Chapter 5: お願い事はにこやかに

 フォルンでここ数年冒険者として活動してきた私も一応、乙女。


 白馬に跨り、百年分の口臭にビクともせずに口付けする王子など……少し位は異性との出会いを現実よりほんわかとしたおとぎ話思考で夢見るもの。


「なぜ、おひめさまはりゅうとおともだちにならないの?」


 三歳の私は祖父に聞いた。蝋燭の火が窓からの風でゆらめく。


「アンジェラは竜とお友達になったら何をしたいのか?」


「せなかにのせてもらって、おうじさまのおしろにあそびにいく!」


 祖父は苦笑いした。

「それだと王子様はいらないな」


 そんな私でも、お姫様抱っこされた次の瞬間に床に落とされる事は、かなり予想外な出来事だった。



「ーーもう、次々と何ですか?」


 乱れた髪をかきあげながら、私は目の前にいる全身黒づくめの男に文句を言った。確信していた。カラス型のマスクの下の人は絶対、


 あの人。


 魔石の爆発を抑えたとは言え、私をバスの中で馬鹿にした張本人。何故、一番会いたくない人に限ってよく遭うの?


 一見、眼の色だけで特定しても別人かもしれない。でも、赤はフォルンでは珍しかった。隣国のここボロンでもそう変わらないかもしれない。充血した目とは違い、瞳の周りの虹彩が赤い。ただ、あの時の出来事が衝撃すぎて顔がよく思い出せない。だから、彼の眼が私に印象を残した。


 岩壁から雫が滴る。


 霧が洞窟の中に立ち込める。


 そして、マスクの男は首を傾げて不思議そうに私を見つめる。


 私の顔に何かついているのかしら?


 すると、彼は喋った。

「隠そうとするのは趣味か? 何故、君は慣れていない事をする?」


 私は咄嗟に誤魔化した。

「えーっと。何のことでしょうか?」


 彼は私の足を指で差す。

「今、全身を捻りながら一回転して、両足で着地しただろう? 野良猫のように。ただのお嬢様だったら落ちただけだ」


 うっ。見られていた。


「足音も妙に静かだ。狩りでもしていたのか?」


 バレてるー!


 暗黒に近い色を纏った男は私の方に歩み寄ってきた。私は、無意識に後退りする。私より二頭分程背が高いので思ったより威圧感がある。壁から生えたキノコからの発光が青く照らすが、帽子の影でよく見えない。


「あの時、指輪を取ろうとしていたということは、通常魔法で対応していたのだろう。だがーー」

 私の指輪を指す。

「それを取るのは止めとけ」


 それは警告だろうか? 脅迫だろうか? そのささやきは、そこまで寒くもないのに私に鳥肌を立たせた。蛇に睨まれた鼠の気持ちが分かるような気がした。


 私は未だに蔦模様の魔法制御の指輪をしていた。赤色の魔石は禍々しく光る。一向に、私の魔力は止まったまま。


 改めて、この薄暗い空間を見る。上の機械が蠢く世界とは違い、ここはフォルンの森に似た感じがした。小川が何処かで流れているのだろうか?せせらぎが聞こえる。頭上のランタンや青白く光るキノコで輝く水があった。その間には白い丸い石で敷き詰められた通路があり、先の青白い金属の扉に導いていた。カビ臭くは無かったが空気はやや冷たく、水面から出た霧で湿気がこもっていた。岩壁が多いのか、土の匂いは少なめ。ここでもホタルの様な虫型の黄緑に光る機械が飛んでおり、ゆっくりと歩くには充分な明かりはあった。


「魔力なしではお前は何も出来ない。それでも、どうするつもりだったのか?」


 正に、彼の言う通りだ。あの時、魔法なしで私は何が出来たのだろうか。


 考える前に体が自然と動いていた。フォルンでは、魔法に頼り過ぎてしまっていた。肉体強化をする為の魔法。防御用の魔法。ボロンに入国する為に魔法制御のこの指輪を望んでいたものの、自分にとって当たり前だった物が急になくなるとその空洞を埋める物はなかった。


