第2話 表現って難しい


 近所の水族館に行った。お目当ては「蛇に触ろう」だ。

 蛇って別に特別でもないもの(私は大の苦手)と思っていたのだが、そういう’うっかりすると出くわしてしまう系’の蛇とはちょっと違って、珍しい系の蛇だそうだ。

 私は前述した通り蛇は苦手で、その昔まあまあ田舎の近所に住んでいたがために、蛇に出くわすというのはしょっちゅうあった。

 稀に坂を自転車で下る時に、その坂を渡っていた蛇を踏んでしまうというアクシデントがあるくらい、割と身近なものである。

抜け殻もよくみたし、実物もよくみた。

書いていて若干の気持ち悪さが出てきてしまったが。。。


 息子はそんな私と真逆に育ち、蛇は滅多にみないものとして認識しているらしい。

 確かに私もしばらく見ていない。都会に住むというのは、なるほどそういうことなのか。

 虫好きの息子からすると、「蛇に触ろう」というのは一大イベントなのだろう、とても楽しみにしていた。彼にとっては親の意思などどうでも良いものであり、嫌だろうが苦手だろうがともかく自分が会えれば満足なのである。

 子供とはそいういうもので、できるだけ願ったことが叶うようにしてあげたいと思っている私である。


 ということで、冒頭に話が戻るが水族館に行ったのである。


息子は大好きな蛇を見て大興奮。飼育員さんに言われた通りに、優しく・ゆっくりと撫でている。

 私はそれを見て満足なのだ。満足顔で写真を撮っていたのだが、飼育員さんが要らぬ、いや、すごく気遣ってくれて言ったのである。

「お母さんもいかがですか?」

 飼育員さんに悪気はない。全くなく、むしろ「この子猫、可愛いんですよ、撫でてみませんか?」のノリで勧めてくれたのである。

 私にとっては子猫でもなんでもない、蛇だ。どう頑張っても子猫には見えない。

 躊躇する私に優しく言葉を掛ける飼育員さん。


「生きた財布だと思えば大丈夫ですよ!」

どうやって財布と思えようか。いいや、迷いを見せてはいけない!ここは生き生きと蛇を出してくれる飼育員さんに答えなければ漢(私は女だが)ではない。

 私は差し出された蛇を優しく丁寧に撫でた。蛇革の財布は買ったことも、もらったこともないが、きっと持っていたらこうなんだろうな、という風に感じた。おそらく。


 飼育員さんはにっこり笑って再び息子と向き合い、時間が来るまで蛇を撫でさせてくれた。


「生きた財布」この言葉、次に使うタイミングがあるのかわからないが、少なくとも私の心の辞書には登録された。

はて、いつこの言葉が生きるのかな。

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なめくじら 栗本燈火 @mihohoi0322

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