第13話 フットサルサークルの消失

 電車からホームに降り立った瞬間、空気の匂いが住み慣れた街とは違うのがわかった。知らない街に来たんだという実感と、間もなくやってくる新生活への期待と不安が順番に心の中を巡る。


 三月の中旬、僕は新しい住まいを探す為、埼玉県に来ていた。キャンパスが埼玉県にある大学への入学が決まっていた為、そこに通いやすく、かつ家賃が安めの街が条件だった。

 仲介業者で紹介されたのは、東武東上線のふじみ野という駅から徒歩十五分ほどの所にある学生専用マンションの一室。あまり新しい建物ではなく、駅からもそれなりに離れていた為、五階建ての最上階だったがそれほど家賃は高くなかった。


 もう一軒、別の物件も内見したが、結局はこの部屋に住むことに決めた。その日は天気も曇りであまりわからなかったが、実際暮らしてみると日当たりは良好で窓を開けると風通しも良く、いい物件だったなと思っている。


 それから二週間後には引っ越しも済ませ、ついに僕は地元を離れ、一人暮らしを始める事になった。今ではもうすっかり、都会での一人暮らしにも慣れてしまったが、このふじみ野で暮らした二年間は、何もかもが初めての、刺激的な毎日であった。




 やがて、大学生活が始まった。僕にとっての大学生活は、新しいスタートであると同時にリセットでもあった。ここからやり直したかった。高校でのあの燻ぶった日々を繰り返したくはない。大学では、順風満帆の日々を送りたかった。


 そういった意味では、スタートは順調だった。一人暮らし自体は全く問題無かったどころか、むしろ一人で悠々自適な生活を送る事ができていたし、入学前の新入生オリエンテーリングに参加した為、その場で顔馴染みの同級生ができた。入学後もそのメンツで行動する事が多くなり、高校時代のように孤立するような事はなかった。勉強の方も、大学の講義システムが目新しくて面白かったし、各講義で学ぶ専門的な知識も、新鮮で面白かった。


 大学は高校までと違って、自分の行動範囲が爆発的に広がる。一人暮らしだった為、家事も自分でやらなくてはならないし、何か不足する日用品があったら自分で買いにいかなければならない。生活費が不足したら、アルバイトもしなければならない。その為に僕は、様々な新鮮な体験をする事になったし、今考えても意味不明な出来事もいくつか体験する事になる。




 その日僕は、あるサークルを見学しようとしていた。何かしら運動系のサークルに入りたいと思っており、既に仲の良かった同級生と野球のサークルに加入してはいたが、あえて全然経験の無いスポーツをやってみるのもいいのではないかと考えていた。そんな時に学内でフットサルサークルのメンバー募集の張り紙を発見した為、「フットサルか、いいなあ」等と気軽に思って記載のメールアドレスに見学希望の連絡をした所、サークル長を名乗る人物からすぐに返信があり、この日のこの時間を指定されていた。


 指定の場所は七号館という建物の中にある、とある教室だった。思えば、この時点で不自然だった。何故フットサルサークルなのに、活動場所が○○グラウンドであるとか、○○体育館ではないのだろうか。なぜ普通の教室で活動しているのだろうか。だが、ひょっとすると今日はミーティングの日なのかもしれない等と、特に深く気にすることもなく、僕は指定の教室に辿り着いた。


 教室内からは和気藹々とした学生達の話し声が、扉越しに廊下まで響いていた。それが嫌な感じの笑い声ではなかった為、少しだけ安心した自分がいた。中学時代や高校時代のトラウマは、当然未だ消える事なく、僕の心の中にずっとあった。


 扉を開けて、教室の中を見た。高校までのよくある教室くらいのサイズの部屋に、学生が男ばかり十五人ほど、思い思いの場所に座って周りの学生とお喋りに花を咲かせている。その中に一人、名前は知らないが同じ講義を受けている知った顔も紛れており、また少しだけ安心感が強まったのも確かだったが、それ以上に僕は違和感しか覚えなかった。十五人居て、そのうちの誰からも、フットサルやサッカーが好きそうな雰囲気がまるで感じられないのだ。フットサルサークルというくらいなのだから、もっとこう、活発さというか、フレッシュさというか、そんな物が感じられてもいいのではないだろうか。いや、今から見学をしようとしている僕自身も、活発さもフレッシュさも微塵も無いので、言えた義理は全く無いのであるが、それにしたってこの教室内の雰囲気はフットサルサークルのそれではない。明らかな違和感に教室に入れず固まっていると、奥の方で座っていた二人組のうちの一人が立ち上がり、笑顔で手を挙げた。


