、子ども騙しもいいところだ。
でもしばらくの間は、閉ざした通路と他の壁との区別はつかない。物理的な影響を受ける式人形では、通ることは出来なくなった。
「よそ見たぁいい度胸だ!」
その隙を、荒増さんが見過ごす筈がない。式術と剣術の融合。大太刀に霊を纏わせて、突き気味に切りつける。
「あァ、よそ見?」
ゆっくりと。いやそれどころでなく、スローモーションのようだ。吉良さんの動きは余すところなく、しっかりと目で追える。
鋏の刃が交差した合わせ目の部分で大太刀を上から抑え込み、そのまま床に押しつける。
二つの切っ先が床とその下の地面を砕いて、瓦礫を拵えた。
本能のまま動いているみたいな荒増さんの素早い動作と反射で、どうして避けられないのか。
「どうも眠くなっちまうんだよ。お前らがのろますぎてな」
「どうなってやがる――!」
鋏のほうが分厚く、しかも交差しているからそこに力が集中する。察した荒増さんは、珍しく急いで刀を引いた。
あのまま押しきられたら、大太刀の刃は折られていたかもしれない。式刀なのだから、大丈夫かもしれないが。
「ほれ、安心してる場合じゃねェぞ」
やはりのろのろと、吉良さんはまとめて三つ四つの石を、僕に向けて蹴りつけた。
避ける余裕は十分にある。その筈だった。
「ぐうっ⁉」
「久遠さん、大丈夫が!」
どういうことだ。
僕は避けた。まっすぐ僕の居る場所に飛んできたから、軸足を引いて躱したのだ。
何度も、何度も。
そうだ。たしかに避けたのに、気付くと元の位置に戻っていた。それでもまだ石は飛んできていない。だからまた避けた。
もう何回目か分からない、戻された瞬間に石が僕の胸を打った。その直前は、吉良さんの足下にあったのに。
瞬間移動を見せられたようだった。
「どうした、壁が消えちまった。それ、もう一度石が行くぞ」
「
しかし僕とて、二度も同じ手にはかからない。普通に避けられないなら、式術で返せばいい。なにせ怪しげな動きをするとは言っても、ただの石礫だ。
飛来物を投げ返す式で思惑どおり、さっきよりも大きな石が僕の目前で引き返す。
――しかし。それはなぜか吉良さんでなく、荒増さんへと飛んでいった。
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