茶部義春リライト集

茶部義晴

第1話 地べたをはいつくばってでも

掲載サイト 「小説家になろう」

作品名 「地べたをはいつくばってでも」

著者名 「渡会 宏」

https://ncode.syosetu.com/n0721fl/


――――――――――――――――――――――――――――

 【ペンギンフライト『リライト』】


 「また、来てしまったな」


 強い風が体を押す。

 何もないこの場所から耳に届くのは、うるさい風の音と激しく岩壁に押し付ける波の音だけ。

 

 ここは俺のフライトスポットだ。


 フライトといえばかっこいいイメージがあるが、俺のそれは他者が見ればかっこいいものではないだろう。

 ――紐なしバンジー。

 ただの飛び降りの様なものだ。


 父親がパイロットだという影響もあり、俺は子供の時から空に憧れていた。


 様々な表情をみせる空、流れていく白い雲。

 それを追いかけるのが好きで、広い空を自由に飛び回る鳥が羨ましかった。


 俺でなくとも、多くの人という種はそういう思いを抱いてきた。

 そしてその長い歴史の過程でウィングスーツやグライダーから飛行機まで、様々な空を飛ぶ手段を開発してきたのである。


 そして、その中で俺が敢えて選んだのが紐なしバンジーなのである。


 『人は飛べない』


 そう友達たちに散々言われてきたが、俺は当然それに納得ができなかった。

 俺はこの身一つで空を飛べると心から信じているのだ。


 『できないと言って諦めていたら、人は未だに木の上で生活していたのではないか?』


 そう諭してくる友達に言い放っては、俺は現実から逃げてきたのだ。


 俺は飛行前のイメージトレーニングで、空への熱い想いと反発されてきた過去を思い出す。

 胃がムカムカする欠点付きだが、これが勇気の一歩となる。

 

 「いざ、俺が飛べるようになったら『いずれできると信じてた、応援していた』なんて手のひら返しても許さんからな!」


 俺は更に自分自身を奮い立たせる決め台詞を叫ぶ。

 

 同じ年頃の友人がその年齢らしいことをしている間にも、俺は空を目指し死にもの狂いで努力を重ねてきた。

 その為の勉強から体を鍛えること、できることはなんでもした。


 その努力を滑稽などと笑うことは許さない。


 「飛べる! 俺は飛べる!」


 自分の心を固いものにするために声に出して宣言する。

 大きく深呼吸をし、空と同じ青色をした海の香りを胸に吸い込む。


 あのうるさい風の音も聞こえない。

 よし、集中できている。

 グッと握りこぶしを作り、重心を落として足に力を込める。


 恐れなどない。

 あるのは空を飛んだ後の俺の姿だけ。

 

 「おおおおおお!」


 追い風に乗るように俺は叫びながら大地を蹴り、遥かなる大空へと羽ばたいた。


 ♢


 「いちち……」


 全身を打ち付けた痛みが疼く。

 腕にできた青あざを擦る。


 「今日もダイブか?」


 登校してきた友達が呆れた顔で余計な挨拶をし、正面の席に腰掛ける。


 「ダイブじゃない、飛んでいたんだ。そこを間違えるな」


 それに対しいつものように否定する。


 「落下しただけだろ?」


 そんな俺をあざ笑うこいつ。

 いつか見返してやる。

 俺の決意がまた1つ固まった。


 しかし、現時点では反論できないのも事実。

 俺が沈黙すると肯定だと受け取られ、大きな溜息を1つ吐いて自分の席へと去っていった。


 ムカッとするが、気を取り直そうとバックからフライト日誌を取り出し、今朝のフライトの反省を書き込む。

 今日はいつも以上に集中できていた。

 それが仇となってしまったのかもしれない。

 大地を蹴り飛ばした時に予想以上に上がってしまい、気が乱れた。


 おそらくこれが敗因だ。

 それがなければと淡い希望を抱く。

 放課後に再挑戦するか、そう背中が押されるなかで心のどこかに諦めろという自分がいる。


 「駄目だ」


 なにを弱気になっているんだ。

 俺の野望はこんなことでへこたれやしないのだ。

 今日の反省も含め、新たにシミュレーションを始める。

 しかし時間は空気を読まない。

 無情なチャイムの音に奥にいきかけていた意識が現実へと引き戻された。


 ♢


 授業が終わり身支度を整える。

 放課後も勿論することは決まっている。

 ――フライトだ。


 「今日こそ練習に参加してくれよ!」


 意気揚々と教室を出ようとしたところに3人の男女が行く手を阻む。


 各々違う部活の部員。

 自慢ではないが、フライトの自主練を通じて運動神経には自信がある。

 そんな俺を何度も勧誘してくる友達たちだ。

 けれど、俺はフライト以外に興味はない。

 

