第58話:遠江久南ノ昔シ語リ

「あたしの弟はね、憑かれてるんだ」

「疲れ――取り憑かれだが?」


 仮にも纏式士に対して、なにを言うのか。そんなことを最初に姉は、つらつらと喋り始めた。


「当たり前だが、あたしたちにも産んでくれた両親が居た。川の底から湧いて出たわけじゃないし、姉弟の振りをしているなんてこともないとは、先に言っておこう」

「おらにも居たべ」

「そうか、末永く見守ってもらえるといいね」


 居た、と過去形だった。すると萌花さんの両親も、亡くなっている。少し驚いたのは、死者が見守るなどと姉が口にしたことだ。

 霊は殻から離れると、生きた時の記憶を失う。ほとんど一瞬か、持って数分だそうだ。

 例外として、よほど強い想いを抱えて死ねばそれは残る。例えば誰かを殺したいと、それだけを果たす為の存在になるとか。決して羨むようなものではない。


「さて問題は父親のほうだ。名は久流。纏占隊の統括を務めていたころは、最強なんて馬鹿げた呼び名もあった。便利なくるみ割り器と呼ぶには、たしかに自意識が強すぎたがね」

「そっただ人さ問題て、なんだがな」

「そうだね。たくさんあるけど、今は久遠の話だ。するとそれは、彼が久遠を嫌っていたというのが一つある」


 まあ…………そうなのだろう。僕はそれを認めたくなくて、覆したくて、あのころを生きていた。


「なして?」

「なんで、って言われると――」


 とぼけているのか、本当に知らないのか。姉は萌花さんを見つめつつ、考える素振りをした。その最後に苦笑を加えて、「いや」となにかを否定する。


「あたしにも、こうだという理由は分からない。でも彼が久遠を嫌っていたのは、間違いない」

「んだすか……」

「それで彼は、久遠に纏式士としての修行を課した。既に最強と呼ばれつつあった、自分と同じようになれってね」


 そうだ、僕自身がそう言われた。それが叶ったとき、僕は父を父と呼べるようになると信じていた。


「二人にとって幸運だったのは、久遠の資質が久流に似ていた。基礎的な訓練は、ほとんど無駄にならなかったそうだ」

「久南さんは、見でねえのけ?」

「ああ。あたしはもうその頃には、家を出されていたからね。いま話しているのは、使用人からもらった文面や映像で知ったことだよ」


 そうだ。僕は使用人を除けば、家に居たのはずっと父と二人だった。


「その二人にとって、不運だったこともある。久遠の素質が、久流と同じではなかったことだ」

「似でだども、同じでね?」

「そうだよ。いざ術を教えても、なにもものに出来なかった」

「嫌っでだならば、いったげごしゃがえたさんざんに叱られたんでねが?」


 萌花さんは、なんと聞いたのか。僕には分からなかったが、姉は「いや」と、まず否定した。


「叱られはしなかった。むしろ彼は、喜んだようだ」

「なんたが?」

「なぜなら彼は、久遠を嫌っていたからだ。基礎を吸収してしまうことにこそ、苛立ちを感じていた。それが今度こそ、修行と称して痛めつけられると喜んだんだよ」

「なんだもんだぁ――」


 この辺りのことは、僕も前に、姉から聞かされた。しかし実際どうだったのか、僕には分からない。

 あのころの僕の世界には、父に教えられたものしかなかった。それが全てと思っていたのを、あとから違うと言われたって確かめようがない。

 【教えに忠実であれ。正しさに従順であれ】と繰り返し言われ、父に鍛えられた結果として、素養だけなら一流とよく言われる。

 全て伝聞の話より、そちらのほうが僕には確かだ。そこから先は、僕自身の努力の問題なのだから。


「教えられたことには、黙って従え。盲従することが正しい、みたいなことをうまく言い換えていたね。人の目を気にするくらいの理性は、持っていたらしいよ」

「なんだが、はんかくせ子どもっぽいな――」

「あたしもそう思うよ。言ってしまえば、単なるいじめっ子なんだよ」


 そうだったのか? と疑問に思うより、父のことを悪く言うなと思うほうが、圧倒的に強い。でもそれにしたって、皮肉げに語る姉の口を、どうやってでも塞ごうとは思わない。

 そういう自覚があるから、最初にこの話を止めなかったのだろうか。しかしこれも、僕には当たり前の感覚だ。他の人がどう感じるのかなんて、誰も本当の意味では知らない筈だ。


