第34話:出遭ヒハ災厄ノ如シ

「僕があの人と出会ったのは、三年前です。ちょうど萌花さんと同じで、新入隊式に僕一人でした」


 その数年前に父を亡くし、母親は五つか六つのころに亡くなっている。そんな僕が纏占隊に入ったのには色々な理由があるけれど、一つ大きいのはやはり、偉大な父と同じ道だからだ。

 そう言うと萌花さんは、両親が既にないことに反応しつつも、「三年前べが?」と最も時期を気にした。


「ええ、そうです。その時は今と同じく、僕の腰には二本の鞘がありました」


 無意識にその鞘をポンと叩こうとして、空振りした。立場の気まずいその手を眺めつつ、意味もなく握ったり開いたりしてしまう。


「今は影も形もありませんでしたね――まあともかく、紗々を封じた織南美と、もうひと振り。万央が」

「その万央ってば、なんだかあっただが」


 気まずそうな顔をしながらも、萌花さんは臆さず聞いてくれる。話したくないわけではないが、話せば思い出してしまう。その時の光景を。だから先を促してくれるのは、とてもありがたい。


「そうですね。万央に封じられていたのは、絽羅ろら。父が打ち、父が封じた式刀しきがたなです」


 式徨は、刃の付いた鍛錬した鋼にしか封じられない。そういう品を鍛えられる職人を、式打しきうちと言う。

 魂を封じるには当然ながら、魂が見えなければ無理だ。だからまず、纏式士と同じ素養を持った人でなければ、式打ちにはなれない。でもその両方を同時にやる人は、それほど多くない。どちらもどれだけ時を費やしても、これでいいという域に達することなどないからだ。

 だが纏式士をやっていると、より自分に合った式刀、式徨が欲しいと考える。その意味では、自分で打つのが理想ではあるだろう。もちろん式打ちとしての腕が、それに見合うほど上がれば、だが。


「父は、子の僕が言うのもなんですが、纏式士としてとても優秀でした。先々代の纏占隊統括を務めたのも、父です」

「はあぁ。そいだば、たいした偉え人だはんで、久遠さんだばあでになるべな」


 なんだか分からなかったので聞くと、「頼りになると言ったであります」と、答えがあった。全然全く、そんなことはないのだが。

 そうなりたくて頑張っているつもりなのに、多少の知識や経験を得るごとに、遠ざかっている気にすらなる。


「いえ、僕は。でも父は本当に凄かった。荒増さんの前には、僕の父が当代最強と呼ばれていました」

「だば、まさか……」

「いやいや。それは、さすがにないです。父を殺したのは、荒増さんではありません」


 あの人がやったのは、違うことだ。その時の光景を思い出すと、怒りとか悲しみとかを超えた真っ黒な気持ちになる。

 あの時、その直後に自分がなにをしたのか、僕は覚えていない。気が付くと僕はぼろ雑巾のようになっていて、荒増さんも浅くない傷をいくらか負っていた。


「荒増さんがやったのは――奴は、絽羅を殺しました」

「…………絽羅、て。式徨だったべが?」

「そうです。ええ、分かっています。式徨である以上は、一般に言う命を持ってはいなかった。でも彼女は、父を亡くした僕に寄り添ってくれた。二人目の母のような存在だった」


 口に出すと、やはり気持ちが沈む。歪んだ熱が湧き上がって、あの人を破壊したくなる。

 ダメだ。それは無理だと悟って、盗めるものを盗み取ろうと覚悟したはずだ。いつかあの人が、老いて衰えてからだっていい。何十年かかろうが、あの人に自分のしたことを悔やませる。そう決めたはずだ。

 今じゃない、今じゃない。怪しげな呪文のように、心の中でそう唱え続ける。それでも力が余って、左手の触れた檻の一部を握り潰す。


「――式刀は、式徨の命数そのものです。式徨が滅びなければ、式刀は折れない。式刀が折れなければ、式徨は滅びない」

「んだすな……」

「それをあの人は、折った。新入隊員の適性を見る審査でです。たしかに僕も、なんのためにやるのかと口答えしました。でも、だからって」


 その上に、「せいぜい血を流せ、気を散らせ。お前に出来ることは、その程度だ」などと、わけの分からない挑発までした。

 なぜ折ったのか。そんな必要がどこにあったのか。その問いにも、「知らないお前が悪い」と。


「なんとしたべが――」

「その答えはいまだに分かりません。絽羅と万央は父から譲り受けた形見であり、僕個人に取ってもとても大切な存在でした。それをあの人は、奪ったんです」


 その事実があって、当時の統括は僕を荒増さん付きに決めた。毒を薬としたかったのか、朱に交わらせようとしたのか、それも不明だ。

 そんなことを「なんだか分からないことだらけですね」と言ったら、萌花さんは「んだんだ」と妙に納得した様子で深く頷いた。それがとても可愛くて。いや年上の女性にそんなことを言っては失礼かもしれないが、でもそう思って、気持ちが和んだ。


「おら頭わりがら、分がんねごどしかねえべ」

「そんなことはないと思いますよ」


 なんとか笑みを作ると、萌花さんも苦笑を浮かべた。


「今は笑えねでも、久遠さんは強えべ。強ぐねでは、荒増さんと一緒に居られねべ」

「いや――それも父のおかげなんですよ」

「なしてだ?」


 纏式士の実力はともかく、精神的に強い。せっかく慰めてもらったのではあるが、受け入れ難かった。事実、【教えに忠実であれ。正しさに従順であれ】という父の言葉に従った。いやさ縋っていただけだから。

 それではなんだか、誰かの成果を奪っているようで。父の偉大さを自分のものとしているようで、心苦しい。

 そう告げると、「そいだば、難しな」と萌花さんを困らせてしまった。僕は質問に答えただけで、答えるなら正確にと思っているだけで、困らせたくなどないのに。


「あ、えと、そうだ。そのころに話しかけてくれたのが、国分さんでした」

「んだすか」

「あの人も最初がそれか、って思いましたけど」

「なんて?」


 話題を変えようとして、思わず言ってしまった。でもこれは、気軽に女性に話していいものなのか。ここまで言えば、もう他のことにすり替えることも難しい。


「ええと……その、『あたしと寝てみる?』って」

「長まらせば、楽だべな」


 その時の僕はまだ、十三歳だった。そんな子どもを相手に、いい大人が言うことだろうか。今はもちろん、突飛なことを言って気を紛らわせようとした冗談だと分かる。

 でも当時の僕は、それなりに悩んだのだ。なんと答えるのが正解か。もちろんその部分は、萌花さんに言えるはずもないけれども。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る