第55話:心那ノ抱フ重ミトハ

 荒増さんと分かれたのは、お昼前。ようやく辿り着いたのは、夕焼けが見え始めたころ。

 塞護から離れること数キロ。大抵の小火器では射程外の位置に、部隊は集結しつつあった。妖と化した防塔をどうやってすり抜けたのか、その答えがちょうど到着したところだ。


「前線までお疲れさまです。統括控」

「あら久遠くん。なにか言いましたか? わたくしには、鉄壁に聞こえなかったのですが」

「あ――ええと。お疲れさまです、心那さん」

「お疲れさまです。そちらは反坂さんですね」

「よろすぐお願ぇします」


 藤色の着物に、蕗色の袴。いかにも女性らしいたおやかな出で立ちだが、足下に革のブーツと、閉じられた大きな番傘――に見える物体が、無骨さを感じさせる。


「さて。荷物を置かせてもらおうと思うのですが、テントはあるのかしら」

「あー、どうでしょう。すみません、僕も着いたばかりで」


 先に来ている纏占隊は、居る筈だ。だが心那さんは全ての部隊が通り抜けるまで、どこかで結界を張っていたのだろう。すると自然、最後尾になってしまって、隊列から外れている。


「やあ、これは蕗都美嬢。久方ぶりだな」

「ご丁寧に、兵部卿」

「纏占隊のテントを探しているのか? 案内しよう」


 心那さんが答えたとおり、混雑する中から出てきたのは兵部卿。側近らしき人を何人か連れて、機嫌良さげにやってくる。

 王殿での会議から、まだ丸一日も経っていない。だのに久方ぶりとは、特に厭味にもなっていないし、機嫌がいいからと冗談を言ったらしい――分かりにくい。


「ほれ、荷物を持ってさしあげろ」

「はっ!」


 兵部卿一行は、皆同じ服を着ている。土色のミドルジャケットと、同色のスラックス。

 兵部卿が胸に多くの略綬を付けているのに対して、いま答えた若い人は階級章以外の飾りがなにもない。それに依れば、少志のようだ。


「お手回り品をお持ち致します!」

「これをですか?」

「はっ! 差し支えなければ、ぜひ!」


 心那さんの左手には、例の黒い番傘のような物。右手には、いつも持っている扇子がある。その両方を示して、少志の意図が再確認された。

 預けるのは構わないのだけど、と。心那さんは、気の進まない様子を見せた。その意味が分かる僕も同感だけど、兵部卿にやれと言われた少志は引き下がれない。


「決して! 決して傷一つ付けることは、ございません!」

「そうですか――そこまで仰るなら。金塊でも持つつもりで、お願い致します」

「必ずそのように!」


 少志は、心那さんの左手の物を渡されると思っただろう。丁重に受け取るため、両手が低く差し出される。


「そうですね、もう少し腰を落として。両手は揃えて」

「はっ、はあ――?」


 スクワットでもするような姿勢を細かく指示されて、少志は戸惑う。だが仮に兵部卿の指示がなくとも、纏式士は大尉相当。中でも目の前に居る心那さんは、杜佐相当だ。彼より四つも上位となる。


「いいですか、渡しますよ」

「は、え、そちらをですか」

「不満ですか?」

「いえ、そのようなことは!」


 上に向けて水を掬うような格好の、彼の両手。そこに向けられたのは、扇子。どうせ荷物持ちをするなら、大きな物のほうが甲斐もあるというものだ。疑問を持った少志の気持ちは、とてもよく分かる。

 でも――。


「では」

「――くっ! ぅぅぅぅううう!」


 最後のひと声と同時に、そっと扇子が渡された。天秤を揺らさぬよう、ピンセットで分銅を置くような手つきで心那さんは手を離す。

 途端。少志の腕は、がくんと落下した。地面に着くか着かないか、ぎりぎりのところで右足が一歩前に出て、踏みとどまった。

 しかしそこから、持ち上がらない。たった一本の、他と比べれば少し大きいかなという程度の扇子が、持ち上がらない。

 腕と足。次には太腿、肩。腰までも震え始めて、そこで少志は大きく深呼吸をした。その息を吐くのと同時に、扇子を胸の高さまで持ち上げる。


「うううああ!」

「お見事です。知らずに触って、土を付けなかったのはあなたが初めてですよ」


 褒められても、少志は声が出せなかった。彼はここから、テントまで運ばなければならないのだ。もう無理だと諦める気配はない。

 僕が初めて触れた時は、重いとだけは聞いていた。置かれていたテーブルから持ち上げようとして、貼り付いているのではと疑った。結局のところ、持ち上げられなかったのだけど。


「久遠くん、報告は読みました。ド変態は、まだ戻っていませんか?」

「ええ。夕食までには戻ると言ってたんですが」


 野営準備の中を歩くと、糧食を温める匂いが既に漂っている。荒増さんが夕食を食べるのは、四一のころが多い。一般的な言い方だと、午後七時。

 まだもう少し時間があるけれど、あの人の強烈な霊の気配はまだ感じられない。


「そうですか。とりあえず工事人の大群とやらについて、話しましょうか。打破する案があります」


 話すなら荷物を置いてからにしてくれと、少志の声の聞こえた気がした。

 

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