勇者と魔王が手を組んだなら、世界だって簡単に滅びてしまうだろう
イプシロン
1
「なるほどな。俺はどうやら嵌められたらしい」
魔王城の最上階、物見櫓のような塔の窓から下層の景色を見下ろして、俺は深々と溜息をつく。
今魔王城の周りは、皇帝が差し向けた何十万もの軍勢によって蟻の這い出る隙間もないほど覆い尽くされていた。
「お前はこの展開が分かっていたのか? ええ、魔王さんよ」
俺は窓から離れ、目の前に血みどろになって倒れている魔王に目をやった。
この瀕死の魔王様は、今ちょうど俺の手によって撃破され再起不能になったところだったのである。
人々に魔王と呼ばれたその化け物は、漆黒の毛皮に全身を覆われた異形の怪物であり、今は両手両足に刃を突き立てられて身動きが取れなくなっている。
刃には教会でもらった魔を滅する加護がすり込まれているから、死ぬのも時間の問題だろう。
俺の名前は勇者アレクセイ。
魔族の侵略に苦しむ人々を救うため単身立ち上がり、魔王を倒すためこれまで旅を続けてきた流浪の一匹狼だ。
さて、今魔王城を取り囲んでいる軍勢数十万。
あれらは決して、魔王を殺すために集まっているのではない。
魔王をも打ち破る俺の強さを恐れた皇帝が、俺を殺すために集めた軍勢だ。
はっきりとそう言われたわけじゃない。
だが、未だ噴き上がる勢いで放たれる殺気の塊が、俺にそれを理解させる。
階下の連中は、魔王が倒されていることを知っているはずなのに。
「……」
戦いの中でぼろぼろになった相棒の片手剣を放り投げて、俺はその場にしゃがみ込む。
今まで必死になって戦ってきた。身に余る力を使って人の役に立つチャンスだと思って、一心不乱に頑張ってきた。
そうすれば、強すぎて社会から排斥されてきたこの俺でも、人々に受け入れられる存在になれると思ったから。
だが、ダメだった。所詮化け物は化け物。
どんなに人の役に立っても、最終的に排除されるという事実に変わりはないらしい。
そう思うと、今まで必死に頑張ってきたことが途端にアホらしく思えてきて、立つ気力すら湧かなくなってきた。
「もしかしたら、俺もお前も同じだったのかもしれないな、魔王よ」
返事など期待せず、独り言のような感覚で、俺は魔王に語りかける。
「聞くところによると、お前も突然変異で生まれた社会を乱す異分子だったそうじゃないか。それで人々に迫害されて、怒りから世界を滅ぼそうとした」
俺はそれでも歩み寄ろうと、人の刃となって戦う道を選んだ。
人と袂を別って対立しようとする魔王のことを、一時は愚か者だとさえ思ったさ。
だが今、役割は済んだとばかりに滅ぼされそうになっていることを思うと、魔王の選択の方がまだ何倍か賢い選択だったのかもしれない。
「今はお前に、奇妙な親近感が湧いてくるよ。なあ、刃を突き刺しておいて、こんなこと言うのは馬鹿馬鹿しいと思っているけど――――」
我ながら、卑屈なほどに感傷的だ。俺らしくもない。
だが弱った心が俺に堪えることを許さないので、俺の口からは自然と泣き言がこぼれ落ちてしまう。
「……出会い方が違っていたら、もしかしたら俺とお前とは、無二の親友になれたのかもしれないな」
「――――その言葉、本当か」
「!?」
不意に、声がした。
聞き覚えがないほど、柔らかで透き通った声だった。
それはまるで女のような……誰だ、この場に魔王と俺以外の誰かがいるのか。
「誰だ! 姿を現せ!」
高塔の上で声を張り上げても、応えるものは誰もいない。
ただ魔王の体が嗤うように揺れ動いただけだった。
「……おいおい、歴戦の勇者様がそんなに怖がるなよ。滑稽に見えるじゃないか」
耳を澄ませると、声が聞こえてくるのは魔王の体からだ。
まさか……これは魔王の声なのか!?
