第60話:異変ト敵襲ニ応ジヨ

 それはやはり、異変だった。

 若い纏式士から、かと思えば三十過ぎの人も。一人、また一人とマシナリに異常を訴えていく。

 多くは装着しているところから、流血を伴った。「いってぇ……!」などと、慌ててマシナリを投げつける人も居た。

 その形状が許せば、ここに装着しなければならないという制限はない。普段、僕の使っているのがそうだけど、使うときだけ握っているというのでもいい。


「なして。なしてみんな怪我すてるべ!」


 制限はないが、条件はある。

 マシナリを使うには、指定部分を自身の素肌に接触させなければいけない。


「たぶん――マシナリは血を吸うから、その誤動作です」

「血を吸うんだが⁉」


 マシナリが排出してくれる式符には、文字や図形が描かれる。印字される色は黒に近いのだけど、焦げ茶色という風でもある。

 使われるインクの主成分は、使用者の血液。と言ったって着用している間に微量ずつ吸って溜め込むので、吸われている自覚も痛みも全くない。肉眼では、傷も見えないほどだ。


「いや本来は、本当にちょっぴりなんです。だから誤動作とは言いましたけど、こんなことになるものなのか……」


 誤動作だったとして、どうして一度に起こるのか。話している間にも、少しずつ被害者は増えていく。


「久遠さんのは大丈夫だべが?」

「僕ですか。僕のは――ええと、ここに入れてるから大丈夫だとは思いますが」


 剣帯を奪われたので、適当なベルトと入れ物を探して、またいつもの位置に吊るしている。分厚い合成皮革だから突き通すことは――あったら怖いな。

 それ以外にも不安はあるのだけど、すぐに捨てるのも躊躇われた。


「どうしたことですか」


 少しずつ騒ぎが大きくなる中、凛とした声がこれを沈静化させた。みんな口々に「統括控!」と、その人の役職を声に出す。


「――なるほど」


 最初に悲鳴を上げた人の近くに居た一人が、ここまでをざっくり話す。すると心那さんは、もう一度ぐるり見回すだけの時間を使ってから、きっぱり言った。


「全員、マシナリを捨てなさい」

「と、統括控。たしかに妙なことですが、まだ全体の一割にも起きてはいません。本気ですか?」

「私が嘘や冗談を言ったことがありますか」


 ないのだとすれば、相手によっては酷いものになるあの罵倒が、すべて本気ということになる。


「廃棄しろと言うのではありません。所有者が分かるようにして、誰も触れないように保管しておきなさい」


 マシナリは高額だ。安価な物でも、小さな車なら買える値段がする。高い物とか、独自にカスタマイズされた物となると、家を買える値段にもなる。

 ただし問題はそこではない。たしかに購入に少しばかりの勇気は必要だが、逆に言えばその程度だ。纏式士の給金は、それくらいに高い。


「それでは皆、本来の実力を出すことが――」

「致し方ありません。いつ破裂するか分からない爆弾を抱えて戦うよりはいいでしょう」


 そう言って、心那さんは胸元に挿していた櫛を取り出した。それを周りに見せつけるように掲げて、ひと息に割る。

 そういえば心那さんがマシナリを使う姿は、見た覚えがない。でもきっと、あれがそうなのだ。

 手の中で念入りに、粉々にした破片がぱらぱら落ちて、誰の目にも修復不能なのは明らかだった。


「分かりました。私も続きましょう」


 傍に居た年配の人は、近くの食料袋を拾って中身を出した。その中へ、外した自分のマシナリを放り込む。


「全員、破壊しろとは言わない。統括控の仰る通り、マシナリをここに預けろ」


 纏式士が術を使うのに、マシナリは必ずしも必要でない。

 でもたくさん居る相手の位置を自動追尾してくれるとか、データのある相手であれば適切な対処を教えてくれて、途中まで勝手に実行してくれたりとか。

 例えば、衣服を入れれば綺麗に洗って乾燥して、きちんと畳んでくれる洗濯機を使うなと言われたようなものだ。

 手間の問題だけでなく、戦闘中にそれが全て手作業となる負担は計り知れない。式符を書くことも、戦闘中に出来る筈はない。その負担は敗北すること、即ち死に直結する。


「これは敵の攻撃の第一波と判断します。兵部とも連携を密にし、各自備えなさい」


 マシナリの回収が終わって、心那さんは少し前に言ったことを繰り返した。それは通常端末を使って、近くに居る纏式士の全員に伝えられる。

 ああ、もちろん僕も腰の入れ物ごとマシナリを預けた。


「次は直接的な攻撃があると予測します。その場合、例の作戦を前倒しで実行します」

「了解です、そのように備えましょう。私もあちらへ」


 さっきの年配の人が、答えてどこかに行ってしまった。方向は兵部の人たちのほうなので、向こうとの連絡係というか調整役だろうか。

 例の作戦ってなんだろう。

 僕が思うのと、「作戦て、なんだが?」と萌花さんが呟くのは、ほとんど同時だった。

 やはりどうも、彼女の僕に対する態度が変わった気がする。最初はなんでも、どういうことか、どうすればいいのか、僕に聞いてくれたのに。

 嫌われるようなことをしただろうか。考えても、全ての行動が原因のように思えて埒が明かない。

 ――それから、なにごともなかったかのような時間が続く。しかし心那さんの予測が正しかったことは、やがて証明された。

 時刻は午後十一時。僕たち纏式士の言い方で、〇一。


「敵の混成部隊を確認!」

「全軍に伝えなさい。これより結界、九門陣きゅうもんじんを発動します。今回の生きる道は、六道りくどうより正順です」


 九門陣。

 それは心那さんが、王殿を守る為に使う結界。鉄壁と呼ばれるこの人の、代名詞と言える術式だ。

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