 「悪いけど、これからフライトだから」


 ばっさり断ってやる。

 不満顔をされるが無視だ。

 俺も早く行かないといけない、こんなところで構っている時間なんてないのだ。


 なにやらボヤキが後ろから聞こえてきたが、俺はそのまま足早に目的地に向かった。


 ♢


 「ただいま」


 帰路についた。

 玄関を開け呼びかけるもそこに返ってくるはずの返事はない。

 父も家政婦さんもいないようだ。


 父はパイロット。

 世界を飛び回っているのだろう、家に居ることの方が少ない。


 母が亡くなってからというもの家に俺一人というのが普通になってきてしまった。


 制服から私服に着替える。

 テーブルには家政婦さんが作ってくれた食事がラップにかかっている。

 夕飯には早いが、小腹が空いたので温めなおして食べる事にする。

 

 「ただいま、母さん」


 温めている時間で居間にいく。

 テレビ台の上にある写真立てには母の笑顔。

 ソファーに腰掛けながら母との思い出に浸る。


 『大丈夫。お母さんは星になって、ソラをいつまでも見守っているから』


 微笑んで泣きじゃくる俺の頭を慈しむ様に撫でる母さんとの最期を思い出さない時はない。


 「今日はきっと母さんに届くよ」


 小さな母の髪を撫でて写真立てを元に戻し、食事をとることにした。


 ♢


 『いつもの場所に行ってくる』


 書置きを残して我が家を出る。

 太陽も半分程顔を隠している。

 想定よりも遅くなってしまったようだ。

 早くいかないと夜になってしまう。


 「波が荒れているかもしれないな」


 泳ぎはできないわけではないが得意というわけでもない。

 脚力には自信があるが息継ぎは下手くそだ。

 溺れかけたことは過去に度々ある。

 波が荒れているとなれば危険も大きくなるだろう。


 「馬鹿なことを考えるな」


 弱気な俺を打ち消す。

 俺自身が俺を信じられないでなにが叶うっていうんだ。


 ♢


 フライトスポットにつくと月が雲間に見え隠れしている。

 やはりすっかり暗くなってしまった。

 波も思った通り荒い。


 どこまでも続いていそうなこの景色に飲み込まれそうになる。


 いつもと同じように深呼吸をして胸に海の香りを吸い込む。

 ゆっくりと岩壁に向かうと魔物のような深淵が顔を見せる。

 

 『お母さんは星になって、ソラをいつまでも見守っているから』


 その言葉はまるで魔法のようにひび割れそうな俺の決意をがっちりと固める。


 一歩ずつ後退し、助走をつける。


 こんな空まで追ってこれない魔物に恐れることは何一つない。


 身を低くして風を切り、ロケットのように全力で駆けだした。

 大地の終わりが視野に近づく。

 そのスタート地点に気分が高揚する。

 そして、俺はありったけの力でスタートラインを思いっきり蹴った。


 ぐんぐんと体が空へ昇っていき、星が近づく。

 ――俺は鳥だ。


 都会の光から離れたこの場所には数多の星が煌めく。

 その中でも一番おおきいもの、それに思わず手を伸ばす。

 それは母の笑顔の眩さによく似ていた。

 あれが母がなった星――きっと届く。

 

 「届け」


 未だ届かないそれに、思いっきり手を伸ばす。


 「届け!」


 なんども掴んでは空をきる俺の手。

 強い思いを言葉にするもそれは深淵の叫びに無情にも打ち消される。


 「届っ――」


 ああ、やはりこれが現実なのか。

 俺の言葉はむなしく、体もついに昇るのを諦め、落ちる。

 下では深淵の魔物が大きな口を開いて待っているのだろう。

 波の音が俺をあざ笑っているように聞こえてくる。

 

 そう、本当はわかっていたんだ。

 人間がその身だけで飛べないことも。

 母がこの星でないことも。

 

 涙が体の代わりに空へ昇るように見える。

 

 「母さん、会いたい。会いたいよ……」


 それを受け取ったのは大いなる海か、空か。

 俺の必死の悲鳴を聞く者など誰もいない。

 

 母との思い出が脳裏にどんどん蘇る。

 不愛想な父とは反対で太陽のような母。

 ニコニコといつも笑顔で俺を包んでくれた。

 

 母の最期の思い出まで辿り着くと現実へと引き戻される。

 

 視界に大きく岩礁が映る。

 

 あぁ、母さん。

 今……会いに行くよ。


 ――鈍い音が脳に響いた。

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