そういえば、今まで聞いた魔王の声は、どこかノイズがかかっていたというか、ちゃんとした声を聞いたことがなかったかもしれない……。
だが、ここまで甲高いとは思っていなかった。
「ひょっとしてお前、女だったのか?」
「さあてな。元の性別のことなど、とうの昔に忘れてしまった」
自嘲するように、魔王はくつくつと嗤った。
「今の俺に男も女もない。ただ人類を恨み、破滅に追いやろうとしただけの醜い化け物の成れの果てだよ」
魔王はどこから出しているか分からない声で、僕を誑かすように囁いた。
「醜いか。確かに何百年もそんな姿で生き続けたのは、醜いと言って差し支えないな」
「くくく、言ってくれるじゃないか。しかしお前の姿はどうなんだ?」
「なに?」
「俺は確かに化け物になった。だがお前は、化け物になることすらできなかったんじゃないか」
思わぬ視点からの切り込みに、俺ははっとさせられる。
「人の姿をした化け物が俺たちだ。たまたま人の姿で生まれてきて、なるべくして化け物になったのがこの俺だ。そして、そこまですら辿り着けず騙されて終わるのがお前だ」
俺たちは、元々化け物であるべき存在――――か。
暴論にも聞こえる言い様だが、今の俺には奇妙なほどにしっくりきた。
「俺を纏え、勇者よ」
「何を言っている? お前を纏うだと?」
「ああそうさ。俺をまとって――――いや、装備して。俺の力をお前のものにしろ。そうすれば、お前も化け物になれる」
「なんでそんなことをする必要がある」
俺が聞くと、魔王は愚問と言いたげに溜息をついた。
「俺の命は残り少ない。だがまだ魔力は十分に残っている」
魔王の強さについては執拗な程聞かされていた俺は、短期決戦を決行して抵抗させる間もなく魔王に魔法封じの刃を打ち込んだ。
だから魔王の中に魔力が残っているというのは、納得がいく話だった。
「対するお前は怪我こそないものの、精力はほぼ使い切っているだろう」
図星だ。
正直なことを言うと、万全の俺ならば十万の兵士相手にも逃げ隠れるくらいのことはできた。
だが魔王とその眷属を倒すために体力を根こそぎ使い切った今の俺では、あの大軍を相手に姿をくらますことはできそうもない。
目下俺が最も必要としているのは、十分な休養と栄養補給なのだ。
それを魔王から得られるというのなら、俺にとってこんなに美味しい話もない。
だが、分からないのは魔王の意図だ――――俺に手を貸して、こいつに何のメリットがある?
こいつにとって俺は、自分を滅ぼそうとした忌まわしき存在以外の何者でもないんじゃないのか?
「お前にとってのメリットはなんだ。俺と組んで、お前は何をしたいと思っている? 何が望みだ、言ってみろ、魔王」
「俺の目的? 簡単さ。俺は人類を滅ぼしたいんだ。俺を迫害し、こんな姿に貶めた人類の痕跡を、世界から一切合切消し去りたい」
恐ろしいことを言いながら、魔王は肩を震わせる。
「だが、そんなことは交換条件にならないだろう?」
全てお見通しと言わんばかりに、魔王がまたくつくつと嗤った。
少し癪な気持ちを抱えながら、俺は静かに頷いた。
「俺も同じ考えだからな」
「その通り。今や俺とお前は、同じ目的の為に邁進する同志だ。故に俺たちが手を結ぶのは、おかしなことでもなんでもない」
俺は立ち上がり、瀕死の魔王に手を伸ばした。
やり方を指南されたわけではないが、やり方は自然と頭に入っていた。
まるで、こうなるのが運命であったかのように。
「……くくく。さあ、俺を受け入れろ、勇者アレクセイ」
「お前を使うぞ、魔王」
俺が魔王の心臓部に手を当てると、魔王の肉体が瞬く間に霧のように透明に変わっていき、俺の体に吸い付いていく。
融合自体は、ものの数秒で完了し――――魔王の体は俺の目の前から完全に消滅した。
代わりに俺の体は、かつて魔王の体を覆っていた毛皮のようなものでびっしりと覆われ、目は獣のように血走って、体格はかつてより一回り大きくなった。
「まるで俺が乗っ取られたかのような気分だな」
壁に備え付けられていた鏡を見ながら俺が呟くと、体内に取り込まれた魔王の魂が震えるようにうなり声を上げた。
「だが、肉体の自由は全てお前のものだ、勇者よ」
「そうだな。そうでなかったら、俺はお前に騙されたと思うくらいだよ」
「悪い気分ではないだろう?」
「否定はしない」
俺は窓から勢いよく飛び出し、轟音を響かせながら城塞の外に着地した。
いくら生まれつき人間を超越していたとはいえ、流石にこの高さから落ちればかつては無傷ではいられなかっただろう。
眼前に並ぶ帝国軍の先鋒は、突然落ちてきた俺を見て戦きの声を上げる。
「……なんだ? 何が落ちてきた……?」
「魔王か、魔王なのか?」
「だがあの服装、勇者が着ていたものとそっくりだが……」
「何者だ! 貴様、名を名乗れ!」
名前? 名前だと?
