幕間

第63話:遠江家ニ纏ハル狂風

 古来。纏式士は、単に式師しきしと呼ばれた。

 その振るう技は現代と遜色なかったと言われ、対抗する武器の発展していないそのころには、魔物や魔神と呼ぶ向きもあった。

 故に権力者からも危険視され、重用と弾圧の歴史を幾度となく繰り返している。

 現在から最も近いのは、ほんの五十年ほど前。

 既に王の下僕としての身分、纏式士の名を戴いていたが、集団となったことに怖れを抱く人も多かった。

 そこで当時の民衆会みんしゅうかいが提案し、貴族院の認めた法律が発せられた。


「公職の纏式士、その他の式士は常に、指定の拘束衣を着用すること」


 その拘束衣の各部には、式が刻まれている。

 纏式士であれば容易に唱えられる式言によって発動し、対象者の行動を指一本、口の開閉に至るまで不能にしてしまう。

 一定以上の身分を持つ公職者に、発動用の式符も配られた。もちろん纏式士でなくとも機能するよう、細工のされたものが。

 だがそれらは、年月の経過と共に形骸化していった。若い人々は、そんな法律があることさえも知ってはいない。

 今や街中を行く纏式士に、そのような服装をしている者は、おそらく一人しか居るまい。


「お前の名は、遠江久園だ。私と妻と、両方の跡を継げ」


 その彼が産まれたのは、十六年前。まだ纏式士でなく、その術を代々伝える式士の身分だった遠江久流の二子として。

 母の名は、何南園かなえ。長子の久南は、一般企業が専門技術者スペシャリスト育成を謳う養成所に出されていた。

 エネルギー分野に貢献のあった研究者である、何南園の才能を色濃く受け継いでいたから。と、久流はその申込書に記している。

 実際に久南は、母の発見した新しい金属元素、クリューンを用いたクリューリアクターを完成させた。

 だがその真意は、式士としての素質が皆無だったからとも、父に反抗的だったからとも言われている。


「何南園、どうして私を置いていった……!」


 久園の出生後、母親は退院しないまま帰らぬ人となった。

 原因は不明。本人も知らぬ既往症があったとされているが、敵の多い久流に原因があるのではと噂も飛び交う。

 久流の悲しみは、子に向けられた。

 意識が朦朧とした様子の久流が、まだなにも分からぬ久園の首を締めようとしたところを止められたという事案も発生した。

 それは妻を亡くしたことによる気の動転として、少なからず同情も集まっただろう。

 その後、久流が久園の安全を第一に専任の使用人を増やしたことからも、そうと信じられた。

 だがそれは、生かさず殺さずを実行する刑吏と同義であったと、幸運にも生き延びた使用人は後に語る。


【教えに忠実であれ。正しさに従順であれ】


 教えとは久流。正しさとは久流。

 それが遠江家のルールだった。これも先の使用人の証言だ。

 僻地と呼ばれる、白鸞から遠く、王権の管理下にない土地の監視者という身分。それが久流だけの帝国を築かせた。

 久流の意向であったり、当人の希望であったり。ともかく暇を与えられた使用人に、再び連絡がつくことはなかったという。

 そんな中で不運にも、久園は三歳まで無事に育った。

 それから久流は式士になる為の課題を久園に課し、出来なければ出来るまでやらせた。

 幼いことを勘定に入れずとも、厳しい態度であったようだが、実態は閉ざされた修練場の中のことで誰も見ていない。


「見よ、あれは御魂みたまだ。私の子は、もう自分の式徨を拵えようとしている」


 だが途中から、しっかり育てようとする気持ちはあったのだろう。久園が訓練に慣れて、式士の基礎を着実に備え始めると、使用人を度々見学に呼んだ。

 子煩悩の馬鹿親という人並みの一面を、このころは見せている。

 特に久園が、五歳にして紗々を練り上げた。その際には、小躍りする姿さえ見た者もあると。

 だが。それが運命の分かれ目となった。久園が曲がりなりにも父からの愛情を受けたのは、その一年ほどの期間だけとなった。

 そこから久流は、より高度な課題を課すようになる。

 本格的に自分の後継者、おそらくは自分の分身のように、久園を育てようと考えたのだろう。

 しかし式士同士が、全く同じ素質を自然に保有する確率は、限りなくゼロに近い。それはこの親子も同様だった。

