第3話:甘味喰ラフ荒増也也

 荒増さんの私室。その扉の前に立つと、手が震える。いつもそうなると、腰に二本ある刀の鞘のうち、長いほうの柄を握ってどうにか治めた。荒増さん付きである限りは、何度だってここへ来なければいけないのに――困ったものだ。

 意味なく、はないが。乱れてしまった息をようやく整えて、ブザーのボタンに触れても返事がなかった。


「居ると言ったのに。またですか」


 実は昼寝をしているだけかもしれないけど、応答がないなら同じことだ。ブザーの下にある認証用の輪に手の平を押し付けた。

 手でなくても、ゴムボールくらいの範囲を触れさせれば身体のどこでもいいらしい。毛細血管とか神経とか、そういうもので個人を識別しているようだけど、機械は得意でない。


「またですか……」


 音もなく扉が開いて、廊下から見えるだけでも室内の惨状にため息が出る。あの人は私物なんてほとんど持ち込んでいないはずなのに、どうして毎回散らかっているのか。

 文句を言っても片付かないので、黙って手を動かす。そうだそうすれば、どうという作業ではないのだ。


「あの、ものぐさめ」


 言ってしまった。

 物が少ないだけに、片付ける気になれば数分で綺麗になった。しかしそれでもこの部屋の主が帰ってこないので、事務作業でもしていることにする。

 剣帯を外して、そっとソファに。刀とは別に吊るしてあるポーチから、マシナリを取り出す。

 正式な名称は【纏式展開支援用多機構型演算機】というのだけれど、長ったらしいので誰も言わない。大抵の人はマシナリか、演算機と呼ぶだろう。

 纏式士と開発に関わる人間以外は、触れただけで罪に問われるこの小さな機械。僕のこの板かまぼこにも似た普及型でさえ、百万圓以上もするそうだ。


「ええと、これだったかな」


 適当に空いている壁に向けて操作すると、メニュー画面が表示される。その中から、出かけていた時に受け取ったデータを呼び出した。

 ちなみに映像が出てくること自体はマシナリでなく、壁というか建物の機能だ。


「新入隊員名簿は――」


 マシナリの向きや高さを何度も変えて、やっと目的の画面が表示された。同じことをするにも、荒増さんなら一瞬だっただろう。僕はこういうのが苦手なのだ。

 さて名簿と言っても、名前はひとつしか載っていない。名前だけは既に確認した、反坂さんだ。

 無意味に並べられたような、十七桁の文字列は彼女の隊員コード。それを選択すると、彼女の経歴が表示される。


「へえ、歳の割りにたくさんある」


 こんなことを言うとき、大抵の人は自分が最年少だとか、おまえが言うなという事情を忘れているものだ。

 いやでも実際に、反坂さんの経歴はたくさんあった。ただ僕の権限では、各項目のタイトルすら伏せてあるけれど。


「お、年末のはらえに出てる」


 それだけはタイトルが表示されて、映像も添付されているらしい。まあ入隊が決まった人の事前研修みたいに、任意で参加させるものらしいから当たり前ではある。


「笛を使うのかぁ」


 大きな茶色い帽子を被った、小柄な女性。年齢よりも、少し幼く見える。

 デモンストレーション的に、簡単なのを撮らせてくれとでも言われたのだろう。左手だけで横笛を構えたまま、もう始めていいのかみたいなことを聞いている。音声は入っていないので、推測だけど。

 右手には纏式士らしく小刀を握っている。刃物以外の道具を使う人も珍しくはないけれど、わざわざこういう映像で残させるのは稀有と言えた。これだけでも、彼女の笛はさほど意味を持っていないか、これ以外に技を持っていないかどちらかと判断出来るのだから。

