第35話:救ヒノ手ハ麗シキ女

 どうしたものか。監禁室の檻から外を眺める。ひたひたと、消え入るような足音を立てる昔の軍服姿の男。寂しさを隠すことなく、温もりを求めて手を伸ばす赤子。人に子を殺されて、自身も腹を割られた雌の狗。


「唹迩が増えていく……」


 地下に落とされて、少し多いなとは思っていた。それが防塔に入って、藤堂さんが去って、時間を追うごと増え続ける。

 このままで行くと、膨れきった風船のようになったところへ針を刺せば、唹迩たちは一気に白鸞を襲う。さほどの時間をかけずに鎮圧は可能だろうが、まだ無傷の地区にも少なくない被害が出る。

 それが目的なのか?

 白鸞の歴史を振り返ると、今の時点で被害は指折りだ。しかし一、二を争うほどではない。過去には王殿が落とされたり、市街が半壊したこともある。

 地下の空間は広くて凄いと思うけど、それだけではなんともならない。まさかあれを広げていって、白鸞を落っことそうと? そんな馬鹿な。さすがにそれまで、こちらが手をこまねいているのを期待しないだろう。

 いくら考えても、これという推測が出てこない。どれも規模に対して、益が薄すぎる。


「萌花さん、なにを?」


 ふと気付くと、彼女は壁や床を撫で回していた。拭き掃除、にしては雑巾がない。もちろん普通は、囚われた部屋の掃除など考えない。


「この子ってば、やっと返事したべ」

「やっと――ここに入れられてからですか」

「んだ」


 この部屋でもう、一刻ほどは過ぎたはずだ。その前に防塔内を、多少は歩いている。ある程度近づけばいけると言っていたのに、随分と手間取ったものだ。

 それほどの理由は、なんだったのか。


「なんだか。おっかねって、ずっと言っでるべ」

「怖い? この妖が、そう言ってるんですか。なにがそんなに怖いんでしょう」


 その質問には、萌花さんの首が困ったように捻られた。「まだ分がんね」と言いながらも、優しく撫でる手が止まることはない。

 泣きじゃくる子どもを、なだめている。そんな感じなのか。

 邪魔をしては悪いので、声をかけるのを遠慮した。すると僕にはやることがなくて、纏まりなくあれこれと考えてしまう。

 四神さんはどうしただろう。まあまあ、あの人はあの人なので、きっと防塔に侵入している。うまくすれば、助けに来てくれるかもしれない。

 兵部の攻撃には効果があったのか。あったらとっくに、近くで火器の音が聞こえているはずだ。

 荒増さんはなにをやっているのだか。最悪、寝ているな。

 ――国分さんはどこに居るのか。


「あの人が敵とか、どうやったって倒せる気がしないな……」

「誰のこと?」

「いや国分さんが」


 ぼんやり見ていた檻の外に、すらと背の高い女性が立っていた。右手には太刀を握って、半身には僅かに返り血が見える。


「こ、国分さん!」

「はあい」


 機嫌良さげに、左の手がひらひらと動かされた。その手はすっとスラックスのポケットに動いて、中からなにかを取り出した。


「それ、僕のですか」

「そうだと思うよ」

「もしかして、藤堂さんを――」

「藤堂にはね、逃げられちゃった」


 奪われたマシナリが、気安くぽいっと投げられる。それは檻にぶつかりもせず、いいコントロールで僕の胸元へと飛び込んできた。


「あっ、と。あ、ありがとうございます」

「いいえー、ちょっと退がっててくれる?」


 辺りに気を遣う様子もなく話しているので、萌花さんも気付いていた。監禁室は十人も入れる広さがあるので、僕は彼女を庇うように奥へ移動した。

 国分さんに限って、そんな必要はないとは思うが。


「よっ、と」


 ゆっくりとした動作で、刃が円を描く。どうしてそれで切れるのか、不思議なことに檻は檻でなくなった。


「久遠くん、出口は探せるよね」

「え。ええ、それは。国分さんは行かないんですか」

「あたしはちょっとね。人を探してて」

「手伝いますか」

「ううん。あたしのけじめだから」


 国分さんから行方をくらますとは、ただ者ではない。そんな相手をどうして探すのか、やはりいい意味にも悪い意味にも取れてしまう。


「国分さんが裏切ったんじゃないかって、外では言われてます」

「あー、やっぱりそうなっちゃう? でもねえ、まだあたしにも分かんないんだ。はっきりしないから、いま説明もしてあげられない」


 どうしてこう、手練れの人たちは感情を読ませないのか。それが基本とは分かっていても、そう言いたくなる。

 きっぱりそうと言われては、食い下がってもどうもならない人だと僕は知ってしまっているのが、また腹立たしい。


「そうですか……」

「さ、急いで」


 国分さんの目が、萌花さんに向いて笑う。萌花さんもそれに答えて、なにやらとても緊張したようにお辞儀をした。


「久遠くん。いい子でしょ」

「はいぃ」

「行きなさい」


 言いながら、国分さんは腰に括り付けていたらしい物を萌花さんに手渡した。彼女の巾着袋だ。でも取り返せたのはそれだけで、僕の刀はないらしい。

 見送ってくれる姿を何度か振り返りつつ、僕は走る。呼び出した、道読みの蝶を追って。

 そして気付く。どうして知っているのか。この巾着袋が萌花さんの物だと、なぜ分かったのか。

 もう一度振り返ったそこに、国分さんの姿は既になかった。

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