 下手に、基礎訓練がうまくいった為に。下手に、どうにかなるかもしれないと期待を与えた為に。

 久流は、奇跡でも起こったと、信じてしまったのかもしれない。

 そこへ以て、それまで優秀な生徒だった愛息子が一転、問題外の落第生となる。

 その落差が、妻を失った悲しみをより顕著な形で、久園へぶつけさせることとなった。


「こちらは式を使わぬ。十合、どうやってでも良い。生き延びよ」


 久流が若いころに手に入れた式刀、万央。使わなくなって久しいその刃が、久園に向けられた。

 紗々は既に在ったものの、まだ式刀を自由に振るえる技も体格もない。身に着けた式術も到底、久流に抗し得るものではない。

 だが結果、久園は生き延びた。

 久流が手加減をしたわけでも、久園がなにかしらの才能を開花させたわけでもない。

 万央が、抜けなかった。

 鞘から抜けぬでは、いかに式刀でも切ることは出来ない。


「もはや、ガラクタか――」


 久流は言い捨てて、万央も久園の前に投げ捨てていった。

 式士は拘束衣を身に着けるものだ。基本を知らずして、応用を行ってはならない。と、言葉どおりに拘束衣が与えられたのも時を同じくする。

 訓練の場だけでなく、私生活でも酷いものだったという。

 食事は必ず対面で。ただし久園の膳は必ずひっくり返され、式でどうにかして食えと言われた。

 久園が油断して歩いていると、容赦なく攻撃が加えられた。いついかなる場合にも、式士に油断の時はない、と。

 それは縁から庭の奥にまで、吹き飛ばされるほどのものだった。あるいは家屋を改造した、致死性の罠もあった。

 森羅万象、全ての理を知る者が、式士として優れる。その為に、何南園の遺した研究書の書き写しが命じられた。

 毎晩、一冊。数百ページから千ページを超える物も、就寝の前に終えよと。

 その生活は、久園が十の歳まで続いた。


「では、行ってくる。留守中、精進を怠るな」

「畏まりました父上。尊いお役目、存分に果たされますことを信じております。その間に必ず、久園はご期待に添えるよう精進致します」


 十歳の記念に終えたわけではない。

 その数年前に纏式士の資格を得ていた久流が、纏占隊の統括に推されたのだ。

 飛鳥南方に広がる、多くの僻地を十分に抑えていること。それでも起こった紛争にあって、現地指揮官として優秀だったこと。個人の力量として、突出していること。

 それらが理由であった。

 ここからは遠江家の取り潰し事件として、知られた部分も多い。

 もう一人の候補者であった四神八紘が辞退したのを、立場を譲られたと腹に据えかねていた。

 その間に、久園を久流の戸籍系譜から廃絶。母の名を奪い、自身から遠い者として、久遠と改めさせた。


「久園はどこだ……あたしの弟はどこに居る……殺す……どいつもこいつも……頭のおかしな父親も、見て見ぬふりをしたお前たちも……同罪のあたしも……」


 久流が急に自宅へ戻ったと。気付いた者が、二人居た。

 その言動に危うさを感じていた四神と、父親の正体を知っていながら、逆らう力を持たなかった姉の久南だ。

 先に追いついたのは、久南だった。

 だが実家の様相は、彼女が家を出された時とは違っている。からくり屋敷のような仕掛けを一つずつ破壊して、久南は久遠を探した。


「遠江さん、なんてことを……!」


 その間に、現在の久流の霊を知っている四神が、あわやという親子を発見した。

 いや、僅かに遅い。胸を切り裂こうとした刃が、久遠の左腕を落としたその時だった。

 逆上して正気を失った久流は、四神に切りつけ、久遠をなおも殺そうとする。

 仕方なく、四神は久流の首を落とした。


「ごめんよ、僕が僕の都合で動いたばかりに。君には謝罪のしようもない――」


 四神は久流の遺体と、久遠を連れてその場を去った。

 その後、遠江家の使用人は何者かに依って皆殺しとなった。唯一生き残った年配の女性は、こう証言する。


「暗闇で、着物の女の子を二人、見た気がします。そのあとすぐ、気が遠くなったみたいで。すぐに目が覚めたのですが、既に屋敷の中は血の海でした」


 その女性は、久南の乳母役だったという。

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