第54話:其ノ差ハ僅カナレド
「荒増さん。進入路ですよ、聞いてますか」
「ああ」
「どうするんです? 試しに行ってみますか?」
「ああ」
「このボケナス」
「ああ」
ダメだ聞いていない。さっきは反応したから、聞こえてないわけでもないと思うが。
「荒増さん――まさがや、真白さんになんだがあっだが?」
「えっ?」
大霊までも含めたあれほどの数を、真白だけでどうにか出来るとは思えない。でも荒増さんに冠された最強の名のうち、確実に何割かは真白の功績だ。それが十分や二十分、耐えられないなんて――あるだろう。
だから荒増さんも、すぐにそうとは言い出さなかったのだ。他に手がないと考えたから、真白を説いたのだ。
しかしそうならそうと、言うものだと思っていた。考えごとをしているのは、次にどうするのか糸口が見えないからだと。
「真白さんは、戻ってきたんですよね? 大太刀を納めたんだから、戻ってきたんでしょう?」
「遠江」
「えっ、はい」
「進入路のデータを寄越せ」
「あ、はいはい」
荒増さんはマシナリの装着された左腕を突き出した。そこに僕も、マシナリを近付ける。直接のリンクを許可するのか表示が出て、僕が許可すると既にあちらも許可が終わっていた。
「なんだこりゃ、子どもの落書きか」
「粗忽画伯です。まあ、内容は分かりますよ」
「ちっ。次に会った時に、また文句を言わなきゃいけねえじゃねえか」
地図に矢印と文字を加えたり、入り口を動かすスイッチの位置を図示したり。絵とまで言えるものはないのだけど、まあまあ個性的な絵を描くのだろうと予想のつくものだった。文字も丸々としていて、とても可愛らしい。
「俺が入り口を確かめてくる。お前らは、あっちに行ってろ」
「あっち?」
見渡しても、至極小さな藪が点在するくらいの草原で、いきなり「あっち」と言われても困ってしまう。それこそ子ども扱いというものだ。
まあそこそこ知恵の回る子どもである僕は、纏占隊本部が共有している地図データを表示させる。すると荒増さんが指した方向には、塞護攻略のための部隊が集結しつつあった。
「先に行く意味があるんです? ないならお供しますよ」
「紗々の居ないお前なんか、なんの役にも立たねえんだよ。つーか邪魔だ」
分かりきったことだ。自分でもそう思うのに、その言葉は胸に突き刺さった。今なくしたわけでない、ないと分かっている腰の辺りに、視線と手を向けてしまう自分が愚かしい。
「分かりまし……」
「荒増さん!」
すごすご引き下がろうとした横で、萌花さんが声を張り上げる。見ると眉が下がって、語気とは正反対に泣き出しそうな顔だ。
「真白さんに、なんだがあっだだな。帰っでねえんだべ? 迎えに行ぐんだべ? おらも行ぐっす。行がせでほじいっす」
「ああ? 進入路の確認に行くと――」
「嘘こぐでね!」
どうして嘘と思ったのだろう。どうしてそうと言い切れたのだろう。そこから分からない僕には信じがたいことに、その勢いで荒増さんが黙ってしまった。
「……おら、教えでもらっだのに。また、なんにも出来ねで。おら、びびっちまって」
荒増さんの目をいつも、荒鷲のようだと思う。どんな相手にも伏せられることなく、どんな相手も獲物として食ってかかる。
今はどうか。普段と特に、変わったとはみえない。しかしなにか、その奥に見える色の揺れた気がする。
「おら、さっぎの人たづにも休まっでほじいべ。次は、しかっとやるべ。おらの笛さ、すてこぐれ聞いでくらさるべ」
「悪りぃが……」
思いつくことを端から言っているらしい萌花さんに、ようやく返事があった。わざわざ平手を見せて、待てと合図まで。
「なに言ってんだか、分かんねえ」
「ひぎゅ……すまねっす」
あのたくさんの唹迩たちを、安らかにさせてあげたい。最初はたぶん、そう言ったのだと思う。慣れてきた僕も、そのあとはよく分からなかった。
「いや、気持ちは分かった。礼は言っとく。だがやっぱり、今は俺一人のほうが動きやすい」
「したら――」
「ああ、本隊と合流してろ。晩メシまでには俺も行く」
「……了解っす」
気合いを入れ直すように、荒増さんは大きく息を吸って吐いた。そのついでに、僕の頭が殴られる。
「いたっ! なんですか!」
「さっき、ボケナスっつったろ」
「なんで聞いてるんですか」
答えずに、荒増さんは走っていった。世界競技の陸上選手も、相手にならないような速度で。
「さて、指示どおりにしましょうか」
「んだすな」
ん。気のせいだろうか。萌花さんの声に、棘があるように思えた。
「どうかしましたか?」
「なんでもねっす」
怒ったような声、ではない。でもなんだか、これまでは頼ってくれるような、彼女自身の心細さみたいなものが声にあった。
それが急に、ぴんと張った凛々しい口調に感じる。粗忽さんみたいに、とまでは言い過ぎにしてもだ。
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