幕間

第36話:昏キ処ニ昏キ見通シ

 長身の女。黒に近い濃紺のスラックス、白いシャツに、やはり濃紺のベスト。ゆったりと前の開いた濃紺のロングジャケットを羽織り、腕組みが勇ましい。艶のある黒い髪は腰近くまで伸びて、丁寧に白い布で纏められているところに、彼女の本質が窺えた。

 対面する男は女よりも、さらに拳ひとつほど背が高い。上から下まで女と同じデザインの衣服、黒い長靴ちょうかを履いて、異なるのは互いの佩く刀くらいだ。

 両者の横顔にはしばしば、色とりどりの光が照らす。


「外の判断は、久遠くんから聞いたけど。四神、あんたが来たってことは、そういうこと?」

「やあ、久遠くんを助けてくれたのかい? あれは僕も、不意を衝かれたよ。まさか張り巡らされた根を二重にした落とし穴なんて」

「霊を見て判断する纏式士の、弱点かもしれないわね。生き物の向こう側は、見えにくいもの」


 二人は防塔の司令室に立っていた。正面の壁には、どこかの市街が映し出されている。一箇所ではなく、六十四の小さな画面と、中央の大きな画面が一つ。

 それらを見るのに最も良いポジションにあるのは、司令室長の席。ふわふわと柔らかい座り心地で、足腰への負担の少ない高価な椅子。そこにも一人、若い男が座っている。


「僕は別に、そういう仕事を請け負ってるわけじゃないよ。でも君を相手にするとなると、誰でもというわけにはいかない」

「あたしのは、決定事項?」

「そんなことはないさ。事情も聞かずになんて、僕がそんな非道に見えるかい?」


 若い男は、監視映像に見入っているように見える。幼い子どもが、変身ヒーローに声援を送るような顔つきで。男と女は示し合わせたわけでなく、その横顔に視線を向けた。

 女は少し疲れたように。男は僅かに笑むように。やはり同じタイミングでため息を吐く。


「あんたは、何者にも見えないのよ」

「そうだよねぇ? 世の中は、勘違いに満ちているよ」

「あんたが先々代、遠江久流くりゅうを殺したことだけは、勘違いじゃないけどね」


 女は五色に彩られた、しかし艶を抑えた鞘を握って太刀を抜く。それを見た男も、ならばと自身の小太刀を抜いた。こちらの鞘は、無垢に暗い薬剤を塗っただけのような素っ気なさだ。


「やってはいけなかったってこと?」

「まだあたしのけじめが終わってないの。それが終わってからなら、好きにしなさい」

「それを待つより、僕が直接聞いたほうが早いと思うんだけどねぇ」

「あたしは初手の総代なのよ。総てを代表するからには、総てを見届けるのもあたしなのよ」


 前触れもなく、二人は駆けて彼我の距離を詰める。同じに突きを構え、同じに喉元辺りへそれを放つ。

 すれ違い、振り返る。と、足元に倒れ込む。それはその二人の身体ではなく、つい数瞬前までは気配のなかった男が二人。


「それを待つくらいの堪え性は、あるつもりなんだけどねぇ」


 律儀に布で、刃を拭う男。対して女は、空を切らせて血を飛ばした。


「あたしは秘密主義なの」

「だからこうやって話がややこしくなったって、気付いてるかい?」

「ああ……」


 二人の話している間に、画面に映る街は刻々と姿を変えていった。道行く人が突然に穴へ埋まり、機嫌良く鼻歌交じりの料理をしていた女性は黒い影に飲まれた。

 這い回る蛭のような――木の根に反応した自動砲塔は粉砕され、作動した防壁も粘土細工のように押し潰される。

 運悪く上空に居た鳥を含めた、動物たち。草も花も木々たちも。生命力の弱い彼らは、根の纏うどす黒い煙のような物に触れただけで地に伏した。それを丁寧に舐め取って、茅呪樹は膨れていく。


「言い方を変えるわ。あたしはね、テーブルに落としたアイスも、舐めて食べたい派なの。あんたの二つ名、誅殺なんて御免なの」

「物を無駄にしないのは、いいことだね。でもその為には、普段からテーブルを綺麗に磨いておかなきゃ」


 正面を避けていた二人の刃先が、また互いに向けられた。男が「本気?」と問えば、女も「そっちがよ」と返す。

 大きな画面に映った、街の中央にある建物。街のどの建物よりも高く、直線だけで造られた姿は見る者に威圧感を与える。

 いかにも堅固な要塞という風のそれは、いとも簡単に、貫かれた。

 構造の中央を、下から上へ。まばたきを三度か四度ほどする間に、急速に伸びた樹木によって。


「よしっ!」


 画面を見ていた若い男は、満足げな表情から歓声を上げた。

 崩れ落ちかけた壁が、逆回しに元の位置へ戻っていく。それが接着剤であるかのように、暗い色の血管が張り巡らされていく。巨大な建物を茅呪樹が喰らう様を、若い男は喜々と眺めている。


「お手並み拝見」

「つまらないものだよ」


 先に仕掛けたのは、女。いきなり刃を返し、突き切りの構え。突進と共に切り上げが男を襲い、半歩で避けた脇を横へ薙ぐ。

 男は抜いていなかったもう一本の小太刀で、これを弾いた。女の力を上に逸らさせ、体重移動を遅れさせる。

 それが狙いではあったが、叶わぬ願いとも知っていた。國分の跡継ぎともあろう人間が、力で振り回すようなことはしない。ほんの少し、なんらかの隙になれば儲けものだ。

 いや、女は態勢を崩した。受け流すのでなく、弾いたのが予想外であったか。たいを戻す為に顎を引き、脚にも余分な力がかかっている。

 紛れもない好機。遠ざかる上体は無理でも、大腿の動脈、膝、踵の腱、体重のかかった右脚ならどこでも狙い放題だ。

 だが男はそれらの機会を捨てて、間合いを取った。半歩よりは遠く、一歩には満たないほど。その鼻先を、女の左脚が通り過ぎていった。


「さすがに見え見えすぎないかい?」

「そうね。でも男って、目の前の物を我慢出来ないでしょ?」

「あはは、それは否定できない」


 二人はまた同じように、大きく息を吸って、吐いた。最初の距離へと間合いを離して、達人同士の演舞のような技を繰り出し、その陰で陰湿な搦手を応酬した。

 決着がつくころ、画面の中の街に生きた者は誰一人、見えなくなっていた。中央に映る建物の中に、なにか機械的な赤い光が強くまたたいているだけだ。

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