第8話:道ハ己ガ心ニテ拓ク

 息を吐き尽くしたところから、さらに素っ頓狂な声を上げた反坂さんは、呼吸のタイミングを誤って軽く咽た。


「大丈夫ですか?」

「だひっ、だ……」


 大丈夫と言うのを諦めて、反坂さんは手を上げてその意思を示す。だからもう少しだけ待って、僕は話を進める。


「次はどうしろとも、どうするなとも言いません。相手は危害を加えようとするので、自分の判断で対処してください。いいですか?」

「しっ審査は済んだんじゃ――」

「さっきのは反坂さんに、最低限の身を守る能力があるかを見ただけなんです」


 ようやく治まったらしい反坂さんは、最後にもう一度咳払いをした。


「入隊式は儀式で、その中に審査があるとは聞いていないであります。こちらの思い違いでありますか?」


 またどこかで聞いた覚えのある質問。堪えようとしたけれど、表情に苦笑が滲み出てしまった。


「おかしな質問だったでありますか」

「いえおかしくはないですよ。今日は儀礼的な式典と、面談としか予定をお伝えしていないはずです」

「そうであります」


 疑問も言いたいことも良く分かる。聞いていないから取りやめろ、とかではないはずだ。

 持参した手荷物さえ預けている、せめてその中にある愛用の道具くらい使わせろと。言っておいてくれれば、その用意も心の準備もしてきたのに、と。


「笛を取りに行かせてほしいであります」


 やっぱりだ。


「いえ、この審査は――」

「気に入らねえなら、今すぐ帰りな」


 今日はセリフをよく遮られる日だ。今度は誰がなどと考える必要はなく、傍には他に荒増さんしか居ないし、こんなことを言うのもやはり荒増さんしか居ない。


「これから先。お前が道を歩いてるだけで、いつ、なにが起こるか分かったもんじゃねえ。その時お前は聞いてなかっただの、道具がなかっただの言って許していただくのか?」


 反坂さんは元々伏せ気味だった顔を、完全に足元に向けて沈黙した。


「準備してねえ、経験がねえ、体調が良くねえ。そういうのを言いわけにするなら、それはお前の弱みだ。弱みはつけこまれると思え。弱みはつけこまれて当たり前。弱みなんざ、持つ奴が悪い」


 伏せられた顔の辺りから「ふぎゅ……」と声が漏れた。荒増さんの言葉に間違いはないけど、新入隊式のさなかにそこまで言わなくても。


「必要な時に、必要な強さを持ってねえ奴。持ってても出せねえ奴には、なにも言う資格がねえ。それが纏式士だ」


 反坂さんは崩折れるように、その場へ座り込んだ。正座に近い格好で折りたたまれた、膝の上に乗る拳が小刻みに震える。

 その言葉に訂正すべき誤りはない。でもさすがにこれは――。「荒増さん」と、反坂さんとの間に割り込んで、頭を下げた。


「ああ?」


 僕のほうへ向けられた荒増さんの顔に、特別これという感情はない。怠そうな面倒くさそうな、普段の荒増さんだった。


「審査は棄権だな。お疲れさん」

「えっと、それは……」


 僕の発言など待つ様子もなく、荒増さんはもう少しだけ待って、返事がないことを確かめると、控室のある建物の方向へ歩き始めた。

 なんと言って引き留めるか。考えてみたけれど、この後の進行的に荒増さんが直接なにかをする出番はない。

 それでも普通はこの場の責任者として、おとなしくお飾りになっているものではと思う。けれども、この状態で俺が居る意味なんかあるか? などと考えているに違いないし、事実そうだとも思う。「気を取り直して入隊式を進めましょう」などと言ったところで……。

 反坂さんからしてみれば、疑問に思ったことを質問しただけで、その場に居るいちばん偉そうな人が帰ってしまうなんて予想だにしていなかっただろう。

 不躾だったことは否めないけれど、これが当然の結果とは言えない。

 当人は座り込んだまま、呆然と荒増さんの背中を見送っていた。その横顔はとても素朴で、悲劇のヒロインがお似合いとは全く思えない、温かい表情を持つ少女だ。


「反坂さん、とりあえず立ちましょう。汚れますよ」

「――不合格? クビ?」


 僕の言ったことには答えず、反坂さんは呻くように言った。僕に聞いたのでなく、独り言というか、内心が漏れ出た言葉だと思う。


「大丈夫ですから。幸い、今日の新入隊者は反坂さんだけだし、もう一度審査をしてくれるように頼んでみましょう」


 気休めではなく、少なくともクビということはない。行われようとしていたのは採用者に対する詳細な審査であって、採用基準の再確認ではない。

 ――のだけれど、このまま棄権ということで荒増さんが報告をすれば、もちろんその内容にもよるだろうけれど、良い結果が待っているとはお世辞にも言えない。

 どんな閑職に回されるか。そう思うと、やはり僕の言葉には答えずに「はあ……」と息を吐いている反坂さんに、盛大な励ましをするのも憚られた。

 どうするべきか少し迷ったものの、ショックが大きそうな反坂さんを動かすよりは、荒増さんをどうこうするほうが簡単かもしれない。

 簡単でないにしても、荒増さんがこの場を去ってしまえばどうすることも出来なくなるのだから、まずは立ち止まってもらうことだ。


「荒増さ――あれ?」


 荒増さんはグラウンドに付属する建物の、出入り口前で立ち止まっていた。あの人に限って、そこで引き止められるのを待っているなんてことは有り得ない。なにをしているのか、目を凝らした。


書留かきとめの人、かな?」


 荒増さんは誰かと話しているようだ。今日この施設内に、纏占隊と無関係の人は居ないはずだが。

 このタイミングで見覚えのない関係者ということは、塞護支部のここへ来る予定のなかった人だと思う。それがどうして、やってきたのか。

 反坂さんはまだ、どうしたものか動揺したままだ。だから「待っていてくださいね」と声をかけて、そちらへ向かった。

 相手の腕に、緑色の小さな腕章が付いている。それは纏占隊では通信や連絡を主任務とした事務方、書留の印だ。


「どうしたんです?」

「至急、支部施設へ移動をお願いしたく」

「だから、なんでだって聞いてるんだよ」

「新入隊式の途中でですか?」

「それは移動後にお話しますので……」


 なにか緊急の事情があるのは分かる。でもその書留さんは、それ以上を言う気はないらしい。その人の意図がどうこうより、不用意に言うなと命令されているのだろうけど。


「ええと、移動したほうが?」


 どうしたものか、荒増さんに指示を求めた。僕との間に指揮系統なんてものは存在しないけど、方針くらいは聞いておくべきだろう。

 だが荒増さんは答えず、視線をいくつかの方向に、ちらちらと向ける。それからおもむろに、鼻で笑って言った。


統括とうかつやら総代そうだいやらが居なくなった。つまり、かなりまずいってことだ」

「…………私は事情を存じません。しかしお早く」

「よし」


 荒増さんの言葉を、書留さんは否定も肯定もしなかった。でも答えるのには、たっぷりの間をかけた。なにも知らない人間に、その間は必要ないはずだ。

 統括とはその名の通り、纏占隊の全てを統括する立場。その人がここへ来ていて、慌ててどこかへ行った。

 それが事実ならば、きっと荒増さんの言うとおりに相当のなにかが起きている。だとしたら、こんな問答をしている暇はない。書留さんの求めに対して、答えは一つしかないはずだ。


「分かった、断る」


 その一つとは反対のことを、荒増さんは口にした。

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