「そのいじめっ子が、纏占隊の統括に推されたから大したもんだ。それには彼も、喜んだ。ただ、同じく推されたのがもう一人居てね」

「んでも久遠さんのお父さんさ、偉ぐなっだんだべ?」

「そうだよ。それが最悪の引き金になった」


 それも知っている。でも僕は、父を責められない。自尊心を傷付けられたのだとしたら、そんなこともあるかもしれない。


「最悪?」

「もう一人ってのは、四神というケチな男でね。自分にはその資格がないから、遠江さんに譲りますよ。と、こう言いやがった」

「優しなと思うべが」

「あはは。萌花ちゃんは、いい子だ。でもね、遠江久流って男は納得しなかった。試合をして、どちらが相応しいか決めようと言った」


 萌花さんは、どうしてそこまで思うのか、よく分からないようだ。譲られたのなら、ありがたく受け入れればいいのにと。

 それを姉はまた、いいねと肯定した。


「なるほどそれなら、勝ったほうが良いようにしましょう。四神も受けて、試合は行われた。数人の立会人りっかいにんの前で、どうやら彼は勝てなかった」

「はへ。勝っではねぇのけ」

「辛勝、惜敗、というところではあったそうだよ。ただ四神は、直後に告げた。勝った者の権利として、統括の座を遠江さんに譲るとね。それも、息を乱した様子もなくだ」

「欲さねぇ人だねや」


 そこのところの四神さんの気持ちは分からない。聞いたことはあるのだけど、どうだったかなととぼけられた。

 今のあの人を見ていると、単純に面倒だったのではとも思うけど、それは推測の域を出ない。


「最初の数週間は、それでも統括として職務を全うしていたそうだよ。けれども突然、終わりの時が来た」

「終わり――」

「いや別に、四神を闇討ちしたとかクーデターを起こしたとかじゃない。彼は休暇を取って、久しぶりに我が家へ帰った」


 休むのも大切だと、萌花さんはほっとしたようだ。たぶん、そのまま休みが長引いたとか、そういうことを考えたのだろう。

 いいことではないけれども、終わりの時なんていう脅し文句からすれば、可愛いものだ。


「それならいいけど――彼はそこで、久遠を切りつけたのさ」

「ひっ」


 萌花さんの目が、こちらへ向いた。視線が合うと、失敗したというように姉のほうへ向き直る。


「だから久遠の左手は、あたしが作った義手なんだよ」

「切られちまっだべが……」


 もう一度、萌花さんはこちらを向いた。今度は顔を背けなかったので、「ええまあ」と手袋をしたままの左手を上げて見せる。


「悲しべな――なしてが、そんな――久遠さんの父さんさ、なにが苦しがっだべがな。そいで、わげが分がらなぐなっちまっだべがな」


 優しい人だ。普通は父を、なんて奴だなんて罵るのに。僕はそんな萌花さんの気持ちと言葉が、とてもありがたい。


「それはないね」


 僕にとっては案の定。萌花さんには意表を突いて、姉は言いきった。なんなら吐き捨てるように、という感じで。


「あの男は正気だったよ」

「なして分がるべ」

「彼は統括でいる間に、久遠に苛立ちをぶつけることだけを考えていた。久遠はね、元は久園くおんという名だったんだよ。彼の戸籍から除かれて、変えられた名が久遠だ」

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