 彼女が笛を吹くと、身体の周りに小さな光が舞い始めた。少し引きの画なので、それがなにか判別するのは難しい。

 光は彼女を中心に三、四歩の距離で降り続ける。そこにたまたま入り込んだ雑多な存在――一般に言うところの低級霊が浄化されて消えた。

 それから数十秒ほども続けた彼女に、疲労の様子は全くない。これなら新人として、なかなかの実力ではないだろうか。


「もっと広くてもいけるなら使えるな」

「わっ!」


 見入っていたとまでではないはずなのに、いつの間にか後ろに荒増さんが立っていた。驚いてほんの少し声を上げた僕に、腹立たしくも敬愛すべき先輩が苦情を言う。


「んだよ、うるせえな」


◇◇◆◇◇


 さらさらと流麗な音が、木べらの動きによって奏でられる。

 本物の木で出来ているのを見て「こういうところにお金を使うのが粋ってもんよね」とは、荒増さんのすぐあとに部屋へ来た国分こくぶんさん。


「なるほど、それで?」


 今の一口でカップを空にしてしまった彼女は、悪戯っぽく言った。僕はそのカップを受け取って「これの話をして別れました」と、役目を終えたカップをゴミ箱へ捨てる。

 言っているのは、先ほど僕が捕まった仙石さんの件だ。


「これって――ああ、パッケージね。たしかに野郎が持って歩いても、似合わないよね」

「そうなんです。ご婦人のお使いとは感心ですねなんて言われたので否定したら、何だかひどく嘆いてどこかへ行ってしまいました」


 男子たる者のすることではない。とまで言っていたとは、女性の国分さんにさすがに言えない。


久遠くおんくんもお使いだからって、新人の失望まで買わなくていいのに。ごちそうになってるあたしが言えた義理じゃないけど」

「まったくです。苦情は当事者に、直接言っていただきたいものですね」

「ああまったくだ、まったくだー」


 相槌なのか鼻歌なのか分からないことを言いながら、国分さんは保冷容器の中から次の獲物を物色し始めた。

 細身で背の高い彼女がそうしているのを見ると、細かい仕草から「やはり女性だな」と思ってしまう。

 いやこれはバカにしているのではない。例えば彼女は、普段廊下ですれ違う時など颯爽と風を切って歩く姿が様になっていて、女流歌劇の男役を彷彿とさせる。今だって傍らに立てかけている彼女の太刀が、その感想に拍車をかけているくらいだ。

 しかし今しがたのように甘い物を求めてしなやかな指を繊細に動かして、それでいて両膝を品よく揃えて崩さない、なんて女性らしい場面にはあまり遭遇しない。

 だから新鮮さを感じるのだけれど、考えてみれば女性だから甘い物を求めるなんて言ってしまうのは偏見だなと自戒する。

 そんな女性としては決して小さくない国分さんの背中側から、猛烈な勢いで繰り出される蹴り脚が襲い掛かった。


「当たり前に二個目を食おうとするんじゃねえ」

「ひどいわね。やっと買えたアイスを落としたら、どうするの」


 蹴りは確実に後頭部へ入ったはずなのに、国分さんはまったく動じず次のカップを手にして蓋を開けた。あれは柚子味だろうか。


「だからそれは俺のだ」


 この部屋の主。アイス、ではなくシャーベットの入手を僕に託けた元凶であるところの荒増さんは、今から食べる分と思われるカップを三つ取り出すと、保冷容器を全て別室の冷凍庫に持って行ってしまった。


「アイスを買ったくらいでバカにされて苛つくのは分かるけど、折角なんだから仲良く食べましょう」

「ちっ!!」


 戻ってきた荒増さんにかけられた言葉は、盛大な舌打ちを引き出した。ちなみに僕は一個も貰っていない。


「これはシャーベットだ。うまい物を食うのに男も女もあるか。そんなもん、気にするほうがおかしい。俺が苛ついてるとしたら、誘ってもねえのに食ってる奴が居ることにだ」

「細かいことは気にしない。禿げるよ」


 こういう時の国分さんになにを言ったところで、疲れるだけなのは荒増さんがいちばんよく知っている。それでももう一度舌打ちだけはして、二つ目のカップに手を伸ばした。この人は筋肉の塊みたいな見かけによらず、相当な甘い物好きなのだ。

 それはこの人の膝の上を見ても分かる。そこには残り二つのカップが乗せられて、飢えた狼ならぬ国分さんの魔の手から守っているのだろう。しかし問題はそこではなくて、カップを取り巻く空気のほうだ。

 耳をすますと微かに聞こえる、空気中の水分が凝結して結晶になる音。気流が生まれて、カップを中心に渦巻く音。なんの障壁もなく閉ざされたカップの周囲が、より一層に凍えていく。

 そこまでしなくてもと思うし、以前に一度同じような光景を見かけて言ったこともある。

 曰く「食い終わってから次のを取りに行くと、口の中の余韻が消えちまう。二つの味が混ざり合うのも、タイミングによって毎回味わいが違う」のだそうだ。

 嗜好の問題は当人以外には理解不能なことが多いと言うけれど、まさしく僕にはさっぱり分からなかった。

 ともかくも、そんな価値観がシャーベットをして他人の後頭部に蹴りを入れる程の執着を生む、ということらしい。


「でもよく買えたね。半年待ちとかでしょ?」

「ええ、三カ月くらい前に荒増さんが予約してたそうです。仰るとおり、今はもっとかかるみたいですが」


 このシャーベットは、高周波で途轍もなく微細にした果汁などを凍らせた物だ。少し前にテレビ番組で取り上げられたらしい。

 それ以来、肌に良いとかなんとかいう触れ込みが広まって、それまでも人気商品だったのに輪をかけて入手困難になったと聞いた。

 

「仙石くんも呼んであげれば良かったのに」

「いやいや。あれだけ言って、食べるとは言わないでしょう。それに、もし食べると言ったとしても――」


 そこまで厚い面の皮をしてはいませんよとも思いながら、ちらと視線を向けると、荒増さんは「ああ?」と、いつもどおり機嫌悪そうに答えた。


「いいんじゃねえの? 食うのは一個だけで、『いただきます』と『ごちそうさまでした』って言うんなら」

「あら。まぐれでも自分に勝った相手には、敬意を表するんだ?」

「誰に食わせるのも、てめえに食わせるよりマシだって言ってんだよ」


 どこがツボだったのか、国分さんはしばらく、うひゃひゃと笑い続ける。けれどもそこまで突っ込んだ話になったのならと、気になっていたことを聞くことにした。

 僕がシャーベットを、ひとつも貰っていないことではなく。

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