 私はため息をついた。

「分かりました。では、これを外して下さい」指輪をはめた左手差し出した。そして一応、付け加えた。「お願いします」



 一瞬、沈黙があった。



「君は、人の話を聞かない主義か?」

 それは若干、呆れ返った声のようだった。


 うん。気のせいでしょう。


 私は、上目遣いで答えた。

「いえ、二週間待つより側に詳しそうな専門家の方がいらっしゃると思って……」


 手っ取り早く済ませてしましょうね。


「外部の人間には、緊急か特別な許可無しでは出来ない。大人しく申請して待つのだな」


 うーん。例外は無いですか。


 彼はふいっと見上げ、物珍しそうに言った。

「君は気に入られているな」


 急な話題の変更に私は戸惑ってしまう。誰かに何か気に入られた覚えはないのだけど。

「どなたですか?」

「ここに住む妖精だ」

「……妖精?」


 それに答えるように、遠くから鈴のように軽く明るい笑い声が聞こえた気がした。


 彼によれば、この妖精は普段人前では自ら姿を見せない。時計の裏側に住む妖精。蝶々の羽根があるフォルンの森の妖精と似ているのかと思うと、小人に近いらしい。エルフの様に先が尖っている耳に小さな帽子をかぶっている。日頃から時計の歯車の油さしや修理を手伝ってくれる妖精だそう。



「殆どの来客を無視するが、君には挨拶したかったかもな」


 ブランコごと私を落下させようとした事が? そんな妖精が役所に住んでいるとなれば大問題では?


「あれが『挨拶』ですか?」

「彼女らにとって『悪戯』は親しみを込めた挨拶だ。そんな事も分からないのか?」


 口を開けたら悪口しか言えない呪い持ちでしょうか、この人?


「何の為に来たか分からないが、もう遅い。帰れ」


 今度は、門前払いです。


 私は両足を踏み直して、腕を組んだ。叔父が見てないからもういいですよね。


「残念ですが、私は来たばかりです」

「分かっている。ここは、令嬢ごっこする所ではないぞ」

「そうですか。では、私が素直に帰りますと言うと思いましたでしょうか? 私はフォルンからわざわざ汽車に乗って、マーカスさんに洞窟を案内して頂く為に来たのです」


 私はあえて叔父の事を隠した。あの口調だと環境省とはあまり良い仲ではないだろう。そんな時に叔父の名前を出すと更に嫌がられ厄介なことになる。


「……マーカス?知らないね。違う部署か?」

 私は落胆した。

「えっ?でも、マーカスさんだからこそ、ここの洞窟を上手に案内してもらえるとドゴグさんが仰ってましたよ」

「ドゴグ?あいつまだ生きているのか?」


 ははーん。私はわざと驚いたふりをしながら聞く。


「あら、お知り合いですか?」

「いや、知らない」

 即答だった。


 わかった。嘘。彼は嘘をついている。でも、なぜ?


 彼は話題をまた逸れた。

「帰れと言っても行くつもりはないのだな」

「当然です」では、最後の手段ですね。「先に謝罪させて下さい。これから実行する迷惑行為について申し訳ありません」


「はぁ? 」



 次の瞬間、私は目一杯力を込めて男の膝の側面を蹴った。


 だが、あっさりと流れるように片手で受け止められた。やはり、魔法なしだと手応えは少ないかも。



「離してください」


 彼は私の右足をぱっと離した。私は横に回転しつつ、ベルトの側面に忍ばせていた銀色の短剣を取り出し、前に構える。ドレスのスカートが後から追いつき、ふわりと落ち着く。



「お前から恨みを買った覚えがないのだが?」


 ガードに組紐の幾何学模様が彫られた短剣の先は相手の首元に向けている。


「いえ、『至近距離の異性に対して蹴るか頭突きせよ』との、叔父からの助言です」

「碌でもない叔父だな。そして更に刀剣所持か。このタイミングで強硬手段での突破か?」


 私は笑顔で答える。刃が青白く光る。

「お願いしても、無理でしょう?私には、二週間も待つ余裕などありません。私の名は、アンジェラ・エリス・スノウ。フォルンで冒険者として活動していました。オブディアンでの魔石発掘調査の許可をお願いします」