 どうやらそれが、メールでやり取りをしていたサークル長らしかった。「君がメールをくれた人だね?」と僕の下へ近づきながらサークル長が言う。頷くと、「じゃあまずはサークルの説明をするから」と、先ほどまで座っていた奥の机へと手招きしてくれた。


 サークル長は明るく友好的で、第一印象としてみればとても良かった。だがやはり、違和感しかない。どう見てもフットサルをするサークルをまとめている人物とは思えないのだ。体の線も細く、眼鏡をかけていて、どちらかと言えば、白衣を着て理科室で薬品の入ったフラスコを回している方が似合うような感じだ。フットサルサークルを束ね、コートの中で必死にボールを追いかけているような雰囲気は微塵も無かった。いや、何度も言うようにそれは僕自身も同じなのであるが。


 机を挟んで反対側に座ったサークル長が、A4サイズの用紙を1枚差し出してきた。受け取った時に、嫌でもその用紙の中身が目に入る。部員の誰かが書いたであろう、アニメチックな女の子のイラストが見えて、僕は無意識によそ見をするふりをして目を逸らした。逸らした視線の先で、学生達がカードゲームの話で盛り上がっている。違う、絶対に違う。宗教は信じていないが、世界中古今東西八百万の神々に誓ってもいい。これはフットサルサークルではない、オタクサークルだ。


 疑惑が確信へと変わった。得体の知れないオタクサークルの見学に紛れ込んでしまった動揺と、フットサルサークルの張り紙を見て連絡したはずなのに何故か今ここに自分が居る事への困惑で顔が引き攣る僕に、サークル長は笑顔でこう言った。


「SOS団へようこそ」




 事のあらましは大体次のような事だった。


 僕が見た張り紙は確かにフットサルをしている団体の物だったが、それ自体が単独のサークルなのではなく、サークル内フットサルチームという位置付けだったそうだ。このSOS団なるサークルの中の、サッカー好き数名が集まってフットサルチームを結成しており、そのメンバー募集の張り紙だったのだ。だから、連絡先としてはサークルの代表者であるこのサークル長の連絡先が記載されており、そこに「フットサル」等の用語を一切入れないで見学希望メールを送った僕は、SOS団の見学希望者だと思われてしまったのだ。いや、ならばそのサークル内組織編制を張り紙にも書いておけよと思うし、サークル長はサークル長でどっちの張り紙を見て連絡してきたのか聞けよと思うが、事実としてはそういう事らしかった。


 SOS団とは、『涼宮ハルヒの憂鬱』というアニメ内に登場する、主人公達が結成した組織の名称から来ている。当時、日本各地の大学にはこのSOS団を名乗るサークルが存在していて、各大学のSOS団が連絡を取り合ったり交友を深めたりといったネットワークが出来上がっていたらしい。僕が紛れ込んだのはその大学のSOS団だったのだ。


 『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品が流行っている事は知っていた。理由は斉藤から届いた例の怖い年賀状の中に「涼宮ハルヒ」と十五回ほど記載があったからだ。だがどんな作品かはまったく知らず、アニメの知識も無い僕がこのサークルに溶け込むのには流石に無理があった。


 「まあ、楽しそうだなと思ったら入ってってよ」、そう言って僕の前を離れたサークル長は、そのまま教室内の学生に声をかけ、今後どんな活動をしていくかの会議を始めた。三十分ほど経ってから僕は、「この後別の用事があるので」と言って教室を出て、結局その後フットサルサークルにもSOS団にも入る事は無かった。




 その後しばらくして僕はアニメを少し観るようになり、その過程で『涼宮ハルヒの憂鬱』も観る事になるのだが、SOS団という単語が聞こえる度に、あの教室の情景とサークル長の笑顔が、僕の頭をよぎるのだった。


 ちなみに、この時点で既に入っていた野球サークルは、なんとものんびりとした雰囲気のサークルで、スポーツサークルにありがちな体育会系の香りやウェイの香りは一ミリも無かった。練習はのほほんとしてるし、サークル長はそんな様子を眺めながら、「だらしねえサークルだな」と口癖のように言って笑っていた。あまり他で見ないチーム名だったので、その由来を尋ねると、サークル長含め全員が把握していなかった。


 そんなだったから、スポーツサークルに入るという事に当時の僕は警戒心等まったく覚えておらず、スポーツが好きだからスポーツのサークルでいいか~くらいの感覚だった。

 もしそのフットサルサークルがまともなサークルで、そこに入る流れになってしまったら僕はどうなっていたんだろうと、当時の事を思い出しては度々、身を震わせている。

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