第61話:九ツ総テ死スル道也

「萌花さん、手を!」

「て? 手がなんだがしたが?」


 すぐに彼女と、手を繋がなければ。

 敵襲の報があったとはいえ、もう僕たちの目の前というわけではない。なのに焦った風の僕の態度に、萌花さんは面食らっていた。


「とにかくまず、手を握ってください!」

「は、はひぃ」


 心那さんの九門陣は、範囲内の全てを問答無用で飲み込んでしまう。しかも発動は、一瞬だ。


「敵の位置は! 戦術リンクに出ていない!」

「衛星補助が――あ、いや。指揮端末が!」

「おい、どうなってる! 指揮テキストが見えんぞ!」


 通常端末からの通信で、兵部の人たちの混乱が伝わってくる。どうも彼らの使っている、相手や自分たちの位置を測位特定する機能が死んだらしい。

 しかもそれはその機能だけの問題でなく、指揮兵站支援端末そのものの異常のようだと。

 僕たちのマシナリに始まり、今度は指揮端末にまで。これで僕たちは、統括的な指揮系統を失った。


「萌花さん、手を離したら危険です。僕がいいと言うまで、絶対に離さないで」

「わ、分がったっす」


 幸いなのは、通常端末での会話は可能なことだ。しかしそれも今は、公職用の共通チャンネルにみんなが殺到している。誰かが整理しないと、意思疎通が出来ない。

 その状況に目を回しているうち、心那さんの指定した短い猶予時間は過ぎ去った。


「来たっ!」


 僕たち、だけでなく塞護攻略の全部隊は、多少の茂みを視界に入れた草原に居た筈だ。

 なだらかな凹凸の続く、真っ暗な地面。最小限の照明と、僕がやっていたような焚き火の明かりがそれを照らしていた。

 その寸前となんら変わらない一瞬を境に、その景色は一面をグレーに変貌させた。


「こ、こ、ここここ、これ、なんだが⁉」

「これが心那さんの結界です。下手に動くと、元の世界に戻れなくなりますよ」

「も、元の世界?」

「ええ。敵も味方も関係なく、心那さんが望んだ範囲に居た人間は、みんなです」


 ここは並行世界と聞いている。そう言われても、人口の床としか思えない平面の足元を見ると信じ難いが。


「あっぢにあるのは?」

「九門ですよ」


 見上げてもやはりグレーの色だけで、どこまで高いのか、あるいはすぐそこに天井があるのかさえ分からない。

 その床と空が続く空間を遙か先で塞ぐ物が見える。萌花さんに言ったとおり、九つの門。それだけが、この世界に元からある唯一の物体だ。


「字っこ書いであるべ……腐どが無どが、縁起悪ぃのばっかしだ」

「そうです。この世界を支配しているのは、順番です。僕たち纏式士の基本ですね」

「順番?」


 いつここのつ

 門には文字が一つずつあって、不用意に入った者を苦しめる。兵法に八門の陣というのがあるけど、それを凶悪にしたものだと言っていいだろう。

 なにせ不用意にと言っても、どこかに入らないことには、ここから出ることも出来ないのだから。


「今回は六道から正順と言ってました。だから無の扉から、順に進めば安全に出られる筈です」

「はあぁ、たまげた仕掛けだぁ。んでも他の人たづはなんしたべが」


 萌花さんに手を繋ぐよう言った理由は、ここに僕たちしか居ないというところにある。

 この術が発動した時、触れていた者同士は同じところに来るのだけど、そうでなければ一人ぼっちだ。

 この術は、白鸞の全域さえも覆うことが出来るという。いくらその位置が知れていなくとも、迫っていた部隊は取り込まれ、分断されたことになる。


「味方はみんな脱出方法を知ってます。大丈夫ですよ」

「お姉さんもだが?」

「あ……」


 どうだろう。姉はしれっと、知っていそうだ。でもやって来ていた企業の人たちは、知らないと思う。

 だがそれを、いまからではどうにもならない。九門陣に入ってしまうと、中からも外からも、互いに接触することは出来ない。


「はぁ、こっただもんさ使うがら、鉄壁だば言われるだな」

「あ、いえ。これはまだ、その準備段階ですよ」

「なんしたが?」


 この先を口で言ったところで、到底想像も信用も難しいと思う。だからとりあえず、この結界から抜け出すことにした。


「まず、無の門です」

「あいした」


 門に至るまで、特になにも起こることはない。普通に見たままの距離を歩けば、辿り着く。

 その門はと言えば、どんな巨人を通す気かというほどに大きい。たぶんあの国分さんのビルも、立ったまま通せるのでは。

 萌花さんはもちろんその威容を、まじまじと見つめる。でも通ることそのものを、嫌がる様子はなかった。

 門扉に軽く触れると、木の軋むいかめしい音が響き渡る。開いた先は、門をくぐるまで見えることはない。見た目には背中にある景色と同じ、グレーの床が続いているだけだ。

 萌花さんの手に少し力を加えて、ぐっと引っ張って踏み出した。


「これを抜けたら、次は納の門です。今回はいくつ抜けたら出られる……」

「出だみてだべ?」


 経験上は、最低でも三つほどは門をくぐらないと出られない筈だった。しかしどうみても、そこはもと居た草原だ。


「ゆっくりでしたね。中でなにをしていたんです?」

「なにもしてなんか。それより――」

「どうやったら出られるのか、決めるのはわたくしなのですよ」


 なるほど。そうと言われれば、もう聞くことはない。鉄壁と呼ばれる力の片鱗を見せる準備は万端のようだ

 あの番傘のような物体を左手に。いつもの扇子を右手に。ただし傘は開いて、柄の付いた十字の姿を露わにしている。


「あなたたちは、そこに控えていてください」

「……分かりました」

「なにがあるが?」

「心那さんは、敵の先鋒を受け止める気なんですよ」

「一人でが? そっただごど、出来んのけ⁉」


 出来るのだ。心那さんが左手に、あの式刀、菊花きっかを持っていれば。

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