「却下。茶を楽しむ女のようににこやかに強迫されても無理だな」

「そうですか。では、仕方ないです」



 私は、左手を床に置いて、右手に持っていた短剣で勢いよく突いた。来る痛みに備え、目を瞑る。

 ーーが、痛みは来なかった。


 見ると、男が短剣を持ち、壁に投げつけた。ギンっと重い金属の音とともに壁に突き刺さった。


「え?」

 バターのようにあっさりと岩壁に入ったナイフを見つめる。いつの間に私の手から取ったの?それより、この人どんな馬鹿力を持っているの!



 私の両肩が掴まれた。

「ふぇ?」

 咄嗟に変な声が出てしまった。恥ずかしい。


「自ら指を切り落とそうとするのは、どういうつもりだ?」

 私は彼の反応で驚いた。何故そんなに焦っているの?私のこと知らないでしょう?それより、接近し過ぎ!


「あわわ、治癒魔法で治るので大丈夫かと」



 マスクの硬いくちばし部分がグイグイと私の額に触れる。

 痛い。痛いですってば。



「治癒魔法は、術師本人にはのだが」



 私は目を大きく開いた。

「……あら、そうでしたね」



 ため息が聞こえ、彼は私から離れた。

「そうか。そうか。君は例の問題児だな」彼が指笛を鳴らす。「では、多少手荒な真似をしても問題ないな」


 私は額をさすった手を下ろす。

「いえ、良くありません」


 何処からかすっと現れた機械式の犬。私はその大きさに驚いた。大型犬と言えるのだろうか?狼のようなその骨格は機械と思えないほどスムーズに動いていた。ブロンズ色の体についた両目にはオレンジ色の魔石が入っていた。


 指を二回鳴らすと犬の口から銀色の細長い物体が出てきて、あっと言う間に私の両腕と腰がグルグル巻きにされた。息を吸って緩めようとしたけど、ギチギチ締まって腕が抜けない。


 青い魔石がついたスネークチェーン。


 角度を変えてもがくほど、ムカデのように絡まってくる。


 何これ?反則です!



「ヴォルフ、連れて行け」

「えっ?」


 呆気にとられた私をそっと咥え、ひょいっと冷たい金属体の背中に乗せられた。尾をブンブン振っている所を見ると、この機械は喜んでいるのかしら?いえ、そんな呑気な事を考える暇はないかも。


 男は冷ややかな声で言った。

「強制送還だな」



 私の頭の中で簡単な公式が出来上がった。


 強制送還=叔父のリクエスト失敗=お見合い



「せっかくですが、遠慮させていただきます」



 その途端、奥のドアがバンっと開いた。


「マーカス隊長!バロン商会がまた誰かを送るって今連絡が!」


 急に現れた者はオレンジ色のセミショートカットの髪が似合う二十歳前半辺りの女性だった。だが、髪と同色の猫耳がピンと頭の上から見え、先だけが白いオレンジ色の尻尾がくるりんと腰の後ろから出ていた。白色の長シャツに茶色の短パンといい、今の寒い季節には不向きな薄着だった。胸にはたすき掛け風の茶色の皮のベスト。足には焦げ茶のショートブーツを履いていた。全体的にすらっとしたネコ属の獣人だった。


「ちっ」

 男の方から舌打ちが聞こえた


 先ほど現れた獣人は次の瞬間、驚いた様に口を両手で覆った。その割には妙に彼女の黄緑色の眼はキラキラと光っていた。



「わぁ、何の新しい破廉恥プレイですかにゃ?」



 その声で気づかされた。他人から見て私は今どんな様子なのか。カラスのマスクをした男。機械の犬。猫族の女。そして、拘束された少女。その光景は、異様そのもの。



「なななな、何でーー?」



 私の悲痛な声が洞窟内に響き渡った。

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黒き影は破滅を刻む ーー時計と魔石溢れる地下都市ボロンの管理人ーー オキアミ @Krill

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