「――――そんなもの、お前たちで勝手に考えろ」
怒りを表現するかのように、俺は全身に渾身の力を込めた。
すると大地を割る勢いで、俺の体から漆黒の瘴気が噴き出した。
空が震え、大地が泣いている。
目の前に現れた俺の変貌ぶりを恐れたのか、十万の軍勢の隊列が大きく歪んだのが一目で分かった。
「ゆ、勇者アレクセイが裏切ったのか!?」
「あの様子、明らかにおかしいぞ!」
何が裏切った、だ。先に裏切ったのはお前たちのくせに。
「ついに本性を現したな、化け物め!」
「殺せ、殺してしまえ!」
指揮官が軍配を振って、兵士達が一斉に俺を殺そうと走ってくる。
だが、滑稽なほどに緩慢だ。
そんなにもたもたと、へっぴり腰で迫ってきて、俺に一体何をするつもりなんだ?
岩も貫けないようななまくらの槍で、本気で俺を殺せるとでも思っているのか?
お前たちが持っている武器のうち、恐れていたのは数だけだ。
そして今の俺『たち』にとっては、『数』さえちっとも怖くない。
「――――死ね」
俺は何も握っていない右手を勢いよく振った。
すると魔力によって黒い刃が形成され、目の前の兵士達を軽々と吹き飛ばしていく。
闇に飲み込まれた有象無象の兵士共は、一瞬で肉を吹き飛ばされて塵と化していった。
おいおい、なんだこの反則級の力は?
魔王の奴、随分と凄い力を今まで一人で独占していたんだな。
「ひっ、ひいいいいっ!」
「勇者が、勇者が乱心だ! 逃げろおおおおっ!!」
俺に殴り返されると思っていなかったのか、あっさりと秩序を失って散っていく
逃げるだと? お前たちのようなクズどもに、そんな都合の良い落としどころが許されると思ったのか?
「逃さない、一人残らずな」
弓を引くような動きをすると、今度は手元の瘴気が弓と矢の形をなしていく。
片手の指をこすって弓を弾く真似をすると、柱のように肥大した黒い矢が逃げ惑う兵士達目がけて迅雷の如く射出された。
大地に着弾した黒い矢は、着弾地点を中心として大樹の枝のように広がると、兵士達の体を鎧ごと次々と串刺しにしていく。
やがて着弾地点からは幹のような柱が生えて、死体という実を付けた果樹のようなオブジェが一つ出来上がった。
血を滴らせながら曇天に君臨するその黒い大樹を見て感動を覚えるあたり、魔王を取り込んだ影響が強く表れているようだ。
俺がそんなことを考えると、魔王が頭の中で不満そうに囁いてくる。
「俺のせいにするなよ。惨景を見て興奮しているのはお前自身の感性だ」
「否定はしない。今まで散々、人間にすり寄ろうとしてきたこの俺だが――――今はあいつらを殺せることが、楽しくて楽しくて仕方がない」
再び別方向に矢を放ち、刹那に数百の命を刈り取る。
もう少し距離を詰めれば、もっと効率の良い殺し方だってある。
このペースでいけば、全て殺すのに一時間とかからないだろう。
「手始めに十万、一人残らず皆殺しだ。勇者アレクセイよ。魔王に堕ちる覚悟はあるか」
「魔王に堕ちる? 馬鹿言うな。俺はいつまでも変わらず勇者だ。勇者のまま、お前を纏って世界を滅ぼす」
馬鹿なことをと、魔王は嗤った。何が馬鹿だと、俺も嗤う。
「人類全てに喧嘩を売るなんて、これほど勇気ある行動も中々ないだろう?」
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